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旅行記、世相独言

行ってきました 温泉と世界遺産・熊野三山を巡る旅(1)

2021年04月26日 23時23分31秒 | 異文化体験_日本
行ってきました 温泉と世界遺産・熊野三山を巡る旅(1)

熊野那智大社・熊野速玉大社・熊野本宮大社

2021.04.22-23

(写真や図はクリックで拡大します)
 我が家では家族の誕生月は皆で会食を行っている。3月生まれは誕生祝会食を行ったが、4月生まれはイギリス型変異株の蔓延で、さすがに中止。代わりに夫婦で1泊2日の温泉旅行に行くことに。行先は休暇村・南紀勝浦。併せて熊野三山も詣でることに。勝浦投宿は4度目だが、三山を一気に周るのは初めて。初日と二日目に分けての投稿です。

          

《古座の一枚岩》
 家から阪和道で白浜まではおよそ1時間45分、目下白浜まで片側2車線の拡幅工事が精力的に行われている。白浜からすさみ南まで片側1車線の高速道路が無料開放されており、勝浦・新宮方面も便利になった。和歌山県人が二階氏を頼りにするのもうなずける。
 勝浦への道中、古座の一枚岩に立ち寄る。ナビが選んだのが和深から39号線の細い細い道、無事古座川の一枚岩に到着。1400万年以上前の火山活動で出来た古座川弧状岩脈の一部で、その活動規模は現在の阿蘇カルデラをはるかにしのぐものと推定されている。河岸にそそり立つ幅500m、高さ100mの巨大な岩壁は、見る者を圧倒する。

             
   一枚岩の対岸に道の駅がある 

《熊野三山》
熊野の神々は自然信仰に根ざしており、奈良~平安時代にかけて熊野は仏教・密教・修験道の聖地となった。神=仏であると考えられ、その影響を受けた三山は結びつきを深め、同じ12柱の神々(=仏たち)をお祀りしたことで、熊野三山の神秘性は益々高まり、平安時代の末には「浄土への入り口」として多くの皇族や貴族がお参りするようになった。「浄土へお参りし、帰ってくる=死と再生」を意味し、「よみがえりの聖地」として、今なお多くの人々の信仰を集めている。
          

《熊野那智大社・青岸渡寺・那智の滝》
一枚岩から古座に出てしばらく海岸線を走ると、市屋から那智勝浦新宮高速道路が無料開放中で、那智勝浦ICで降り大門坂のそばを通って熊野那智大社へ。ちょうどお昼時。和か屋本店の無料駐車場に置いて、お参りと滝見物に。確か3度目のお参りと記憶しているが、那智大社までの石段(段差のかなりある467段!)にわが身の年齢を実感させられる。以前はもっと楽に、そう!ポメラニアンの愛犬まで一緒にお参りしたのだが。

 
           熊野那智大社・青岸渡寺・那智の滝周辺図        那智山郵便局横の467石段参道の始まり

      
 参道途中の鳥居(もう少し)          大社境内から眼下の和か屋本店駐車場のマイカー(赤字表示)

 熊野那智大社は、熊野信仰の中心地として古来多くの人々の信仰を集め、平安末期には蟻の熊野詣とまで言われるほどの盛況だったようだ。しかし標高500mに位置する社殿への表・裏参道は、いずれも厳しい。夫須美神(ふすみのかみ=いざなみのみこと)を主祭神とし、万物の生成・育成を司る神様で、樹齢約850年の大楠がある。

  
  熊野那智大社本殿          熊野那智大社御朱印        本殿前の胎内くぐり   

 一方、青岸渡寺は988年に御幸された花山法皇が西国三十三ケ所第一番札所と定めたと言われ、如意輪観世音を祀る本堂は1590年秀吉が再建したもの。境内から見る朱色の三重塔と那智の滝との調和が素晴らしい。

       
    青岸渡寺                大クスのある境内からのお馴染み眺望

 
   青岸渡寺の御朱印         青岸渡寺の朱色の3重塔と那智の滝

 那智の滝は、那智大社の別宮飛瀧神社の御神体で、落差133m、銚子口の幅13m、滝壺の深さ10mの落差日本一の名瀑。銚子口から三筋に分かれて流れ落ちることから三筋の滝ともいわれる。神武天皇の御東征の折りに見つけられ、これを神としてお祀りされたようだ。

    
銚子口から三筋に分かれて落下   那智大社の別宮飛瀧神社の御神体  落差133mは日本一  

 参拝を終えたのは午後2時頃、駐車している和か屋本店の名物お滝もちを味見して、紀伊勝浦の旅館街から少し離れた宇久井半島の休暇村・南紀勝浦に。この宿舎は2月の加太に次ぐ2度目の休暇村である。