行ってきました 雄琴温泉と比叡山周辺の秋を求めて
― (その1)近江神宮・坂本城址・日吉大社 ―
― (その2)雄琴温泉・比叡山ドライブウェイと延暦寺 ―
2021.11.18-19
コロナの影響も和らいできた11月、近くにありながら行ったことのない雄琴温泉をベースに周辺の紅葉を求めてドライブしてきた。写真の関係で2回に分けて掲載します。写真はクリックで拡大します。
(その1)近江神宮・坂本城址・日吉大社
おりしも阪神高速・環状線の工事封鎖で、連日近畿自動車道は大渋滞。この日も普段45分で行ける岸和田・和泉ICから吹田ICまで2時間ほどかかったが、名神高速は渋滞なく最初の目的地「近江神宮」に10時半頃到着。
【近江神宮】
年初に行われる全国競技かるた大会や6月第1日曜に行われる鏑流馬神事で有名なこの神宮は、御祭神が天智天皇、667年大津近江京への遷都の跡地に昭和15年鎮座された。
第38代天皇・天智天皇(626-672)は、中大兄皇子としても知られ、我が国法律の源をなす「近江令」の制定や、国民教育の道となる学校制度を創始、更には漏刻(水時計)を設け、社会生活の基盤となる時刻制度を確立したことでも有名である。
藤原定家選(諸説あり)とされる小倉百人一首の選定に際し、その巻頭を飾るのが、天智天皇のこの歌で、歌かるたの祖神として広く仰がれている。
「秋の田の刈穂の庵の苫をあらみわが衣手は露にぬれつつ」
(あきのたの かりほのいほの とまをあらみ わがころもては つゆにぬれつつ=秋の田に作った仮小屋にいると、屋根を葺いた苫の目が荒いので私の袖は夜霧に濡れてしまう)
ちょうどこの時期、七五三詣での親子づれも散見された。
近江神宮楼門(境内側から見てます、七五三詣でもちらほら) 外拝殿(内拝殿 本殿と続く)
年頭のかるた祭りは有名 6月第1日曜日開催の鏑流馬神事 天智天皇が漏刻(水時計)を設置し時刻制度を確立
【坂本城址公園】
坂本城址公園に建つ明智光秀の像 琵琶湖の湖面に渡来した沢山の水鳥たち
1571年、信長の命により琵琶湖水運による交易、比叡山延暦寺に対する抑えとして、明智光秀が築城した坂本城は、初の瓦葺き天守を持つ水城。本能寺の変後焼け落ち、丹羽長秀により再建されたが1586年廃城となった。
坂本城の最南部と思われる辺りに城址公園があり、光秀の石像が立っている。この公園の北方に湖中に没した本丸の石垣と胴木が見つかっている。
坂本城の配置図と復元模型(この公園より北側にあり、湖の中に本丸の石垣と胴木が見つかっている)
【日吉大社】
近くのすし屋で昼食後、日吉・日枝・山王神社の総本宮である日吉大社に詣でる。
東西二つの本宮があり、東本宮は大山咋神(比叡山の山神様)、西本宮は大己貴神(大津宮遷都の際三輪山よりお迎えした国家鎮護の神)を祭神とし、両本殿は国宝。
山王鳥居(神仏習合の信仰を表す「合掌鳥居」) 日吉大社の花手水(季節の花々でもてなしてくれる)
西本宮楼門(重要文化財) さるは神様の使い「神猿(まさる)」=魔が去る、何より勝る 楼門の四隅に棟持ち猿が(〇印)
西本宮本殿と東本宮本殿(共に国宝、屋根が独特の形(日吉造(ひえづくり)、床下に仏事を営んだ下殿(部屋)があった
4月の山王祭の桃山~江戸時代に制作された7基の神輿(重文)の一つ 秋には境内3000本のもみじ祭り
平安遷都の際には、当地が都の表鬼門(北東)にあたることから、都の魔除・災難除を祈る社として、また伝教大師(最澄)が叡山延暦寺を開山後は天台宗の護法神として、今日に至っている。4月には春の訪れを告げる湖国三大祭「山王祭」が行われる。11月1日から12月5日まで、境内3000本の紅葉まつりが行われている。
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