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世界文化遺産「下鴨神社」と花街新春「北野をどり」 2012.01.07
(左)下鴨神社(賀茂御祖神社)境内図 (右)櫻門入って直ぐの舞殿
京都・鴨川の下流に祀られているお社から下鴨さんと呼ばれる下鴨神社、正式には賀茂御祖神社(かもみおやじんじゃ)。3万6千坪の広大な境内には、古代の山背原野の名残をとどめる「糺の森(ただすのもり)」を擁し、国宝の本殿2棟、重要文化財53棟が平安様式を今に伝える。
(左)この御手洗社で新年の御祓いを受けました (右)みたらしの池と御手洗社
また、新春には初神楽、「蹴鞠はじめ」、御粥祭が、また新緑の季節には流鏑馬神事から始まる「葵祭」、土用の丑の日には「みたらし祭」(御手洗社(みたらししゃ)前の「みたらしの池」に足をつけると無病息災で過ごせる)、そして名月管絃祭等、1年を通じて有名な行事が執り行われている。ちなみに「みたらし団子」は、当神社が語源となっていると言う。
参拝者が言社で夫々の干支の守護神に御参り
縁結びの神様として有名だが、最近では干支の神様としての信仰も多く、言社(ことしゃ)には一言社から三言社まで夫々の干支の守護神が祀られている。
参拝したのは1月7日だが、当日は重要文化財「大炊殿(おおいどの)」と「葵の庭(カリンの庭)」が初公開されていた。大炊殿は神饌(お供えもの)を調理する社殿。
(左)特別公開の重要文化財「大炊殿」(右)入口土間のおくどさん、台所(中の間)、御神料盛付け(奥の間)
葵の庭(カリンの古木が有名)
昼食後、学問の神様「菅原道真公」で有名な北野天満宮にも立ち寄った。
(左)立ち寄った学問の神様、北野天満宮 (右)山門に架かる三輪晃久画伯筆の大絵馬
北野天満宮のほん近くに「上七軒歌舞練場」がある。今回はここで新春特別公演の「北野をどり」を観賞するのが主たる目的の一つである。
(左)上七軒歌舞練場の正面入口 (右)大規模木造劇場として今も活躍する劇場内部
天満宮に参拝する人の七軒の茶店に由来する上七軒に、歌舞練場が出来たのは明治時代。罹災や進駐軍のダンスホール等の変遷を経て、昭和26年に現歌舞練場となったようだ。
京都には先斗町等いくつかの歌舞練場、踊りがあるが、大規模な木造劇場と共にもっとも歴史のある歌舞練場としてその歴史を今に伝えている。
それでは、以下の写真で地方、芸妓、舞妓の演ずる新春踊りの雰囲気を味わっていただきましょう。
長唄「末広狩」から始まり、端唄「七福神」、「祇園小唄」、小唄「今年しゃ何だか」等々、最後は4月の北野をどりのフィナーレを飾る総をどり「上七軒夜曲」まで、新春に相応しい演目を1時間弱楽しんだ。
(左)フィナーレの総をどり「上七軒夜曲」 (右)歌舞練場中庭(右手が劇場内部)
中庭では時折白いものが舞う中、舞妓さん、芸妓さんが我々を見送ってくれて、身近に花街の雰囲気を少し味わった一日であった。
(上二枚)お見送りの芸妓さん(左)と舞妓さん(右) (左)演目解説
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世界文化遺産「下鴨神社」と花街新春「北野をどり」 2012.01.07
(左)下鴨神社(賀茂御祖神社)境内図 (右)櫻門入って直ぐの舞殿
京都・鴨川の下流に祀られているお社から下鴨さんと呼ばれる下鴨神社、正式には賀茂御祖神社(かもみおやじんじゃ)。3万6千坪の広大な境内には、古代の山背原野の名残をとどめる「糺の森(ただすのもり)」を擁し、国宝の本殿2棟、重要文化財53棟が平安様式を今に伝える。
(左)この御手洗社で新年の御祓いを受けました (右)みたらしの池と御手洗社
また、新春には初神楽、「蹴鞠はじめ」、御粥祭が、また新緑の季節には流鏑馬神事から始まる「葵祭」、土用の丑の日には「みたらし祭」(御手洗社(みたらししゃ)前の「みたらしの池」に足をつけると無病息災で過ごせる)、そして名月管絃祭等、1年を通じて有名な行事が執り行われている。ちなみに「みたらし団子」は、当神社が語源となっていると言う。
参拝者が言社で夫々の干支の守護神に御参り
縁結びの神様として有名だが、最近では干支の神様としての信仰も多く、言社(ことしゃ)には一言社から三言社まで夫々の干支の守護神が祀られている。
参拝したのは1月7日だが、当日は重要文化財「大炊殿(おおいどの)」と「葵の庭(カリンの庭)」が初公開されていた。大炊殿は神饌(お供えもの)を調理する社殿。
(左)特別公開の重要文化財「大炊殿」(右)入口土間のおくどさん、台所(中の間)、御神料盛付け(奥の間)
葵の庭(カリンの古木が有名)
昼食後、学問の神様「菅原道真公」で有名な北野天満宮にも立ち寄った。
(左)立ち寄った学問の神様、北野天満宮 (右)山門に架かる三輪晃久画伯筆の大絵馬
北野天満宮のほん近くに「上七軒歌舞練場」がある。今回はここで新春特別公演の「北野をどり」を観賞するのが主たる目的の一つである。
(左)上七軒歌舞練場の正面入口 (右)大規模木造劇場として今も活躍する劇場内部
天満宮に参拝する人の七軒の茶店に由来する上七軒に、歌舞練場が出来たのは明治時代。罹災や進駐軍のダンスホール等の変遷を経て、昭和26年に現歌舞練場となったようだ。
京都には先斗町等いくつかの歌舞練場、踊りがあるが、大規模な木造劇場と共にもっとも歴史のある歌舞練場としてその歴史を今に伝えている。
それでは、以下の写真で地方、芸妓、舞妓の演ずる新春踊りの雰囲気を味わっていただきましょう。
長唄「末広狩」から始まり、端唄「七福神」、「祇園小唄」、小唄「今年しゃ何だか」等々、最後は4月の北野をどりのフィナーレを飾る総をどり「上七軒夜曲」まで、新春に相応しい演目を1時間弱楽しんだ。
(左)フィナーレの総をどり「上七軒夜曲」 (右)歌舞練場中庭(右手が劇場内部)
中庭では時折白いものが舞う中、舞妓さん、芸妓さんが我々を見送ってくれて、身近に花街の雰囲気を少し味わった一日であった。
(上二枚)お見送りの芸妓さん(左)と舞妓さん(右) (左)演目解説
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