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旅行記、世相独言

シェイクスピア・カントリーとブレナム宮殿 -ロンドン近郊-(異文化体験25 中・東欧の旅1)

2012年08月19日 15時00分34秒 | 異文化体験_中・東欧
(写真はクリックで拡大します)

シェイクスピア・カントリーとブレナム宮殿 -ロンドン近郊- 1995.9.23~9.25

 夕刻のロンドン・ヒースローに着陸、最近の定宿となったランガム・ヒルトンにチェック・イン後、ロンドン事務所長と夕食を共にしながら英国の規制緩和論議を交わす。
 今回の旅はIGU(世界ガス連盟)プラハ理事会への出席と英国公益事業の規制緩和に関する情報収集が目的である。

 翌朝、お城好きの同行者と共にシェークスピア・カントリーと1987年世界遺産に登録されたBlenheim Palace(ブレナム宮殿)を巡る。

 シェイクスピア・カントリーのストラッドフォード・アポン・エイボンは2ケ月前LNG-11の際に訪れ2度目の訪問。前回と同様のコースに加え、ホーニー・トリニティ教会の墓地や妻アン・ハサウェイの実家を観光する。9月も下旬と言うのに結構な人出である。

        
(左)現地で購入した案内書      (右)シェイクスピアカントリー(ストラッドフォード・アポン・エイボン)の地図

 
(左)シェイクスピア生家の入場チケット (右)1616年シェークスピアが亡くなるまで住んでいた家の跡地(ニュープレースの庭)

 
(左)シェークスピア生誕洗礼記録(4月26日ラテン語記載)     (右)妻アン・ハサウェイの生家

        
(左)アン・ハサウェイの家入場チケット (右)チャペルストリートのシェイクスピアホテル


 昼食後、オックスフォードシャー・ウッドストックの名城ブレナム宮殿に向かう。

  ブレナムパレスの解説書(写真はノースフロント)

 1705年から1722年にかけてThe Duke of Marlborough(マールボロー卿)初代当主とその妻のために建設された豪華なお城は、むしろチャーチルが生まれ育った所として良く知られている。

 広大な宮殿の空撮写真(宮殿部分) 

 一般観光客のゲートとなる東門にはマールボロー家の旗が紺碧の空に翻っている。北庭を取り囲むように東西に翼を広げたような宮殿の北側には女王の池とそれにかかるグランド・ブリッジに続く。更にその先には勝利の塔が垣間見える。
 お城の東側には9代目当主によって改築された中央にマーメイドのモニュメントが置かれた見事なイタリア庭園が配置され、一方、お城の西側には同じく9代目当主によって1930年に改造されたウォーター・テラス・ガーデンを見ることが出来る。中央と四隅に配置された噴水が無ければ、まるで鏡を敷き詰めたような錯覚に陥る見事な造形美である。

 
(左)ノースフロントのファサード           (右)お城の西側のウォーター・テラス

 お城の正面玄関にはワルシャワ門を真似て造ったと言う真鍮製のロックが装備され、サロンや部屋と言う部屋夫々に見事な装飾が施されている。また大理石のドアケースで飾られた55mもの長さを有する書斎書庫、1732年に完成したお城の中のチャペルには初代当主夫妻と若くして死んだ2人の息子のモニュメントや大きなパイプオルガン等々、全てに圧倒される。

 55mの長さを有する書斎倉庫(正面は巨大パイプオルガン)  

 1874年Sir Winston Leonard Spencer Churchill(ウィンストン・チャーチル卿)はこのお城の中で生れ育ち、晩年もここで過ごしたようだ。1965年没し、ここに埋葬されている。5歳の時の頭髪カールが展示されている。まるでゴルフ場と見間違う程の広大な芝生と森、そして池。必見の城の一つである。

 宮殿の周りは芝生の広大な空間

 ホテルに戻った夕刻、フロントから来客の知らせ。先の展示会のコンパニオン達とホテルのラウンジで2ヶ月ぶりの再会。多方面の話題に時間を忘れ、気がつくと日付変更線が迫っている。明日はプラハに移動するため留学の成功を祈って、See you again.
 
 翌朝は、いよいよ大いに楽しみにしているプラハ行きである。

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