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旅行記、世相独言

いよいよ本番、レセプション -ミラノ-(異文化体験18 世界ガス会議の旅5)

2011年11月22日 16時53分19秒 | 異文化体験_西欧
(写真はクリックで拡大します)

いよいよ本番、レセプション -ミラノ-  1994.6.15~6.26

 プリンシペ・ディ・サヴォイア・ホテルのレセプション会場受付風景

 1994年6月21日、ミラノはやや曇天で一時雨の予報も。今日は午後2時からオーディトリアムでJGA会長の基調講演があり、午後5時にレセプション関係担当者はホテルロビーに全員集合!と伝えてある。
 既に専任スタッフは午後から活動を始めており、主要ホテルにJGA調達の巡回バスの運行時刻表を張りに出かけた者、一時雨の予報に傘50本を買いに行った者、レセプション会場の受付準備を行っている者等々、皆てきぱきと働いてくれている。

 オープニングはスカラ座ピックアップメンバーによる四重奏「タンゴの警句」

 夕刻、日本の都市ガス各社のお客さま対応要員が集まり出す。広々としたロビーで今夕のレセプションの段取りを彼らに伝え、JGA正副会長の顔ぶれも揃い、VIP来客用の部屋で全員少し早目の軽い夕食を取りつつ適宜待機して貰う。

 招待状は、およそ400部発送しており、日本国内で回収した出席返答は300部、来場は500名前後と予想している。我々の開会は午後7時半で、この日はドイツが8時半からスフォルツェスコ城で開催する。

 
          各国VIP達が「素晴らしいレセプションだ!」と挨拶に来てくれる
 
 午後7時15分頃から正装の招待客が顔を見せ始めた。巡回バスも数十名のお客様を乗せて次から次と到着し、受付デスク前に長蛇の列が出来そうな気配。直ちに招待状のチェックを中止させ、JGA正副会長の立礼でお客様を出迎える。

 広々としたレセプション会場も、7時45分にはお客様で一杯となった。予定を早めて早速舞台を開演させる。こちらは椅子席も用意され、「タンゴの警句」の演奏が始まると会場に一瞬静寂が戻り、すぐに途切れた会話が再開される。8時15分位まで来客は続き、豪華なホテルの食事・屋台の和食と飲み物を片手に談笑が絶えない。舞台ではじっくり聞こうというお客で椅子席も満席。NHKにも出演した日本の女性歌手の「蝶々夫人」には盛大な拍手。

 
日本から音楽の勉強にミラノに来ているミュージシャンもレセプションを盛り上げてくれる(左、赤いドレスがアローラおばさん)

 来客の顔ぶれは、IGU現会長、次期会長他各国首脳に加え、M次期事務局長やM展示委員長、C事務局補佐等が私の所にやってきて、素晴らしいレセプションだと賛辞を送ってくれる。ホテル・スタッフも額に汗しながら温かい料理や冷たい料理を取り替え、飲み物をサーブして廻ってくれている。私の立てた親指に彼らも親指を立て、お互いの労を労う。

 8時半が招待客のピークで、ドイツのレセプションに向かう人も出始め、8時45分に舞台を終演させることにした。司会の女性が一際大きな声で「皆さん、ご一緒に「ワンダフル・コペンハーゲン」を歌って、また3年後に再会しましょう!」と呼びかけ、オーケストラが演奏を始めると欧州の人々には馴染みの歌とあって大合唱が始まった。

 ミラノ・スカラ座オーケストラのピックアップメンバー達

 9時過ぎに残っている一部のお客様と共に、我々も宴会場でゆっくり食事を開始。接客係の各社の社員も大成功と喜び合う所に、舞台関係者も加わって記念撮影やら、舞台の感想やらで大いに盛り上がった。

 
       会長代行として各国レセプションにも顔を出す(次期会長国デンマークのレセプション)

 結局、700名の参加があり、トラベルウォッチのお土産物も足らなくなったようで、カップルには1つで辛抱してもらったようだ。ちなみに同じこの会場で翌日開かれたフランスのレセプションのお土産は、ミニチュアのムラーノ島ベネチアンガラス容器であった。

 フランスのレセプションのお土産


 さすがにこの日はドイツ会場に行く元気もなく、内輪で成功を乾杯!



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