散歩者goo 

タイトルのgooは、同名のHPやブログと区別の為付けてます。HPの「散歩者」はこのブログ筆者の私とは全く無関係です。

昨日記121023火 (21/13曇 アルバイト面接・履歴書と我が人生の一断面)

2012年10月25日 00時13分14秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
昨日朝から、アルバイト用の履歴書書きで午前中かかった。
先ず、一昨日に履歴書を買いに行ったとき、履歴書にも正社員用とかアルバイト用とか分かれているのを知った。
そういえば、ギャラリー廃業後、履歴書を大量に書いていた悲しい思い出を、思い出した。
午後から、面接に行った。
結果はしばらくして、連絡があるという。


履歴書のことを書きながら、過去の履歴書や資料を見直し簡単に思い出をまとめてみた。
私はギャラリーを始める前、すなわち40歳になるまでは、工業高校卒業以来、理化学機器・環境試験装置の会社に約10年、農事用温暖機・家庭用石油ストーブ(会社は後日倒産)に約3年、食品機械の会社に約10年間すべて技術の開発設計関係で働き、最後は会社の技術部門を管理し開発計画も立てたりしていた。

最初の転職のときは、自分の技術や実績にも強い自信を持っていた。
(余談だが、工業高校卒業後最初に勤めた会社は、入社当時町工場であったが、その後東証一部企業になった。
その会社で、夜間の短大にも行き、非常にユニークな製品を開発していて、多くの最先端の技術を学んだ。)
その意味では、就職先がきまらなくても不安は無く、ある程度自分の意思で会社を選択出来た。
大企業に就職出来る機会もあったが、自分の力の発揮できる中小企業のほうが面白いと思って会社を選んだ。
最初に転職した会社は、元東大阪の大企業が倒産し再建した会社だったので、過去の技術的遺産もあって、資産は無くても、技術的内容が充実しているのではないかと思って入ったが、一年たって分かってきたことは、全く期待はずれで、内実はぼろぼろで、過去の技術資料等もなかった。
入社後、会社の業績は悪化し、私は約3年後退職したが、その後再びその会社は倒産し消滅した。
そのとき、私の技術的な経歴が少しマイナスになったと感じたが、まだ探せば面白い会社はあると思っていた。

2回目の転職のときも、それほどあせりは無かった。
自分の技術にもまだ自信はあったし、中小企業を何社か受験しても、手応えは充分だった。
2回目の転職の期間中、サラリーマン以外の外の世界を見たいと思って、いくつかアルバイトもした。
その中で、特に面白かったのは、遺跡の発掘作業だった。
石切近くの芝が丘中学校の遺跡調査だった。(この話長くなるので、後日)
発掘調査は、夏には終了したが、発掘調査で知り合った知人が、長原遺跡のアルバイトに誘ってくれたので、短期間だけ参加した。(長原遺跡調査会は、かなりレベルが高く、自発的な勉強会もあった。)
その後、考古学古代史関係の講演会等も知人から紹介されていくようになり、「古代を偲ぶ会」の前身の市民講座にも参加し、そのことが古代史考古学関係の趣味を持つきっかけとなった。
その後、考古学趣味の活動は失業期間中も続き、「東アジアの古代を考える会」?が主催し、京都で開催される「日本書紀を読む会」(上田正昭先生)にも参加した。
その頃は、失業中で時間があったので、日本書紀の予習にも熱をいれ、質問項目も用意するほどだった。
ところが就職が決まり、入社後だんだんと仕事が忙しくなったので、趣味を取るか仕事を取るかで悩んだが、発掘のアルバイトや偉い先生への弟子入りでは、将来の生活が不安なので趣味はあきらめた。
(そもそも先生に弟子入りして、研究の手伝いをするということを知らなかったし、想像も出来なかった。)

2回目の転職先の小企業では、技術力と経験を活かすことが出来、退社前には技術部門を統括するようになった。
40代になる直前、人事異動があって、技術を2分割し私が自分でどちらかのトップになる事を自分で選択するようにという話になった。
その頃、あまりにも会社の業務が多忙で、日曜日も会議があったり、夜遅くまで残業し会社の門を閉めて帰るというような、休み無く働くことが続いた。
その結果収入も増えて蓄えも出来たので、脱サラをして技術で自立したいと思うようになり会社を辞めた。
(その他、最初に勤めた会社の株を持っていたのも大きかった。<業績不振のときにその会社が、賞与を株で支払ったときがあった。その株が上場され高値をつけた。>)
その頃には、再び自分の技術と実績に自信を持っていた。
多分、客観的にみても、その気になれば、それなりの会社に転職できた可能性は強かったと思っている。

会社を辞める数ヶ月前から、今まで働きづめだったので、遊びもかねて1-2ヶ月の英語留学を考え調査し、最適と思われる留学プランを選んで手配をかけ、その後会社をやめる事を実行に移した。
(当時社会人の中年の男が、留学するというようなことは無かった。
因みに英語は話せない、聞き取れない状態で、片言の英語が話せる程度だった。
シカゴに行くのに、ロスから入国して、グレイハウンドバスで片言の不完全な英語を使いアメリカを横断した。)

はじめ、アメリカのシカゴ郊外の英語学校に入学したが、英語は上達しなかった。
蓄えがあったので、この機会に本格的に日常会話が出来る程度まで英語をマスターしようという気になり、1年半ほどシカゴ郊外の英語学校と、シカゴ市内のイリノイ大学の英語学校に通った。(どちらも大学の付属施設)
そこで、始めの英語学校のルームメイトのアメリカ人やその友達の南米人等の親しい外人の友人も出来た。
英語学校を終える時、アメリカ人の友人の紹介でメキシコに渡りスペイン語の初歩を勉強してから、中南米から民芸雑貨を輸入しようと考え実行した。

1987年帰国後会社を作り、玉造の西の東雲町近くに喫茶店兼民芸雑貨店を始めたが、1989年に地上げにあい、その補償金で十三の西にある北野高校近くで中南米民芸雑貨店を経営するも収益が上がらず失敗した。
その後1991年に上六の石が辻町でギャラリーを始め、1995年に北区老松通りに移転したが業績が上がらず失敗を重ねた。
この頃には、資金が枯渇し、カードローンによる借金生活となった。
2000年8月にギャラリーを廃業した。
1985年40歳でサラリーマンをやめてからそれまでの、私にとっての大冒険は、大きな致命傷を残して終わった。
ギャラリー時代に出来た借金は、自己破産するまで、精神的にも肉体的にも日々巨大な重圧であり、将来の展望は暗闇だった。
ギャラリー閉店後後は、アルバイト、契約社員、の短期間の会社勤めを繰り返した。
技術、営業、調査、警備員、公園の便所掃除とさまざまなことをやった。

50代、60代になると、コネや縁故がない限り、常勤の正社員は望むべくもない。
私は、30代後半の会社の幹部社員だった頃とか、喫茶店を経営していた頃は、採用に関係し、他人の履歴書も見る立場だった。
管理職や経営者の雇用者側から中高年の人を見ると、口は立っても動かないしプライドも高く人件費も高い中高年よりは、若い人を採用するだろうと思えた。
しかし現実には、かくいう私は中高年となり、お金も無く履歴書を書く身となり、ギャラリー廃業後に何十通と履歴書を書き、ほとんど落とされ中高年の就職の厳しさやむなしさを肌身に感じている。
高齢者で企業とのつながりの無いものには、能力を活かす場はほとんど無く、あってもパート・アルバイトの掃除や駐輪場管理といった単純作業しか働き場がなく、それらですら働ける人は幸運である。

私は、年金受給しているので、なんとかつつましく最低限の生活をすることは出来るので感謝しなければなるまい。
しかし、国民年金だけであれば、生活保護を受けなければ、単に生きていくことすら困難だろう。

昨日履歴書を書きながら、気になって欠落していた部分を調べたたら、いろいろ資料が出てきた。
時間が無かったので、昨日はそのままになっていたが、今日改めて過去の履歴書や資料を総合すると、いろんなことが、当時の思いでもひっくるめて浮かび上がってきた。
それらの、思い出は山ほどあるが、それらは後日書きたい。

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10月23日(火)のつぶやき

2012年10月24日 02時03分35秒 | 携帯メール投稿・つぶやき twitter

昨日記121022月 (24/14晴 アルバイト検討・履歴書購入) goo.gl/7LPZu


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昨日記121022月 (24/14晴 アルバイト検討・履歴書購入)

2012年10月23日 12時49分15秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
最近、浪費や無駄遣いはしていないが、何かと小銭が出て行くことが多く、生活保護程度の年金生活者にとって、遊興娯楽やグルメといった贅沢でなく、普通の活動範囲ですら多少我慢をしなければならないことを感じるようになった。
簡単な例では、交通費がかかる遠方の催しには、行きにくいし、オーケストラのコンサートは高くていけないとか、毎月1-2回程度友達とのみに行ったりすることは不可能だ。

無論、今までどおりに遠くにも行かず、出来る限り外食はせず、3千円を超える催しには出来る限り参加せず、
(同窓会等、年に1-2回程度の催しには参加)といった事であれば全く問題なく生活できるし、現在もその状態を維持しているので問題はない。

ただ、パソコンが古くなると新しいものにしなければならないし、携帯はほとんど使わないが、PCを必需品として使っているものにとっては、スマホは活動範囲を広げ効率化を図るために必要になると思っている。

現在の私の経済状態では、これ以上活動の範囲を広げることが出来ないと、最近思うようになった。
そこで、年末にアルバイトをして、多少なりとも活動範囲を広げるための余剰資金を得たいと考えた。
私は今年の誕生日を迎えると68歳になるので、働くことに関しては世間の先入観があり、アルバイトにしてもパートにしても、数パーセントの会社でしか雇ってくれないだろうと思っている。
そう見られても仕方がない現実がある。。
同窓会に行くと、60代後半になると体力知力に大きな開きが出てくるのが分かるのだ。
それでもとりあえず、生活の質のUPのためダメもとでアルバイトにチャレンジしてみることにした。

そこで昨日新聞のチラシを見て、めぼしき会社とコンタクトを取ったが、今日夕方なら面接するという。
当然、すぐにOKした。(客観的に見ると、私が夢見るドンキホーテに見える。)

すぐに面接用の履歴書や写真を用意しなければならない。
大急ぎで、昨夜天満橋の京阪モールまで、履歴書等の面接必需品を買いに行き、履歴書用写真を撮った。
その写真は、女性が色白に見えるようにするためか、かなりフラッシュがたかれていた様で、全体に顔が白っぽく撮影されている上に、禿げた頭のてっぺんが反射光で光っているのである。
マンガのような写真になったが、これで落とされても、もともと採用される確率は非常に低いと考えているので、このまま行くことにした。

アルバイトが出来なければ、自分の活動範囲は今まで通りということであって、生活に支障が出るわけではない。
要は、常に身の丈に応じた生活をすれば、生活は工夫することでいかようにも変えることが出来るし、人生が破綻することはない。
お金を稼ぐ能力が付けば、稼いだ金額に見合ったより豊かな身の丈の生活をすればよい。
お金を稼ぐ能力や才能が無ければ、その丈にあった生活の中で、限られた範囲であれ最大限余裕のある生活を送るための工夫をするだけだ。
その点私は、生活の工夫をし、少ない年金を最大限効率的に使い、それなりに満足のいく快適な生活を送ることが出来ていると自分では思っている。



(可能性は少ないと思うが、万一アルバイトに採用された場合、アルバイトの状況や会社の状況等は、ブログには一切掲載しないことにする。
通常会社に勤務する場合は、その企業の内部情報を漏らさないことが義務付けられることが普通だ。)

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10月22日(月)のつぶやき

2012年10月23日 02時04分02秒 | 携帯メール投稿・つぶやき twitter

国民不在・党利党略体質で展望や理念もない官僚主導の政治にNOが出ている。民主党は、選挙で議員の資質と経営力を高め、中道リベラルとしての国家像や理念・政策を掲げて再挑戦すべきだ。:  強まる解散先送り論、支持2割切る 朝日新聞世論調査 t.asahi.com/8h6r


昨日記121021日 (24/14晴 塔本ひろこ「花ものがたり」京都下鴨) goo.gl/fx8c5


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昨日記121021日 (24/14晴 塔本ひろこ「花ものがたり」京都下鴨)

2012年10月22日 17時47分26秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
昨日午後から京都の下鴨神社の横の下鴨本通の西にある「WEスペース下鴨」というギャラリーカフェに行った。
塔本ひろこさんの「花ものがたり」を見に行くためだ。
このギャラリーは、前に一度行った記憶があるが、場所は忘れていたので、はがきの地図を頼りに向かった。
京阪電車の終点出町柳駅から西へ、高野川の橋を渡り加茂川を渡らず、下鴨神社に沿って下鴨本通を少し北に上がったところに小さな看板が出ている。
入り口を入ると、小さな芝の植え込みに絵本に出てくるような動物の置物があって心を和ませる。
そのまま道に沿って6mほど庭を歩くと、ギャラリーに着く。

中では、塔本ひろこさんとギャラリーオーナーやひろこさんのお友達家族が、来ていて話が弾んでいた。
私は作品を一通り見た。
少女が、草原の中で大きな帽子を被り遠、くを見ている後ろ姿を描いていて、詩情豊かなメルヘンチックな作品だった。

それから、テーブルに着きコーヒーを飲みながら、楽しい話を聞いていた。
お友達家族に1-3歳の女の子がいて、言葉を話し始めたらしく、覚えたての単語をならべ、面白い事を言っては皆を笑わせていた。
大人の女性、多分お母さんの真似をしているらしい。
その後、ひろこさんの息子で建築家(1級建築士)の塔本研作氏の一家が来て、更ににぎやかになった。
お友達一家の女の子が、研作氏の1歳前後の女の子に挨拶に行ったりして笑いを誘っていた。

塔本研作氏の奥さんのお父さんが、「怪しい地名研究」という本を出されていて、その本の内容はアイヌ語と地名との関係について郵便番号をベースにして地名研究をされた本である。
その本の表紙は、塔本賢一さんが描かれていて、その本を賢一さんからいただいた。
その本の内容は、日本の古代の地名とアイヌ語が関係するかもしれないという説であった。

私も30代ごろから古代史や考古学が好きになり、専門書も読んだりしていたが、ギャラリーを始めてからは遠ざかっていて、更に経済的に追い詰められてからは、趣味どころではない状態になり精神的に切羽詰った状態で生活していた。
その後自己破産後し、同じ頃に年金が食べるのには困らない程度支給されるようになり生活も落ち着いた。
近年は、高い本は買えないので、図書館から本を借りて、昔好きだった古代史や考古学関係の本を読み始めたところだった。

ちょうどいい機会なので、アイヌ関連の古代史(蝦夷)や考古学を調べ始めた。
そして多くのことや、縄文時代や弥生時代のことを知った。
言葉に関しては、日本語のルーツや近縁性を統計学的に分析した本を見つけて購入し、かなりのことが理解できた。
この本に書かれていることと、「怪しい地名研究」が少し関係しているところがある。
「怪しい地名研究」に刺激を受け今まで、私自身余り知識の無かった、縄文時代や石器時代の本も読んだ。
その結果、弥生時代や縄文時代や新石器時代のイメージや年代観も、私の中で随分変化した。

今回の展覧会で、もし本をいただいたご主人の賢一さんも来られていれば、怪しい地名関連の話も出来るかもしれないと思って、日本語のルーツの本を持って行った。
賢一さんは、来られなかったが、研作さんご夫妻が来られたので、よければ「怪しい地名研究」の著者である奥さんのお父さんに読んでいただけたら、今後の研究に活かせるかもしれないと思い本を預けた。

「花ものがたり」の展覧会を終えてから、三条通り周辺のギャラリー廻りをする予定であったが、話がはずみ遅くなり、行けなかった。

帰り道は、少しだけ加茂川の河原を歩いた。
出町柳周辺は昔何度も足を運んだなじみの地である。
加茂川の河原もよく歩いたし、三条まで軽くランニングをしたこともあった。
高野川上流の山々も、何度も何度も登った。
京都は、山も川も街もすべてお気に入りの場所である。

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10月21日(日)のつぶやき

2012年10月22日 02時06分16秒 | 携帯メール投稿・つぶやき twitter
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昨日記121020土 (22/12晴 西天満ギャラリー)

2012年10月21日 13時25分19秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
昨日は、古代史の会の講演会があったので行くつもりであったが、いつものように土曜日ということで、午前中TVを漫然と見すぎ、時間があるのに、ルーチンをやってなく、午後に昨日記を書く羽目になった。
そこで、講演会が私にとって面白そうなものかを考えるために、講演者の研究を調べてみた。
古墳と記紀のの関連に関しての本も出されていて、橿原考古学研究所の方なので面白そうだが、最近は私の関心は弥生とか縄文関係の本を読んでいるので、今回はパスすることにし、昨日記を書くことに専念した。

昨日記投稿後はいつもの土曜日の通り、西天満に行きいつも行く画廊を廻って、天満橋で本を読んで帰宅した。
乙画廊のトヨクラタケル氏のフェルトや紙を使った、コラージュ作品には、その技におどろかされた。
別のギャラリーでの作品で思ったことは、哲学的なテーマが背景にある場合は、どれだけその哲学や思想を理解し反映させているのかまたは象徴化しているのか、見る方も、製作する方も難しい問題だと思った。

ニュースメモをやめて、継続する日常作業の負担はずいぶん軽減されたが、この昨日記ですら、負担に思うことがある。
書くべき記事の内容が、そんなにあるわけでない。
日常は、誰でも退屈なものであり、多くのことを見過ごしてそのまま気付くことなく忘れ去っていく。
退屈な中から何かを、掘り出し、文章化し、意識化し認識することにより、改めて見過ごしていた物事に、価値を発見することがある。
書き進めるうちに、何かにはっと気付いたりすることもあるし、構造として見えていなかったものが、意識の下に見えてくることもある。
そうした出会いを大切にし、蓄積していかねばと思う。

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10月20日(土)のつぶやき

2012年10月21日 02時04分05秒 | 携帯メール投稿・つぶやき twitter

週刊朝日問題に関連した橋下氏の知られざる別の一面からの指摘は、興味ある話だ。 : 橋下氏についての週刊朝日連載 全身ノンフィクション作家/ウェブリブログ u-yosihiro.at.webry.info/201210/article…


昨日記121019金 (22/16晴 ジム ランニング28分 ひむがし寄席) goo.gl/WpYD3


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昨日記121019金 (22/16晴 ジム ランニング28分 ひむがし寄席)

2012年10月20日 15時28分09秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
昨日は、夜に「ひむがし寄席」に行く予定をしたので、ジムに3時ごろから出かけた。
筋トレについては一週間以上行っていないので、筋力が落ちているだろうと予想し、予想通り落ちていたが少し落ちたかなという程度だった。

問題はランニングだ。
火曜日に走ったときは、非常に体力的に厳しかったので、ペースを落として走ることにした。
時速8kmからはじめ8.5km・9kmとあげてゆき、最終的には時速9.3kmで、トータル28分間で4.3km走った。
はじめ、ハムストリングはじめ何箇所か、軽い筋肉痛があったが、走り出して10分を過ぎる頃には筋肉痛は無くなった。
ランニング終了後も、今も、筋肉痛は起きていない。
遅いスピードで走ったので、息の上がり方も前回より楽だった。
筋トレやランニングの長い夏休みを終えて、トレーニングを始めてやっと体が慣れてきたという感じだ。
やはり筋トレやランニングは、私にとって今のやり方ではハードな運動のようだ。
(ハードなのは、私のやり方が原因で、楽に運動することも可能と思っている。)

ジムから帰って、「ひむがし寄席」まで時間があるので、ファストフードによって一休みしてから行くことにした。

その前に、ジムから帰って必ずしなければならないことがある。
下着の着替えと洗濯準備を帰宅後すぐにして、その後プロテインの補給をする。
ジムで運動が終わるとシャワーを浴び、そのときにトレーニングパンツや、トレーニングシャツ等運動時に身に着けていた衣類や手ぬぐいは汗まみれなので、シャワーの後すべて洗濯物としてまとめて持ち帰るが、下着はパンツだけ、はきかえる。
ジムでは、ランニングを終わりにすることが多く、シャワーで体を冷やしても熱が取れないため、冬でも汗が出て濡れるので、シャツは家に帰って汗が引いた頃に着替えるようにしている。

洗濯準備や、栄養補給を済ませ、駅のファストフードでコヒーを飲みながら本を読んで体を休めた。
その後、時間を見計らって区民センターで開かれる「ひむがし寄席」に行った。
20名弱のお客だった。
この寄席には、以前数回行ったことがある。
出演前までの待ち時間に来場者が話していた話が耳に入った。
何でも来場者が7名のときもあったという。
3人の若手落語家の席で、全員うまくこなしていて、中堅並みに噺をする落語家もおり、面白かった。
入場料が500円定員20名ということで、安いのも魅力的だ。
久しぶりに落語を楽しんだ。

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10月19日(金)のつぶやき

2012年10月20日 02時09分39秒 | 携帯メール投稿・つぶやき twitter
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昨日記121019木 (18/16曇 プール)

2012年10月19日 10時51分37秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
昨日昼ごろ、タイマー録音していた英語番組が時間が来ても録音していないのに気付いた。
またSDカードの4Gの容量がいっぱいになったらしい。
ここ数日気になっていたことが起きてしまった。
昨日2本分の番組を録音し損ねた。
その後すぐに、SDカードをPCに入れ、録音ファイルの取り込みにかかった。
単純作業で数か多いので時間がかかる。
作業終了後、4月以来収録した各講座のファイル容量をチェックすると1.5Gから3Gを超えていた。
録音している番組は5本以上あるので10G以上になる。
無論収納は、PCの動作に影響しないところのハードディスクに入れていて、いつでもすぐに内臓ハードディスクから内臓ファイルを取り出してPCで再生できるようになっている。

この作業をしながら、時間のかかるテープのアナログーデジタル変換の作業も進すめなければと思った。
テープのデジタル変換作業はテープの処理を放置するとそのまま録音されるので、節目ごとに付いて操作してやらないと具合が悪いので手間なのだ。

昼になったので、昼食の準備をしていて、冷凍ご飯がなくなっているのに気付き、ご飯だけスーパーに買いに行くはめになり、ご飯購入後すぐに炊飯を開始した。
昼食の前後は、炊飯や盛付冷凍作業で、時間をとられてしまった。

夕方にブログを仕上げ、久しぶりにプールに行く。
300m程泳いで引き上げた。
予想通り、最近泳ぐ機会が減ったため泳力が落ちてきた。
夏は、50mプールで1000m泳いでもでも平気だったのが、周囲につられスピードを上げて泳ぐせいか200m完泳すると、息が上がっている。
毎日とは言わなくても一日おきぐらいには、泳ぐようにしたいと思う。
スピードについては、
25m25秒以下(去年達成していたが、今は落ちている。)。
50m55秒以下
100m120秒以下 200m240秒以下
を目標にしたい。

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10月18日(木)のつぶやき

2012年10月19日 02時03分23秒 | 携帯メール投稿・つぶやき twitter

昨日記121017水 (21/18曇/大雨 読書<江戸時代について>) blog.goo.ne.jp/sksoo/e/d9ec96…


尖閣問題で民族主義を煽ると、他の民族主義も刺激を受けて、チベットや新疆ウイグルの分離独立運動を刺激するのは明白だ。尖閣問題深刻化は、中国のさまざまな矛盾もさらけ出すことになる。 : 中国、尖閣上陸の活動家を拘束 民族主義的な活動抑制 t.asahi.com/8fyk


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昨日記121017水 (21/18曇/大雨 読書<江戸時代について>)

2012年10月18日 17時43分15秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
昨日午後から天気が崩れ、そのため読書とTVを見る一日となった。
昼食後、天気予報で午後から天気が悪くなり前線の通過により大雨が降るという話もあった。
食後、TVのデータ放送で、天気図やレーダー画像を見ると、強い雨雲が神戸辺りにあり、数時間後には、大阪に来るだろうと予想した。
昼食後は、まだ曇天だったので、急いで不足している食料品の買出しに少し離れているスーパーに出かけ、食材をかなり安く仕入れることが出来た。
スパーを出て、家に戻る頃には雨がポツポツ降り始め、雨が本降りになった。

家に帰宅して、することも無いのでラジオで音楽を聴きながら本を読み始めた。
カルチャーラジオの「江戸から考える 日本人の心」(大石学)だ。
断片的に知っていることも多かったが、初めて聞く話も多くある。
何より、体系的に視点を据えて江戸時代を分析すると非常に面白い構造の実態が見えてくる。
例えば、「官僚になった武士」に絡んで由井小雪、宮本武蔵、柳生但馬守宗矩、幡随院長兵衛とかぶきものや奴、といった話や鍋島騒動や大久保彦左衛門といった、講談でおなじみの実在の人物の話を、武士という武力集団による未開ともいえる「武断政治」から、武家諸法度を基にした文治政治、法令を中心とした国家とその専門家である官僚への構造転換という文明化の視点で見ると、すべてその背景や構造が見えてきて、歴史的にすっきりと江戸社会の一断面を見通せる。
三代将軍家光の頃になると、武士は「一所懸命」と命がけで自分の領地支配をするものであったのが、大名も国替えは当たり前となり、大名の部下の藩士も藩士が村から直接年貢を取り立てる、地方知行(じかたちぎょう)は制限され、藩からの俸禄に移行するところも多くなったという。

この本を読んでいて、江戸と火災とか、鎖国とか経済や大岡越前の実像や教育といった、さまざまな視点から江戸時代を分析していて、江戸時代が封建的な停滞した社会でなく、ダイナミックな時代であったことが分かった。
江戸時代の庶民の教育水準は、世界的に見ても、非常に高かかったようだ。

昨日は、雨が上がったので、ファストフードにも行き、気分を変えて本を読み続けた。
そのときに読んだ箇所が、「江戸時代の小さな政府」と「新選組」(未完)だった。
江戸時代の小さな政府では、八代将軍吉宗の時代に登場した、尾張藩主徳川宗春のことが書かれていた。
宗春のことも、それまでのTV等の教養番組かクイズ番組で見たことがあり、名古屋で芸事が盛んな理由に関連して、少し知識はあったが、将軍との確執等はしらなかった。
しかしこの本を読んで、その根底の構造問題がわかった。
将軍と宗春は真正面から対決し、当然のことながら、宗春は敗れ、その後一生蟄居謹慎の身となった。

その夜食後、TVを見ていて、宗春のことが放送されると気付き、NHKの「歴史秘話ヒストリア」を見た。
そういえば、以前から宗春関連の予告番組を何度か見ていたが、宗春の話とは、気付いていなかった。
その番組を見た。驚いたことに、本で読んだことがすべて映像化されていた。
番組の最後のほうで、宗春の墓にまで金網がかぶせられていたシーンがあったが、このことは本に載ってなかったと思ったが、念のためテキストを見ると、その記述があった。
私が、読んだ内容の一部を忘れていたのだ。

番組を見終わった後、映像で見るとよく分かるが、本を読むと映像の数分の一以下の時間で概念的・構造的なことは理解できることが分かった。
しかし図表やマンガにすると、文章よりはるかに理解しやすいことが多いのも事実である。
マンガとアニメは時間軸の有無の違いがある。
絵画や写真と、映像・映画の表現の差と同じであろう。

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10月17日(水)のつぶやき

2012年10月18日 02時03分44秒 | 携帯メール投稿・つぶやき twitter
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昨日記121016火 (26/16 晴 ジムでランニング)

2012年10月17日 11時32分28秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
昨日朝からブログを早く済ませて、いろいろやらねばならぬことをしなければと思っていたが、実は差し迫ってやらねばならぬことは何も無い。
すべて、私のやらねばならぬ計画は、自分で計画してやることで充実感が得られることばかりである。
このことに関してブログを書きつつ、少し考えたが、長くなったので別項目で書く。

こんな状態なので、PCを開くとついついニュースやTW(ツイッター)やFB(フェースブック)を見てしまう。
昨日も長い間、twやfbを見ていたが、途中で私自身情報洪水に流されているのではと思い、反省の意味をこめてブログを書いた。
このことは、以前から気付いていて、何度も同様の趣旨のブログを書いた覚えもあるが、一向に改まらない。

夕方からジムに行った。
記録を見ると。6日ぶりだった。
少し込んでいたので、ランニングをした。
時速9.6kmで23分間 約3.7km走った。
足は大丈夫だった
走り出して、10分近くなってから息が上がりだし、苦しかった。
最後のほうは、一刻も早く終わりたい気分だった。
疲労感が強く、その後予定していたウエイトトレーニングはやめた。
整理運動後に体重を量ると500g以上低下していて、かなり汗をかいたようだ。
予想したより、疲労が激しく、体重の低下も大きかったので原因を考えた。
どうやら、土曜日のオープニングパーティで、ワイン等の酒を大量に飲んだことが、今回の不調につながったのではないかと思っている。
今後も、少しの間時速9.6km23分間で走り、体を慣らし順応させてから、徐々に時速と時間を上げていき、最終的には、5kmを30分間で走れるようにしたい。

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