東京オリンピックに見る日本人の異文化コミュニケーション能力
《中途半端なメッセージ性のない開会式》
今回のオリンピックの開会式の評価は、割れている。史上最低のつまらない開会式という評価もあれば、コロナ禍で日本の文化を軸に一定の成果を挙げたとする評価。
コロナ禍での今回は、日本が世界に範を見せる強いメッセージ性を持った開会式にする機会でもあった。近年、商業主義に支配されたオリンピックと言われるようになり、巨額の資金を要する大会に、手を挙げる都市も少なくなっている。
今回は日本が新たなオリンピックのあり方をアピールする意思を、事前に世界に発信していけば今回の開会式の評価は、大きく異なっていただろう。
そして、それは恐らく北京冬季オリンピックのあり様に一石を投じ、恐らく覇権主義を見せつける北京開会式をけん制する一助にもなったであろう。
《大会組織委員長のスピーチ能力》
パラリンピック・ロンドン大会のセバスチャン・コー委員長の挨拶は、その明瞭な話し方と内容において多くの人に感銘を与えている。生の挨拶をお聞かせ出来ないのが残念だが、非英語圏の多くの聴衆にもわかりやすいゆっくりとした明瞭な口調で、この会場に通う電車の中で出会ったボランティアの一人(実はスポーツドクター)とのやり取り等を題材に、心に残る開会にあたっての挨拶であった。
一方、多くの方々は今大会組織委員長がどのような挨拶をしたか、覚えている人は少ないであろう。恐らく日本人以外に理解出来ない早口の日本語で朗読調の結構長い挨拶であったが、私は心に留まる内容はほとんどなかったように思う。
国際社会で日本人の話が理解されにくいのは、訴求力のある心のこもった「スピーチ」が出来ないことによる。
《原爆メモリアル日の「黙とう」》
広島県の方からIOCに原爆メモリアル日に全会場で黙とうをという提案は、私にはオリンピックという場に相応しいとは思えない。
しかし、この機を利用して核廃絶を全世界にアピールする方法は、あるのではないか。世界中から多数の人々が集まるこの場を利用して、例えば核兵器の恐ろしさ、廃絶に向けたメッセージを映像・画像でテレビで期間中流すのも一案である。要は、機会を生かす発想と実現に向けた努力が常に必要である。
《東京のこの時期は天候も安定し、温暖な快適な日が続く》
招致委員会のこの提案文言は、恐らくオリンピック閉幕後に問題提起されるであろう。日本の信用力を大きく傷つけた今大会、日本人なら誰もが首をかしげる詐欺まがいの文言。選手のパフォーマンスを第一に考えると、言ってはならない文言である。
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