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頤和園と故宮博物院 さすが中国!-北京- 1994.9.18
「頤和園(いわえん)仏香閣」入場券
若い人の調査能力には感嘆する。展示設営責任者の I 嬢が「今日は頤和園に行きましょう!」と提案してくる。
市の北西部に位置する「頤和園」には、1元タクシーで30分ほど。公園の面積290haというから半端な大きさではない。日本の大手都市ガス会社の一つの工場が大体40~50haだから、その6ケ所分。
300ヘクタール近い広大な庭園、どこから行こうか?
歴代皇帝の離宮であったが、清代の乾隆帝の時に大規模改修がなされ現在の形になり、1860年英仏軍の手で徹底的に破壊されたが、西太后によって復旧された。
1888年、西太后50歳の誕生日を祝うため、万寿山の麓、昆明湖のほとりに巨大な庭園の造営を命じ、宦官が財源不足を報告すれども、意を解した国防大臣が海軍の経費を流用し、最終的に国家歳入の1/3を投入したとか。
1894年の日清戦争では日本海軍が弱体化した清の北洋艦隊を破り、大連湾を占拠する。その時、西太后は60歳の誕生日をこの頤和園で盛大に祝っていたと言われている。
清朝の滅亡を早めたと言われているこの庭園、まずは北宮門の蘇州街から見物。
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蘇州街入場券(左)とその解説(右)
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生活臭が全く感じられないが、蘇州を模したテーマパークのようなもの
蘇州の街を再現したウォーターフロントのショッピング街「蘇州街」は、ベネツィアの中国版と言える雰囲気。水辺を徘徊しながら様々な物売りの店や文化歴史を伝える展示物等、結構楽しめる。
蘇州街から万寿山を登っていくと、仏香閣、拝雲殿と言った昆明湖が眼下に見渡せる建物に出る。このルートは通常のルートの逆を廻っているようで、その分眼下に視界が一気に広がる感動が大きい。昆明湖は人造の湖で、その掘削土を積上げて万寿山を造ったとか。
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(左)万寿山の頂上に建つ仏香閣 (右)人造の昆明湖 国家財政の1/3を投入して造営された庭園
(左)湖畔の長廊には極彩色で様々な物語が。 (右)石舫 舟遊びの雰囲気を楽しむ人たち。
昆明湖の対岸ははるかに霞んで見える。湖の畔に下りると、拝雲門から長廊が伸びていて、そこに中国の様々な物語が描かれている。長廊の先に西太后が政務を執った仁寿殿がある。湖には大理石で装飾された石造の舟が浮かび、大勢の人が舟遊びの雰囲気を味わっている。とても一日で全部を周る事は出来ない。
庭園出口の食堂で遅めの昼食をとる。
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故宮博物院入場チケット 裏面には三菱自動車のSIGMAの宣伝が。
市内に戻って、明、清王朝の皇帝の居所となった故宮を訪ねる。東西750m、南北960m、面積72haの大宮殿である。60元の外国人切符で五色門から中に入る。
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(左)故宮博物院入場門(内国人として入ろうとしたが、見破られました)(右)ご存知、太和殿
筒子河を渡って、午門、太和門に進むと、ここから外朝と言われる科挙の試験等、国家的行事が行われた場所に入る。太和殿、中和殿、保和殿が外朝の建物。
これを過ぎると乾清門があり、ここから先が内廷と言われる皇帝が政務を摂り、日常生活を送った場所となる。
乾清宮、交泰殿、坤寧宮の三宮は皇族の祭典・儀式が執り行われたところ。
映画ラストエンペラーの舞台となり、紫禁城とも呼ばれるこの大宮殿、部屋が9000以上あるというから、一部屋ずつ泊まり歩いて27年の歳月を要する。
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(左)部屋が9000以上あるという紫禁城 (右)紫禁城の奥「内廷の御花園」かな? 誰か教えて!
故宮の前は、天安門広場。天安門は1417年の建造で、1949年中華人民共和国の成立がこの門上で宣言された。毛沢東の肖像画が飾られており、その前に広がる広場は40ha。
あの天安門事件以来、5年の歳月が流れ、今中国はアジア経済の牽引車となって、鄧小平の改革開放路線を進んでいる。
頤和園と故宮博物院 さすが中国!-北京- 1994.9.18
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若い人の調査能力には感嘆する。展示設営責任者の I 嬢が「今日は頤和園に行きましょう!」と提案してくる。
市の北西部に位置する「頤和園」には、1元タクシーで30分ほど。公園の面積290haというから半端な大きさではない。日本の大手都市ガス会社の一つの工場が大体40~50haだから、その6ケ所分。
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歴代皇帝の離宮であったが、清代の乾隆帝の時に大規模改修がなされ現在の形になり、1860年英仏軍の手で徹底的に破壊されたが、西太后によって復旧された。
1888年、西太后50歳の誕生日を祝うため、万寿山の麓、昆明湖のほとりに巨大な庭園の造営を命じ、宦官が財源不足を報告すれども、意を解した国防大臣が海軍の経費を流用し、最終的に国家歳入の1/3を投入したとか。
1894年の日清戦争では日本海軍が弱体化した清の北洋艦隊を破り、大連湾を占拠する。その時、西太后は60歳の誕生日をこの頤和園で盛大に祝っていたと言われている。
清朝の滅亡を早めたと言われているこの庭園、まずは北宮門の蘇州街から見物。
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蘇州街入場券(左)とその解説(右)
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生活臭が全く感じられないが、蘇州を模したテーマパークのようなもの
蘇州の街を再現したウォーターフロントのショッピング街「蘇州街」は、ベネツィアの中国版と言える雰囲気。水辺を徘徊しながら様々な物売りの店や文化歴史を伝える展示物等、結構楽しめる。
蘇州街から万寿山を登っていくと、仏香閣、拝雲殿と言った昆明湖が眼下に見渡せる建物に出る。このルートは通常のルートの逆を廻っているようで、その分眼下に視界が一気に広がる感動が大きい。昆明湖は人造の湖で、その掘削土を積上げて万寿山を造ったとか。
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(左)万寿山の頂上に建つ仏香閣 (右)人造の昆明湖 国家財政の1/3を投入して造営された庭園
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(左)湖畔の長廊には極彩色で様々な物語が。 (右)石舫 舟遊びの雰囲気を楽しむ人たち。
昆明湖の対岸ははるかに霞んで見える。湖の畔に下りると、拝雲門から長廊が伸びていて、そこに中国の様々な物語が描かれている。長廊の先に西太后が政務を執った仁寿殿がある。湖には大理石で装飾された石造の舟が浮かび、大勢の人が舟遊びの雰囲気を味わっている。とても一日で全部を周る事は出来ない。
庭園出口の食堂で遅めの昼食をとる。
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故宮博物院入場チケット 裏面には三菱自動車のSIGMAの宣伝が。
市内に戻って、明、清王朝の皇帝の居所となった故宮を訪ねる。東西750m、南北960m、面積72haの大宮殿である。60元の外国人切符で五色門から中に入る。
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(左)故宮博物院入場門(内国人として入ろうとしたが、見破られました)(右)ご存知、太和殿
筒子河を渡って、午門、太和門に進むと、ここから外朝と言われる科挙の試験等、国家的行事が行われた場所に入る。太和殿、中和殿、保和殿が外朝の建物。
これを過ぎると乾清門があり、ここから先が内廷と言われる皇帝が政務を摂り、日常生活を送った場所となる。
乾清宮、交泰殿、坤寧宮の三宮は皇族の祭典・儀式が執り行われたところ。
映画ラストエンペラーの舞台となり、紫禁城とも呼ばれるこの大宮殿、部屋が9000以上あるというから、一部屋ずつ泊まり歩いて27年の歳月を要する。
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(左)部屋が9000以上あるという紫禁城 (右)紫禁城の奥「内廷の御花園」かな? 誰か教えて!
故宮の前は、天安門広場。天安門は1417年の建造で、1949年中華人民共和国の成立がこの門上で宣言された。毛沢東の肖像画が飾られており、その前に広がる広場は40ha。
あの天安門事件以来、5年の歳月が流れ、今中国はアジア経済の牽引車となって、鄧小平の改革開放路線を進んでいる。
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