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その手は食わぬ -ローマ 2- 1984.6.9~10
昨夜の食事は結局夜の10時頃から探す羽目になった。テルミニ駅近くの「LORETO」という魚介類専門店に予約もせず暗い夜道を、老女の客引きにわき目も振らず探し尋ねて辿り着く。店はほとんど閉店直前の状態で、「時」既に11時である。恐る恐る「まだ大丈夫?」と聞くと、せっかく訪ねて来てくれたので、とまだ残っていた1組の客と共にこの店の客となった。
テルミニ駅近くの「LORETO」という魚介類専門店
さて、何を食おうかとメニューと相談すれど魚介類はさっぱり分からない。これは何?の連発にウエイター氏、小生を大きな生簀の前に連れて行き説明を始める。結局、魚を指定し、数種の貝類と共にシェフのお任せということに。その間スパゲティ・ペスカトーレで急場しのぎ。バイオリン弾きがカンツォーネを歌い、最後はサクラ・サクラのサービス。恐縮していると「食事は楽しく、ゆっくり食べるもの、遠慮するな!」と徹底したサービス。日本では味わえないサービスに恐れ入る。結局最後の客としてお別れしたのは、12時半であった。
ローマの治安はかなり悪いと聞いて来た。代表的な手口は、A:道案内に乗じてコーラを奢り、次は自分の暴力バーに誘い大金を支払わせる。B:ジプシーの子供達を使い新聞を買えと取り囲み、注意を分散させ抜取る手口。C:ジェラートを後ろから着衣につけ、注意を後方に向け抜取る手口といった所。ロンドンの二の舞を演じてはなるまいと注意、注意。
VIA VITTORIO VENETOに面した「CAFÉ’DE PARIS」
翌日曜日は、テルミニ駅と共和国広場にほど近いホテルを出発し、まずVIA VITTORIO VENETOに面した映画「太陽がいっぱい」や「ローマの休日」で有名なCAFÉ’DE PARISで小休止。東宝ニューフェイス応募のO氏にとっては夢のような場所。ここから少し歩いて市内が一望出来るピンチョの丘に立つ。今日も快晴のローマである。
ピンチョの丘をポポロ広場に下りかけた時のこと。来た,来た。例のジプシーの子供達。一人が新聞を持ち、6、7人が小生を取り囲む。「No,grazie」「ええ加減にせい!」と大声で叫びながら背広を引っ張ろうとする子供の手を振り払いながら、足早に立ち去ったのである。

(左)トレヴィの泉全景 (右)左肩越にコインを投げる
古代ローマ遺跡の中で最大にして最古の建物「パンテオン」
トレビの泉のある広場は、うっかりすると見失う小路の裏手にある。左肩越しにコインを投げて再びこの地を訪れるよう祈願する。パンテオンはここから徒歩で15分足らず。紀元前27年にオリンポスの神々を祭るために建造され、紀元後130年に再建された古代ローマ遺跡の中で最大にして最古の建物である。小生にとっても我が身に触れる最古の建物である。この神殿の前のカフェテラスでカプチーノで喉を潤す。
フォロ・ロマーノ全景

(左)ローマ時代にタイムスリップしたような錯覚に陥るフォロ・ロマーノ (右)白い建物がエマヌエーレⅡ世記念館
白亜の大殿堂エマヌエーレⅡ世記念館の前を通り過ぎると、そこはフォロ・ロマーノ。古代ローマがそのまま出現したと錯覚する大遺跡群である。磨り減った敷石の道、崩れ落ちた野ざらしの石柱から2000年前の鼓動が響いてくる。この隣に5万人収容の劇場兼競技場、コロッセオが我こそローマの顔とばかりどっしりとそびえている。屋台で買ったボリュームたっぷりのジェラートを頬張りながら、有史以前の世界を夢想する。

(左)コロッセオ(アリーナの下部まで見える) (右)当時のイメージ
ここから地下鉄でカラカッラ浴場跡を訪ね、再びCAFÉ’DE PARISに戻る。最後のスパゲッティ・ペスカトーレを味わうためである。

(左)カラカッラ浴場跡 (右)当時の浴場内部想像図
街中全てが身近な遺跡のローマ、生活に溶け込んだ石造建築文化とわが国の木造建築文化。歴史の重みという観点から日本の遺跡と文化が一歩遠のいた感じのするweek endであった。
その手は食わぬ -ローマ 2- 1984.6.9~10
昨夜の食事は結局夜の10時頃から探す羽目になった。テルミニ駅近くの「LORETO」という魚介類専門店に予約もせず暗い夜道を、老女の客引きにわき目も振らず探し尋ねて辿り着く。店はほとんど閉店直前の状態で、「時」既に11時である。恐る恐る「まだ大丈夫?」と聞くと、せっかく訪ねて来てくれたので、とまだ残っていた1組の客と共にこの店の客となった。

さて、何を食おうかとメニューと相談すれど魚介類はさっぱり分からない。これは何?の連発にウエイター氏、小生を大きな生簀の前に連れて行き説明を始める。結局、魚を指定し、数種の貝類と共にシェフのお任せということに。その間スパゲティ・ペスカトーレで急場しのぎ。バイオリン弾きがカンツォーネを歌い、最後はサクラ・サクラのサービス。恐縮していると「食事は楽しく、ゆっくり食べるもの、遠慮するな!」と徹底したサービス。日本では味わえないサービスに恐れ入る。結局最後の客としてお別れしたのは、12時半であった。
ローマの治安はかなり悪いと聞いて来た。代表的な手口は、A:道案内に乗じてコーラを奢り、次は自分の暴力バーに誘い大金を支払わせる。B:ジプシーの子供達を使い新聞を買えと取り囲み、注意を分散させ抜取る手口。C:ジェラートを後ろから着衣につけ、注意を後方に向け抜取る手口といった所。ロンドンの二の舞を演じてはなるまいと注意、注意。

翌日曜日は、テルミニ駅と共和国広場にほど近いホテルを出発し、まずVIA VITTORIO VENETOに面した映画「太陽がいっぱい」や「ローマの休日」で有名なCAFÉ’DE PARISで小休止。東宝ニューフェイス応募のO氏にとっては夢のような場所。ここから少し歩いて市内が一望出来るピンチョの丘に立つ。今日も快晴のローマである。
ピンチョの丘をポポロ広場に下りかけた時のこと。来た,来た。例のジプシーの子供達。一人が新聞を持ち、6、7人が小生を取り囲む。「No,grazie」「ええ加減にせい!」と大声で叫びながら背広を引っ張ろうとする子供の手を振り払いながら、足早に立ち去ったのである。


(左)トレヴィの泉全景 (右)左肩越にコインを投げる

トレビの泉のある広場は、うっかりすると見失う小路の裏手にある。左肩越しにコインを投げて再びこの地を訪れるよう祈願する。パンテオンはここから徒歩で15分足らず。紀元前27年にオリンポスの神々を祭るために建造され、紀元後130年に再建された古代ローマ遺跡の中で最大にして最古の建物である。小生にとっても我が身に触れる最古の建物である。この神殿の前のカフェテラスでカプチーノで喉を潤す。



(左)ローマ時代にタイムスリップしたような錯覚に陥るフォロ・ロマーノ (右)白い建物がエマヌエーレⅡ世記念館
白亜の大殿堂エマヌエーレⅡ世記念館の前を通り過ぎると、そこはフォロ・ロマーノ。古代ローマがそのまま出現したと錯覚する大遺跡群である。磨り減った敷石の道、崩れ落ちた野ざらしの石柱から2000年前の鼓動が響いてくる。この隣に5万人収容の劇場兼競技場、コロッセオが我こそローマの顔とばかりどっしりとそびえている。屋台で買ったボリュームたっぷりのジェラートを頬張りながら、有史以前の世界を夢想する。


(左)コロッセオ(アリーナの下部まで見える) (右)当時のイメージ
ここから地下鉄でカラカッラ浴場跡を訪ね、再びCAFÉ’DE PARISに戻る。最後のスパゲッティ・ペスカトーレを味わうためである。


(左)カラカッラ浴場跡 (右)当時の浴場内部想像図
街中全てが身近な遺跡のローマ、生活に溶け込んだ石造建築文化とわが国の木造建築文化。歴史の重みという観点から日本の遺跡と文化が一歩遠のいた感じのするweek endであった。
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