昨日記121207金(9/2晴 ジム ランニング 29分間 走行距離4.6km ) goo.gl/1hJM4
今まで昨日記を書きながら、その場で思いついたことをつらつらと書いてきた。
121206で美術史に絡んだ感想もその一つであるが、その感想はある意味非常に不正確である。
例えば、美術史という観点からすると流れを完全にはしょっているのは間違いなく、バロックやロマン派や印象派や抽象絵画の同時発生的発生のきっかけとか、キュビズムやダダ以降の現代の様々な流れといった美術史の流れと、写真の影響は簡単に語れないことは言うまでもないが、大きい目で見れば、絵画と写真や動画を含む映像技術との関係性はいろいろ議論されてきた。
いまや、平面のみならず、IT技術は超精密立体の複写やデータ入力による制作も可能にしていて、美術の分野では彫刻も平面と同様の芸術的問題が発生するであろう。
こうした議論では、芸術の本質が問われる。
少なくとも、一つの有力な見方としては、芸術はコミュニケーションであるという見方だ。
コミュニケーションである限り、そこには、表現者と鑑賞者の存在が不可欠である。
そもそも、芸術は人間の存在なくしてありえない。
その人間は、自然の産物で、地球環境なくしては存在し得ない生命体である。
人間は、脳によって外界を認識していて、その認識が人間同士共通のものとして認識や情報を共有し集団を作り、言語を基本として様々な情報を言語のかたちで保存した。
さらに人間は、言語の蓄積保存で時空を超えて体験を共有し、文化文明を生み出し、その中から更に医学、法律、科学技術、文化芸術芸能を生み出したのだ。
このように考えると、芸術は、人間の創造した頭の中の世界の一つで、その基本は内面の表現でありコミュニケーションである。
その意味において、大きくくると写真や動画とその他PCを駆使した画像表現も同列に見る見方もあるだろう。
そのような立場(パラダイム)のものから見れば、過去の絵画表現は、歴史的価値=骨董品の価値ということになる。(岡本太郎の富士山の八の字芸術論にも関連する。?)
無論価値観が違えば違った見方になることは、言うまでもないが、人間の価値観は、自然科学と違って、各人、風土、民族で異なっていて、絶対ということはありえない。
今までこの昨日記に上記のようなことや、政治や科学もここに書き込んだ。
当初はそうした議論は、個別のブログにする予定であった。
過去の昨日記から、少し掘り下げて考えたことを見つけ出そうとすると困難であることが分かった。
今後、このような話は、当初の予定通り、それぞれのカテゴリーとして書きたいと思う。
ただ、昨日記が昨日の行動記録になると、外出しない場合は、一行で終わるので、出来るだけ日常生活の感想を書いていくようにしたい。
さて昨日は、昨日記を書きながら、上記のような議論が絡み始め、書く内容が複雑になり、かつ、先ほど書いたようにはしょって書いても、複雑になり午後も含め、多くの時間を費やしてしまった。
結局、必要最小限の食材の買物を済ませた。
間の時間は家事(調理や片付け)が待ち構えていて、結構時間がかかる。
どうしてもランニングをしておかないと、来週の火曜日までブランクが空くので何とか時間を作ってジムに行った。
とにかく、準備運動も抜きで、29分間走った。
時速9.7kmで10分間、時速9.5kmで19分間、計29分間約4.6km走った。
本当は、できる限り時速9.7kmで走ろうと思っていたが、10分が限界だった。
疲れはあったが、直ぐに回復した。
昨夜、眠りについてから、下半身に熱を持ち下半身がほてったが、沈静化。
その後、今朝は、ぐっすり寝込み目覚めは8時50分ごろで、寝覚めは爽快だった。
121206で美術史に絡んだ感想もその一つであるが、その感想はある意味非常に不正確である。
例えば、美術史という観点からすると流れを完全にはしょっているのは間違いなく、バロックやロマン派や印象派や抽象絵画の同時発生的発生のきっかけとか、キュビズムやダダ以降の現代の様々な流れといった美術史の流れと、写真の影響は簡単に語れないことは言うまでもないが、大きい目で見れば、絵画と写真や動画を含む映像技術との関係性はいろいろ議論されてきた。
いまや、平面のみならず、IT技術は超精密立体の複写やデータ入力による制作も可能にしていて、美術の分野では彫刻も平面と同様の芸術的問題が発生するであろう。
こうした議論では、芸術の本質が問われる。
少なくとも、一つの有力な見方としては、芸術はコミュニケーションであるという見方だ。
コミュニケーションである限り、そこには、表現者と鑑賞者の存在が不可欠である。
そもそも、芸術は人間の存在なくしてありえない。
その人間は、自然の産物で、地球環境なくしては存在し得ない生命体である。
人間は、脳によって外界を認識していて、その認識が人間同士共通のものとして認識や情報を共有し集団を作り、言語を基本として様々な情報を言語のかたちで保存した。
さらに人間は、言語の蓄積保存で時空を超えて体験を共有し、文化文明を生み出し、その中から更に医学、法律、科学技術、文化芸術芸能を生み出したのだ。
このように考えると、芸術は、人間の創造した頭の中の世界の一つで、その基本は内面の表現でありコミュニケーションである。
その意味において、大きくくると写真や動画とその他PCを駆使した画像表現も同列に見る見方もあるだろう。
そのような立場(パラダイム)のものから見れば、過去の絵画表現は、歴史的価値=骨董品の価値ということになる。(岡本太郎の富士山の八の字芸術論にも関連する。?)
無論価値観が違えば違った見方になることは、言うまでもないが、人間の価値観は、自然科学と違って、各人、風土、民族で異なっていて、絶対ということはありえない。
今までこの昨日記に上記のようなことや、政治や科学もここに書き込んだ。
当初はそうした議論は、個別のブログにする予定であった。
過去の昨日記から、少し掘り下げて考えたことを見つけ出そうとすると困難であることが分かった。
今後、このような話は、当初の予定通り、それぞれのカテゴリーとして書きたいと思う。
ただ、昨日記が昨日の行動記録になると、外出しない場合は、一行で終わるので、出来るだけ日常生活の感想を書いていくようにしたい。
さて昨日は、昨日記を書きながら、上記のような議論が絡み始め、書く内容が複雑になり、かつ、先ほど書いたようにはしょって書いても、複雑になり午後も含め、多くの時間を費やしてしまった。
結局、必要最小限の食材の買物を済ませた。
間の時間は家事(調理や片付け)が待ち構えていて、結構時間がかかる。
どうしてもランニングをしておかないと、来週の火曜日までブランクが空くので何とか時間を作ってジムに行った。
とにかく、準備運動も抜きで、29分間走った。
時速9.7kmで10分間、時速9.5kmで19分間、計29分間約4.6km走った。
本当は、できる限り時速9.7kmで走ろうと思っていたが、10分が限界だった。
疲れはあったが、直ぐに回復した。
昨夜、眠りについてから、下半身に熱を持ち下半身がほてったが、沈静化。
その後、今朝は、ぐっすり寝込み目覚めは8時50分ごろで、寝覚めは爽快だった。
昨日は、案内状をいただいたり、チケットをもらったりしたので、以前から予定を組んで西宮市大谷記念美術館とBBプラザ美術館で行われている上前智祐展に行くことにした。
昼食を速めに済ませ、大急ぎで出かけた。
西宮市大谷記念美術館へは、何度か行ったことがある。
「40周年記念 フランス vs 日本 近代絵画」が開催されていた。
美術館所蔵の近代美術作品を、人物 静物 風景に分類して展示してあった。
こうした、近代の作品を見て特に日本の作家に関しては、骨董品的古さを感じた。
美術・芸術の本質とは何かを考えた。
中世まで、人類は芸術の概念が無かった。
古代の世界は、すべての芸術は、神への捧げ物だった。
皆で楽しむ踊りや音楽でさえ、神や先祖への感謝や祈りの表現であったり、部族間の団結を高めたり作業歌であったりした。
神を賛美・奉仕する芸能から、人間中心の芸術に変化するのは、ルネッサンス以降、近世になってからだろう。
ただ、西洋哲学の源流であるギリシャローマでは、美について議論されたが、「美」と現代において使われている「芸術」とは同一ではないだろう。
表現や存在や芸術ということを考えると、単なる美の議論だけではすまない。
現代では「芸術」の中に、表現者と鑑賞者の関係性が含まれていて、ある程度双方の共通のコードが必要であり、哲学的にはコミュニケーンの一形態と考えられているのではないか。
また、美の意識も、各個人の実存的背景(例、宗教、気候、風土、民族、伝統、社会階層、教育レベル・・・・)で全く異なる。
例えば、同じ日本人ですら、伝統芸能の雅楽や浄瑠璃のよさは、多くの人が分からないと思われる。
国や、気候風土が違えば、お互いのコード(紐解き理解するための文法文脈といったキーになるもの・価値)が違うので、同じ文化を共有している人同士は良く分かるが、お互いに違う文化を持っている人たちの間では、学習しないと理解し、感情移入したり、感じることはできないのだ。
近代の美術は、ルネッサンス以降の哲学の影響も大きく受けているようだ。
日本を含む西欧以外の地域では、西欧文明を受け入れ、近代哲学や西欧の価値観を理解するまでは、芸術という概念すら無かったのではないか。
因みに、日本で芸術という言葉は、明治時代に西周によって意味を付加されたという。
それまで、日本では美術も技だったのだろう。
そうした中にあって、明治以後西洋絵画を受容し、ヨーロッパ美術を模倣し追いつこうとした日本の画壇は、多くの美術団体を作り、競い合ってきた。
その結果、団体上層部の意向に沿ったよく似た傾向の作品がたくさん作られ、現在も続いている。
人類は、写真を開発する前までは、自然主義等の影響で物語や神話を描いた作品と並び写実も芸術だった。
少なくとも、絵画は特権階級のもので、その中に肖像画や室内装飾のための風景画や静物画も含まれていた。
しかし、写真が開発され、絵画はその存在や芸術性を問われ、様々な具象系絵画が発生し、抽象絵画も誕生した。
現代では、IT技術により写真も動画も満ちあふれ、その意味で映像画像を見慣れている現代人にとって、写実絵画(風景・人物・静物)とは何だろうという疑問を持った。
無論、美術の基礎技術としての写実は分かるし、絵画の中に駆使された技術やこめられた意図も理解できるが。・・・
話が変な方向に走ったが、元に戻そう。
西宮市の美術館の庭園は、美しかった。
思ったより早くみ終えたので、BBプラザに行こうと阪神電車に乗ったが、下車駅を間違え大石駅で降りた。
なんとなく周囲の風景が、以前見た風景と違うので、案内状を見ると岩屋駅下車であった。
慌てて道を引き返し、阪神電車で岩屋駅に向かった。
阪神沿線の兵庫県立美術館に行く途中にあるBBプラザ美術館で開かれている上前智祐展に行った。
上前さんは、ギャラリーで何度かお会いしたことはあり、先生は私のことを覚えておられないだろうが、私にとっては身近な作家でもある。
上前さんについて、具体に加入する前のことは断片的にしか知らなかったが、今回上前さんが具象を描いていた頃の情報も初めて知った。
上前さんの作品をみながら、なんとなく安心感とか開放感を感じた。
西宮の美術館で、具象作品を見ていたときとは、全く違う刺激的な感覚を肌で感じた。
その差はなんだろうと問い続けた。
写実絵画に特徴的な技巧にこだわる姿勢が、映像技術が一般化した現代では、単なる写実であれば、PC上の映像で再現できるよううになり、画像としてみた場合、絵画で描写技術にこだわる意味がなくなり、多くの人をあっと言わせる感動がなっているのかもしれないと感じた。
その点、現代抽象絵画では手描きの痕跡そのものも作品の重要な一部になる。
上前さんの展覧会を見終えて時間があったので、兵庫県立美術館に行くことにした。
兵庫県立美術館では「現代絵画のいま」を開催していた。
西宮の美術館から上前さんの作品、そして現代美術と駆け巡ってきた。
「現代絵画のいま」の様々な作品を見ながら、大きな型にはまらない開放感と、知的興奮を覚えた。
現代美術は、空間も含め具象絵画とは、はるかに違った複雑な知的作業を必要とするものもあるし、見たまま笑えるものもある。
なにより見ていて面白い。
昨日は具象絵画と現代絵画を見てきたが、その違いがなんとなく見えてきた。
だが、現代美術については、簡単に一まとめでくくることは出来ないし、いろんな方向性があるので、作品を見る場合にはそのパラダイムなり文法・文脈で見なければしっかりとした面白さが伝わらないのも事実だ。
その点、この展覧会では、作家ごとに数行程度の短い解説がしてあるリーフが渡されるので、理解しやすい。
今回具象絵画と現代絵画を見比べて、改めて実感したことは、少なくとも現代絵画では、どう表現し描くといった表現の技法(フォルム、色、マチエール)ではなく、何を描き伝えるのかが重視されることが分かった。
例えば、何もない空間だと思っていたら、薄く枠が書いてあり、その中に非常に小さなドットで絵を描いているとか、一見ただの風景画に見えるが仕掛けがあったり、部屋一面の大絵画でそこに人物の顔や姿があったり、絵が解けて流れたり、とにかく見ていて面白いし、刺激が伝わってくる。
3つの展覧会を見て、改めて近代美術と現代美術の差や芸術について考えさせられた。
帰りに京橋のダイエーによって、冬物の衣類を見て廻った。
今日も室温が10度を切り、底冷えがする。
もう少し防寒対策を強化しなければと考えている。
昨日は、歩き回って少し疲れた。
昼食を速めに済ませ、大急ぎで出かけた。
西宮市大谷記念美術館へは、何度か行ったことがある。
「40周年記念 フランス vs 日本 近代絵画」が開催されていた。
美術館所蔵の近代美術作品を、人物 静物 風景に分類して展示してあった。
こうした、近代の作品を見て特に日本の作家に関しては、骨董品的古さを感じた。
美術・芸術の本質とは何かを考えた。
中世まで、人類は芸術の概念が無かった。
古代の世界は、すべての芸術は、神への捧げ物だった。
皆で楽しむ踊りや音楽でさえ、神や先祖への感謝や祈りの表現であったり、部族間の団結を高めたり作業歌であったりした。
神を賛美・奉仕する芸能から、人間中心の芸術に変化するのは、ルネッサンス以降、近世になってからだろう。
ただ、西洋哲学の源流であるギリシャローマでは、美について議論されたが、「美」と現代において使われている「芸術」とは同一ではないだろう。
表現や存在や芸術ということを考えると、単なる美の議論だけではすまない。
現代では「芸術」の中に、表現者と鑑賞者の関係性が含まれていて、ある程度双方の共通のコードが必要であり、哲学的にはコミュニケーンの一形態と考えられているのではないか。
また、美の意識も、各個人の実存的背景(例、宗教、気候、風土、民族、伝統、社会階層、教育レベル・・・・)で全く異なる。
例えば、同じ日本人ですら、伝統芸能の雅楽や浄瑠璃のよさは、多くの人が分からないと思われる。
国や、気候風土が違えば、お互いのコード(紐解き理解するための文法文脈といったキーになるもの・価値)が違うので、同じ文化を共有している人同士は良く分かるが、お互いに違う文化を持っている人たちの間では、学習しないと理解し、感情移入したり、感じることはできないのだ。
近代の美術は、ルネッサンス以降の哲学の影響も大きく受けているようだ。
日本を含む西欧以外の地域では、西欧文明を受け入れ、近代哲学や西欧の価値観を理解するまでは、芸術という概念すら無かったのではないか。
因みに、日本で芸術という言葉は、明治時代に西周によって意味を付加されたという。
それまで、日本では美術も技だったのだろう。
そうした中にあって、明治以後西洋絵画を受容し、ヨーロッパ美術を模倣し追いつこうとした日本の画壇は、多くの美術団体を作り、競い合ってきた。
その結果、団体上層部の意向に沿ったよく似た傾向の作品がたくさん作られ、現在も続いている。
人類は、写真を開発する前までは、自然主義等の影響で物語や神話を描いた作品と並び写実も芸術だった。
少なくとも、絵画は特権階級のもので、その中に肖像画や室内装飾のための風景画や静物画も含まれていた。
しかし、写真が開発され、絵画はその存在や芸術性を問われ、様々な具象系絵画が発生し、抽象絵画も誕生した。
現代では、IT技術により写真も動画も満ちあふれ、その意味で映像画像を見慣れている現代人にとって、写実絵画(風景・人物・静物)とは何だろうという疑問を持った。
無論、美術の基礎技術としての写実は分かるし、絵画の中に駆使された技術やこめられた意図も理解できるが。・・・
話が変な方向に走ったが、元に戻そう。
西宮市の美術館の庭園は、美しかった。
思ったより早くみ終えたので、BBプラザに行こうと阪神電車に乗ったが、下車駅を間違え大石駅で降りた。
なんとなく周囲の風景が、以前見た風景と違うので、案内状を見ると岩屋駅下車であった。
慌てて道を引き返し、阪神電車で岩屋駅に向かった。
阪神沿線の兵庫県立美術館に行く途中にあるBBプラザ美術館で開かれている上前智祐展に行った。
上前さんは、ギャラリーで何度かお会いしたことはあり、先生は私のことを覚えておられないだろうが、私にとっては身近な作家でもある。
上前さんについて、具体に加入する前のことは断片的にしか知らなかったが、今回上前さんが具象を描いていた頃の情報も初めて知った。
上前さんの作品をみながら、なんとなく安心感とか開放感を感じた。
西宮の美術館で、具象作品を見ていたときとは、全く違う刺激的な感覚を肌で感じた。
その差はなんだろうと問い続けた。
写実絵画に特徴的な技巧にこだわる姿勢が、映像技術が一般化した現代では、単なる写実であれば、PC上の映像で再現できるよううになり、画像としてみた場合、絵画で描写技術にこだわる意味がなくなり、多くの人をあっと言わせる感動がなっているのかもしれないと感じた。
その点、現代抽象絵画では手描きの痕跡そのものも作品の重要な一部になる。
上前さんの展覧会を見終えて時間があったので、兵庫県立美術館に行くことにした。
兵庫県立美術館では「現代絵画のいま」を開催していた。
西宮の美術館から上前さんの作品、そして現代美術と駆け巡ってきた。
「現代絵画のいま」の様々な作品を見ながら、大きな型にはまらない開放感と、知的興奮を覚えた。
現代美術は、空間も含め具象絵画とは、はるかに違った複雑な知的作業を必要とするものもあるし、見たまま笑えるものもある。
なにより見ていて面白い。
昨日は具象絵画と現代絵画を見てきたが、その違いがなんとなく見えてきた。
だが、現代美術については、簡単に一まとめでくくることは出来ないし、いろんな方向性があるので、作品を見る場合にはそのパラダイムなり文法・文脈で見なければしっかりとした面白さが伝わらないのも事実だ。
その点、この展覧会では、作家ごとに数行程度の短い解説がしてあるリーフが渡されるので、理解しやすい。
今回具象絵画と現代絵画を見比べて、改めて実感したことは、少なくとも現代絵画では、どう表現し描くといった表現の技法(フォルム、色、マチエール)ではなく、何を描き伝えるのかが重視されることが分かった。
例えば、何もない空間だと思っていたら、薄く枠が書いてあり、その中に非常に小さなドットで絵を描いているとか、一見ただの風景画に見えるが仕掛けがあったり、部屋一面の大絵画でそこに人物の顔や姿があったり、絵が解けて流れたり、とにかく見ていて面白いし、刺激が伝わってくる。
3つの展覧会を見て、改めて近代美術と現代美術の差や芸術について考えさせられた。
帰りに京橋のダイエーによって、冬物の衣類を見て廻った。
今日も室温が10度を切り、底冷えがする。
もう少し防寒対策を強化しなければと考えている。
昨日は、歩き回って少し疲れた。
昨日午前中は、まだ一昨日のランニングの疲れが残っていた。
筋肉痛はないが、なんとなく全身だるい感じであった。
そのため、ビタミンCを服用したり、プロテインを補給したりした。
たんぱく質の摂取量を調べたところ、過剰火も知れないと思っていたら、それほどでもなかった。
加齢により、たんぱく質の摂取労が低下し、更にジム等で運動している場合は、たんぱく質の不足に気をつける必要がある。
ジムに通っている人ですら、栄養面に気を配っていない人も多い。
前にも行ったように、生物の体は、新陳代謝で何もしなくても日々物質が入れ替わっているので、必ず補給することが必要なのだ。
炭水化物は単にエネルギーになるだけで、血や肉や骨にはならない。
その意味で、過剰なダイエットは危険である。
過剰なダイエットしていると、体の組織が脆弱になり、年をとってから様々な運動機能の低下や故障に悩まされる可能性がある。
糖分の過剰摂取や太りすぎも危険だ。
糖を過剰摂取すると活性酸素が多くなるといわれている。(ウイキペディア:メイラード反応 アクリルアミド参照)
活性酸素が多くなれば、老化も促進される。
糖分や炭水化物の摂取で血糖値は上昇する。
血糖値の上昇が、アルツハイマー病に関係しているという指摘もある。「ためしてガッテン アルツハイマー予防」
(http://www9.nhk.or.jp/gatten/archives/P20121121.html)
昼食後は、疲れもなくなったので軽く泳いで、体をほぐそうと思い、プールに行きクロールで休憩を取りながら、ゆっくり500mほど気持ちよく泳いだ。
帰宅後、以前から気になっていた、普段着の防寒ズボンとハイネックシャツを買いに、天満橋へ出かけた。
とりあえず、お茶を飲みながら本を読むのを楽しんだ後、ユニクロに行った。
適当なシャツや、防寒ズボンが見つかったので買って帰った。
ズボンは、家ではいてみると始めは良かったが、長時間着ていると少し冷えてくる。
真冬の室温は8度ぐらいになるので、もう少し暖かいものが必要だ。
やはり中綿入りのズボンが必要なのだろう。
昨日買ったズボンは、屋外活動用のオーバーズボンとして、ジーンズの上にはくのがよさそうだ。
まだ冬物衣料が不足している。
今持っている羽毛服の防寒ブルゾンにしても10年近く前から着ていて、既に袖口が一部擦り切れている。
いずれにしても、懐との相談だ。
身の丈に合った生活が最優先で、不足分は工夫とアルバイト(この歳になるとほとんど無い)で乗り切るしかない。!!
筋肉痛はないが、なんとなく全身だるい感じであった。
そのため、ビタミンCを服用したり、プロテインを補給したりした。
たんぱく質の摂取量を調べたところ、過剰火も知れないと思っていたら、それほどでもなかった。
加齢により、たんぱく質の摂取労が低下し、更にジム等で運動している場合は、たんぱく質の不足に気をつける必要がある。
ジムに通っている人ですら、栄養面に気を配っていない人も多い。
前にも行ったように、生物の体は、新陳代謝で何もしなくても日々物質が入れ替わっているので、必ず補給することが必要なのだ。
炭水化物は単にエネルギーになるだけで、血や肉や骨にはならない。
その意味で、過剰なダイエットは危険である。
過剰なダイエットしていると、体の組織が脆弱になり、年をとってから様々な運動機能の低下や故障に悩まされる可能性がある。
糖分の過剰摂取や太りすぎも危険だ。
糖を過剰摂取すると活性酸素が多くなるといわれている。(ウイキペディア:メイラード反応 アクリルアミド参照)
活性酸素が多くなれば、老化も促進される。
糖分や炭水化物の摂取で血糖値は上昇する。
血糖値の上昇が、アルツハイマー病に関係しているという指摘もある。「ためしてガッテン アルツハイマー予防」
(http://www9.nhk.or.jp/gatten/archives/P20121121.html)
昼食後は、疲れもなくなったので軽く泳いで、体をほぐそうと思い、プールに行きクロールで休憩を取りながら、ゆっくり500mほど気持ちよく泳いだ。
帰宅後、以前から気になっていた、普段着の防寒ズボンとハイネックシャツを買いに、天満橋へ出かけた。
とりあえず、お茶を飲みながら本を読むのを楽しんだ後、ユニクロに行った。
適当なシャツや、防寒ズボンが見つかったので買って帰った。
ズボンは、家ではいてみると始めは良かったが、長時間着ていると少し冷えてくる。
真冬の室温は8度ぐらいになるので、もう少し暖かいものが必要だ。
やはり中綿入りのズボンが必要なのだろう。
昨日買ったズボンは、屋外活動用のオーバーズボンとして、ジーンズの上にはくのがよさそうだ。
まだ冬物衣料が不足している。
今持っている羽毛服の防寒ブルゾンにしても10年近く前から着ていて、既に袖口が一部擦り切れている。
いずれにしても、懐との相談だ。
身の丈に合った生活が最優先で、不足分は工夫とアルバイト(この歳になるとほとんど無い)で乗り切るしかない。!!
昨日は午前中、昨日記を書きながら、古いレジュメの整理から筆が走り、ついつい2000年以後現在までの経歴を振り返った。
今まで複雑なため、まとめていなかったので(別に表形式ではまとめている)いい機会だったが、調べなおしたりするのに多くの時間がかかった。
結果的に、昨日記と2000年以後を書くために、午前と午後の大半の時間を費やしてしまった。
夕方からジムに行った。
トレッドミルでランニングをした。
昨日は、できるだけ長く走ることを目標にし、苦しいことは覚悟して出かけた。
10月末から時速9.0kmでの長時間走行を意識し始め、11月23日から時速9.2kmでの長時間走行を始めた。
11月27日は時速9.2kmで29+21分走り、強い疲労があった。
昨日も時速9.2kmで出来れば11月27日と同様27+21分間走りたいと思っていた。
限界まで走ることは出来れば避けたい、楽をしたいという気持ちは常にあるが、それでも強い疲労に襲われる可能性のあることは覚悟のうえで臨んだ。
体力や、筋力のレベルアップのためには、いつも必ず無理を承知で越えなければならない一線がある。
それを超えなければ、いつまでたっても上のレベルに到達できないのだ。
このことは、体験的にスポーツのみならず、あらゆる分野についていえると思っている。
その一線を越えるか超えないかは、本人の意思の力にかかっている。
結果的に時速9.2kmで29+26分間で約8.4km走った。
後から振り返ると、多少苦しくても後半も29分間走れた可能性があるし、走ればよかったと思った。
次回、体調に問題なければ29+29分間走行に挑戦しよう。
当分、9.2km29+29分間のランニングをしようと思う。
多分苦しいトレーニングが続くだろう。
そのうち、体が順応して時速9.2km29+29分間のランニングを楽に走れるようになると予想する。
その後は、時速10kmを目標に、スピードを徐々にスピードを上げたいが、体力の限界でスピードはどこまで上げることが出来るか分からない。
昨夜は予想通り疲労感が強かったので早く寝るつもりが、雑事が重なり普段どおりに寝た。
今日も多少疲労感がある。
今まで複雑なため、まとめていなかったので(別に表形式ではまとめている)いい機会だったが、調べなおしたりするのに多くの時間がかかった。
結果的に、昨日記と2000年以後を書くために、午前と午後の大半の時間を費やしてしまった。
夕方からジムに行った。
トレッドミルでランニングをした。
昨日は、できるだけ長く走ることを目標にし、苦しいことは覚悟して出かけた。
10月末から時速9.0kmでの長時間走行を意識し始め、11月23日から時速9.2kmでの長時間走行を始めた。
11月27日は時速9.2kmで29+21分走り、強い疲労があった。
昨日も時速9.2kmで出来れば11月27日と同様27+21分間走りたいと思っていた。
限界まで走ることは出来れば避けたい、楽をしたいという気持ちは常にあるが、それでも強い疲労に襲われる可能性のあることは覚悟のうえで臨んだ。
体力や、筋力のレベルアップのためには、いつも必ず無理を承知で越えなければならない一線がある。
それを超えなければ、いつまでたっても上のレベルに到達できないのだ。
このことは、体験的にスポーツのみならず、あらゆる分野についていえると思っている。
その一線を越えるか超えないかは、本人の意思の力にかかっている。
結果的に時速9.2kmで29+26分間で約8.4km走った。
後から振り返ると、多少苦しくても後半も29分間走れた可能性があるし、走ればよかったと思った。
次回、体調に問題なければ29+29分間走行に挑戦しよう。
当分、9.2km29+29分間のランニングをしようと思う。
多分苦しいトレーニングが続くだろう。
そのうち、体が順応して時速9.2km29+29分間のランニングを楽に走れるようになると予想する。
その後は、時速10kmを目標に、スピードを徐々にスピードを上げたいが、体力の限界でスピードはどこまで上げることが出来るか分からない。
昨夜は予想通り疲労感が強かったので早く寝るつもりが、雑事が重なり普段どおりに寝た。
今日も多少疲労感がある。
2000年の夏の画廊廃業後に、職安の紹介で第三セクターによる工業団地への企業誘致の仕事にかかわったが、これは中堅や中小企業のトップや幹部と面談する仕事で、面白かったしやりがいもあり、同期の中ではトップの実績も上げた。
循環バスがあることを知らずに、指定された臨海工業地帯の先端の会社まで、1日がかりで歩いて往復したこともあり、コンビナートの大きさを実感した。
この仕事では、私の技術者や管理職・幹部としての知識や経験が非常に役立ったし、同時に様々な製造業の業種の一端を垣間見ることが出来た。
(最初にUPした原稿では、私の勘違いで企業誘致と、このUSJの話の順番が入れ替わっていた。前年から続いていた企業誘致のプロジェクトが3月で終了する直前からの話である。)
企業誘致のプロジェクトが3月末で終了する直前の頃に、西天満の画廊回りをしていると、偶然画廊によく来られていたお客さん出会った。
その人の紹介で、USJ関係の期間限定の仕事で、コンピュータの入力関連の仕事をした。
そこでは、USJの舞台裏も見ることが出来た。
今思い出したが、USJ準備室がポートタウン(多分今の府庁の建物?で当時大阪市役所の部署が多く入居していた。)にあって、企業誘致の訪問先リストに指定されていた。
その場所に行ったが、当時事務所は移転後だった。(そのビルからの大阪湾の見晴らしはすばらしかった。)
当時、私はUSJが単なる外資系の中小零細企業のひとつと思っていた。
ところがその後オープンしたUSJを知り、その訪問先の会社が今のUSJジャパンであったことに気付いた。
USJの仕事を終えた後、職安を通じ、技術者として東大阪の2社のブラック企業?で技術者として働くことも経験した。
最初の会社では、契約社員のため、低賃金で残業手当も無く、夜11時までが当たり前で仕事をした。
その会社では、電子冷却等の設計開発関係の仕事もしたが、前任者の仕事の抱え込みその他でうまく進まず、一般の設計では、CADが使いこなせなかったため退社した。
(私が技術者だった30年近く前は、CADは非常に高価で、大企業しか使っていなかったので、CADの使用経験がなかった。)
その会社を退職後は仕事が無かったので、職安に相談して、ホームヘルパー2級の職業訓練を受け資格を取った。
資格取得後、ホームヘルパーの仕事を探したが、当時男はダメという事業所が多く、資格を陳腐化させないために、ある施設に頼んでデイサービスのボランティアを1ヶ月程させてもらった。
しかし、お金も無くいつまでもボランティアは出来ないので、介護の仕事をあきらめ、再び職安で技術者の仕事を見つけた。
その仕事は、東大阪の大手照明器具下請け会社での工場改善の仕事だった。
この会社でも契約社員のため残業休日出勤手当ては無く、日曜日も工場改善で出勤し、汚れを落とし塗装してピカピカに清潔にし、工場ラインを変え大幅な改善を図りラインの効率を良くしたにもかかわらず、新米のワンマン・独裁社長から理不尽なクレームを付けられ、怒鳴り散らされ、挙句の果て自己都合で契約期間終了とともにやめさされる始末。(やめる前の業績評価で、他の役員から私の改善業績が認められ、わずかな報奨金をもらったのがせめてもの救いだった。)
更に会社をやめるときには、会社都合でやめた形になっているのに、職安では自己都合で処理された。
(多分高齢者採用やトライアル雇用の補助金等もらっている可能性があるのかも知れない。社労士関連の会社に行って、補助金のことを知った。)
ブラック企業?で働いた後、保険や企業の業務支援をする会社で、正社員として社労士と共同して作業する営業関係の仕事を数年間した。
このとき数年かけて、雨の日も風の日も毎日スーツ姿で自転車に乗って、大阪市内から尼崎や伊丹市まで住宅地図を片手に、すべての中小零細企業(主に製造業関係)をしらみつぶしに訪問し営業した。
基本的には、毎日廻っている地区の駅の駐輪場に自転車を預け、朝はたまに会社で朝礼してから担当地区まで行くが、通常は家から担当地区へ直行し、自転車で一軒ずつ会社回りをし、帰りは電車で御堂筋にある会社へ戻り、成果を報告するという毎日だった。
このときも、営業でそれなりの実績を上げた。
そのほか、特殊な事例では、技術・経営管理の知識や経験を生かし、経営革新の仕事(当時は取得がかなり難しかった)も、元銀行員の社労士と協力して認定の支援に成功したこともあった。
その後、社労士と共同で行う仕事は、制度上の問題で、その仕事が続けられなくなり、退職し自営業を目指すことにした。
退職後、産創館の起業講座にも通い、企業経営の基礎や総合的(人、物、金、市場・ニーズ、販促)経営計画の立案を改めて勉強した。
当時は、起業し販売代行をしようと仕事に励み、多くの講習会や異業種交流会にも参加し、人脈を広げるため若手経営者の卵とも積極的に名刺交換した。
(多分今でも成功しているのは、ほんの一握りの人だけであろう。)
また、様々な商材を売ろうと商品関連のことを勉強し販売資料を作り、関係先に売り込みを図ったりして必死で努力したが、思うように実績は伸びず、B to B と B to C の違いを思い知らされた。
その後ネット販売を考え、資金不足のため、お金を使わずに自力である程度本格的なネットショップを構築し、販売代行を続けようとしたが、SNSが普及する直前でネット展開がうまく進まず、その間に自己破産してしまい、起業の夢は終わり、今に至っている。
今までずっと独身だったため(ずっと独身のためよく疑われ、又訊ねられますが、私は決して男色の傾向があるとか、女嫌いとか、病気があるわけではありません。心身共に健康な男で体力もあります。)、2000年より前に同居していた両親が他界してから一人暮らしになったが、逆に自己破産してだれも巻き添えにすることなく、身内や親戚や他人にも迷惑をかけなかったのが幸いであったと思っている。
古い資料を見て、ふと2000年から今までの経過をいろいろ思い出したので、資料を引っ張り出しながら概要をメモした。
思い出すと、この間のそれぞれの時期の面白い体験はいろいろあるが、気が向けば書いてみたい。
循環バスがあることを知らずに、指定された臨海工業地帯の先端の会社まで、1日がかりで歩いて往復したこともあり、コンビナートの大きさを実感した。
この仕事では、私の技術者や管理職・幹部としての知識や経験が非常に役立ったし、同時に様々な製造業の業種の一端を垣間見ることが出来た。
(最初にUPした原稿では、私の勘違いで企業誘致と、このUSJの話の順番が入れ替わっていた。前年から続いていた企業誘致のプロジェクトが3月で終了する直前からの話である。)
企業誘致のプロジェクトが3月末で終了する直前の頃に、西天満の画廊回りをしていると、偶然画廊によく来られていたお客さん出会った。
その人の紹介で、USJ関係の期間限定の仕事で、コンピュータの入力関連の仕事をした。
そこでは、USJの舞台裏も見ることが出来た。
今思い出したが、USJ準備室がポートタウン(多分今の府庁の建物?で当時大阪市役所の部署が多く入居していた。)にあって、企業誘致の訪問先リストに指定されていた。
その場所に行ったが、当時事務所は移転後だった。(そのビルからの大阪湾の見晴らしはすばらしかった。)
当時、私はUSJが単なる外資系の中小零細企業のひとつと思っていた。
ところがその後オープンしたUSJを知り、その訪問先の会社が今のUSJジャパンであったことに気付いた。
USJの仕事を終えた後、職安を通じ、技術者として東大阪の2社のブラック企業?で技術者として働くことも経験した。
最初の会社では、契約社員のため、低賃金で残業手当も無く、夜11時までが当たり前で仕事をした。
その会社では、電子冷却等の設計開発関係の仕事もしたが、前任者の仕事の抱え込みその他でうまく進まず、一般の設計では、CADが使いこなせなかったため退社した。
(私が技術者だった30年近く前は、CADは非常に高価で、大企業しか使っていなかったので、CADの使用経験がなかった。)
その会社を退職後は仕事が無かったので、職安に相談して、ホームヘルパー2級の職業訓練を受け資格を取った。
資格取得後、ホームヘルパーの仕事を探したが、当時男はダメという事業所が多く、資格を陳腐化させないために、ある施設に頼んでデイサービスのボランティアを1ヶ月程させてもらった。
しかし、お金も無くいつまでもボランティアは出来ないので、介護の仕事をあきらめ、再び職安で技術者の仕事を見つけた。
その仕事は、東大阪の大手照明器具下請け会社での工場改善の仕事だった。
この会社でも契約社員のため残業休日出勤手当ては無く、日曜日も工場改善で出勤し、汚れを落とし塗装してピカピカに清潔にし、工場ラインを変え大幅な改善を図りラインの効率を良くしたにもかかわらず、新米のワンマン・独裁社長から理不尽なクレームを付けられ、怒鳴り散らされ、挙句の果て自己都合で契約期間終了とともにやめさされる始末。(やめる前の業績評価で、他の役員から私の改善業績が認められ、わずかな報奨金をもらったのがせめてもの救いだった。)
更に会社をやめるときには、会社都合でやめた形になっているのに、職安では自己都合で処理された。
(多分高齢者採用やトライアル雇用の補助金等もらっている可能性があるのかも知れない。社労士関連の会社に行って、補助金のことを知った。)
ブラック企業?で働いた後、保険や企業の業務支援をする会社で、正社員として社労士と共同して作業する営業関係の仕事を数年間した。
このとき数年かけて、雨の日も風の日も毎日スーツ姿で自転車に乗って、大阪市内から尼崎や伊丹市まで住宅地図を片手に、すべての中小零細企業(主に製造業関係)をしらみつぶしに訪問し営業した。
基本的には、毎日廻っている地区の駅の駐輪場に自転車を預け、朝はたまに会社で朝礼してから担当地区まで行くが、通常は家から担当地区へ直行し、自転車で一軒ずつ会社回りをし、帰りは電車で御堂筋にある会社へ戻り、成果を報告するという毎日だった。
このときも、営業でそれなりの実績を上げた。
そのほか、特殊な事例では、技術・経営管理の知識や経験を生かし、経営革新の仕事(当時は取得がかなり難しかった)も、元銀行員の社労士と協力して認定の支援に成功したこともあった。
その後、社労士と共同で行う仕事は、制度上の問題で、その仕事が続けられなくなり、退職し自営業を目指すことにした。
退職後、産創館の起業講座にも通い、企業経営の基礎や総合的(人、物、金、市場・ニーズ、販促)経営計画の立案を改めて勉強した。
当時は、起業し販売代行をしようと仕事に励み、多くの講習会や異業種交流会にも参加し、人脈を広げるため若手経営者の卵とも積極的に名刺交換した。
(多分今でも成功しているのは、ほんの一握りの人だけであろう。)
また、様々な商材を売ろうと商品関連のことを勉強し販売資料を作り、関係先に売り込みを図ったりして必死で努力したが、思うように実績は伸びず、B to B と B to C の違いを思い知らされた。
その後ネット販売を考え、資金不足のため、お金を使わずに自力である程度本格的なネットショップを構築し、販売代行を続けようとしたが、SNSが普及する直前でネット展開がうまく進まず、その間に自己破産してしまい、起業の夢は終わり、今に至っている。
今までずっと独身だったため(ずっと独身のためよく疑われ、又訊ねられますが、私は決して男色の傾向があるとか、女嫌いとか、病気があるわけではありません。心身共に健康な男で体力もあります。)、2000年より前に同居していた両親が他界してから一人暮らしになったが、逆に自己破産してだれも巻き添えにすることなく、身内や親戚や他人にも迷惑をかけなかったのが幸いであったと思っている。
古い資料を見て、ふと2000年から今までの経過をいろいろ思い出したので、資料を引っ張り出しながら概要をメモした。
思い出すと、この間のそれぞれの時期の面白い体験はいろいろあるが、気が向けば書いてみたい。
昨日は、ゴミ出しの日だった。
前日に、新聞やチラシはTVを見ながら整理し、2包みに紐で縛っておいた。
そのとき、箪笥の前に大量に積み上げられた、講演会の資料や本が気になった。
とりあえず、家庭ごみと新聞関係のゴミを出してから、本や資料の山を一つずつ見た。
それ以前に、積み上げられた本や資料の端に、大量の埃が付着していて、取り出して開けるたびに埃が舞い散って非常に不潔だった。
掃除機を持ち込み、埃を吸い取りながら資料や本に目を通し、捨てるものと保存するものを区分していった。
資料はほとんどがA4のレジュメで、産創館で随時開催されている経営関係の講習会資料(経理・法務・人事・販促・業務改善・知的財産・健康産業の動向、シーズ<大学の最新研究応用>、産学連携、最新技術)、と考古学・古代史の会の講演資料が中心で、すべて見覚えがあり懐かしく5-6年前のことを思い出した。
そうした資料にたどり着く前は、画廊廃業後様々な契約社員等の非正規で働いていた。
画廊廃業から6年前の起業までの間、仕事上で様々な挫折の体験をし、逆に自信を持ったこともあった。
この間の思い出話を書いていたが、長くなったので、別に記載する。
一昨日はどこも出かけなかったので、今日は出かけようと思って、土日の予定の前倒しを考えて美術館博物館等をチェックした。
分かってはいたが、多くの美術・博物館や図書館は月曜日が休みだったり(それでも最近は、月曜日以外が休みの所も多くなった。)、興味ある講演会がある日に合わせていったほうがよかったり、同じ沿線の二つの施設を一度に廻ったほうが効率的だったりして、昨日遠出するのはやめ他の日にいくことにした。 そこで、家で事務作業をしようと思い、12月になったので、来年度の準備をしなければと思い、日々使っている特製の予定日報表の来年度版を作り始めた。
エクセルをそのままコピーして、日付や曜日を変更するだけでは済まず、罫線やセルの結合分離の必要な箇所もあり、これからも少しずつ修正していく。
夕方には気分転換で、いつものようにコーヒーを飲みに出かけた。
夕食後に先日作った栄養計算表の改善に取り掛かった。
カロリーだけでなくほかの栄養成分も同時に自動的に算出出来るようにした。
更によく食べるアンパンやベビーチーズ等、一個単位の商品の実栄養価を入力し、個数表示をすることでも同じ箇所にカロリー表示や、成分別の摂取量を表示できるようにした。
そして実際に食事のメニューを、普段のレシピの予想値の重量を入力して調べて見ると、大体の消費カロリーやたんぱく質や塩分の摂取量が出てきた。(レシピの材料の重量を正確に計測していないので、あくまで推定値)
まだ未入力の栄養成分が多いので、確定できないので、これからも時間を見つけて入力し正確な値にしたい。
どうも、計算結果を見ると、汁の濃さにより塩分量が大幅に変化することがわかった。
ジムで血圧測定すると、最近収縮時の血圧が130を超えることがある。(運動後は100前後に下がる)
私の家族には高血圧はいないし、私も健康診断で高血圧といわれたこともない。
これに関連して、最近温野菜の汁と塩分の関係に関係がありそうなことに気付いていた。
夏の間、汗をかくので、汁を少し濃い目にしたままだった。
最近汁を薄めにすると血圧が下がるので、間違いなさそうだ。
まあ、高いといっても130を少し超えるぐらいなので、異常判定にはならない値なので、気にすることは無いのだが。
今回の計算で、それを裏づけとなるようなデータが得られたと思った。
前日に、新聞やチラシはTVを見ながら整理し、2包みに紐で縛っておいた。
そのとき、箪笥の前に大量に積み上げられた、講演会の資料や本が気になった。
とりあえず、家庭ごみと新聞関係のゴミを出してから、本や資料の山を一つずつ見た。
それ以前に、積み上げられた本や資料の端に、大量の埃が付着していて、取り出して開けるたびに埃が舞い散って非常に不潔だった。
掃除機を持ち込み、埃を吸い取りながら資料や本に目を通し、捨てるものと保存するものを区分していった。
資料はほとんどがA4のレジュメで、産創館で随時開催されている経営関係の講習会資料(経理・法務・人事・販促・業務改善・知的財産・健康産業の動向、シーズ<大学の最新研究応用>、産学連携、最新技術)、と考古学・古代史の会の講演資料が中心で、すべて見覚えがあり懐かしく5-6年前のことを思い出した。
そうした資料にたどり着く前は、画廊廃業後様々な契約社員等の非正規で働いていた。
画廊廃業から6年前の起業までの間、仕事上で様々な挫折の体験をし、逆に自信を持ったこともあった。
この間の思い出話を書いていたが、長くなったので、別に記載する。
一昨日はどこも出かけなかったので、今日は出かけようと思って、土日の予定の前倒しを考えて美術館博物館等をチェックした。
分かってはいたが、多くの美術・博物館や図書館は月曜日が休みだったり(それでも最近は、月曜日以外が休みの所も多くなった。)、興味ある講演会がある日に合わせていったほうがよかったり、同じ沿線の二つの施設を一度に廻ったほうが効率的だったりして、昨日遠出するのはやめ他の日にいくことにした。 そこで、家で事務作業をしようと思い、12月になったので、来年度の準備をしなければと思い、日々使っている特製の予定日報表の来年度版を作り始めた。
エクセルをそのままコピーして、日付や曜日を変更するだけでは済まず、罫線やセルの結合分離の必要な箇所もあり、これからも少しずつ修正していく。
夕方には気分転換で、いつものようにコーヒーを飲みに出かけた。
夕食後に先日作った栄養計算表の改善に取り掛かった。
カロリーだけでなくほかの栄養成分も同時に自動的に算出出来るようにした。
更によく食べるアンパンやベビーチーズ等、一個単位の商品の実栄養価を入力し、個数表示をすることでも同じ箇所にカロリー表示や、成分別の摂取量を表示できるようにした。
そして実際に食事のメニューを、普段のレシピの予想値の重量を入力して調べて見ると、大体の消費カロリーやたんぱく質や塩分の摂取量が出てきた。(レシピの材料の重量を正確に計測していないので、あくまで推定値)
まだ未入力の栄養成分が多いので、確定できないので、これからも時間を見つけて入力し正確な値にしたい。
どうも、計算結果を見ると、汁の濃さにより塩分量が大幅に変化することがわかった。
ジムで血圧測定すると、最近収縮時の血圧が130を超えることがある。(運動後は100前後に下がる)
私の家族には高血圧はいないし、私も健康診断で高血圧といわれたこともない。
これに関連して、最近温野菜の汁と塩分の関係に関係がありそうなことに気付いていた。
夏の間、汗をかくので、汁を少し濃い目にしたままだった。
最近汁を薄めにすると血圧が下がるので、間違いなさそうだ。
まあ、高いといっても130を少し超えるぐらいなので、異常判定にはならない値なので、気にすることは無いのだが。
今回の計算で、それを裏づけとなるようなデータが得られたと思った。
昨日は、珍しく食材の買出し等の買物も行かず、終日家から一歩も出ない退屈極まりない一日であった。
そもそも土曜日の夜に、ジムで遅くなりその後の夕食後に風呂に行って、体を冷やすため家でFBを眺めたりしていると1時になった。
目覚ましなしで寝て起きると8時10分過ぎだった。
その調子で一日のサイクルがすべてずれ込んだ。
午後から、弥生博物館出やっている「縄文の世界像」でも見に行こうと思っていた。
最近いくつかの、縄文関係の本を読んだところで、特に偶然に八ヶ岳周辺の旧石器時代後期から縄文時代に関した本も読んでいたので非常に興味があった、
しかし、すべての昨日の時間がずれ込んで遅くなり、博物館行きも取りやめた。
昼食を作らずに、外食にすれば行けただろうと悔やんでいた。
だが、その後すぐわかったことだが、夜のご飯もなくなっているのに気付いた。
もし外食していると、帰宅後大慌てしていたに違いない。
仕方なく昼食後、ご飯を10食分余り炊き上げ、重さを量ってラップに包み冷凍した。
後は、曇の日の明かりをつけない薄暗い部屋で、TVを見たりPCでネットを見たりして過ごした。
どういうわけか、家ではあまり本を読む気がしない。
家に居ると本を読むよりは、TVや新聞を見たりネットを見るほうがすっと多い。
夜になって、気晴らしにプールに行こうと思い立ち、準備万端整えて出ようとすると、雨が降っていた。
天気予報では曇りであった。
プールの受付時間までに雨が止んだら行こうと待機していたが、雨は止まなかった。
昨日は終日天気と同じようにどんよりとした一日で、他人と一度も顔を合わせることの無かった一日になった。
そもそも土曜日の夜に、ジムで遅くなりその後の夕食後に風呂に行って、体を冷やすため家でFBを眺めたりしていると1時になった。
目覚ましなしで寝て起きると8時10分過ぎだった。
その調子で一日のサイクルがすべてずれ込んだ。
午後から、弥生博物館出やっている「縄文の世界像」でも見に行こうと思っていた。
最近いくつかの、縄文関係の本を読んだところで、特に偶然に八ヶ岳周辺の旧石器時代後期から縄文時代に関した本も読んでいたので非常に興味があった、
しかし、すべての昨日の時間がずれ込んで遅くなり、博物館行きも取りやめた。
昼食を作らずに、外食にすれば行けただろうと悔やんでいた。
だが、その後すぐわかったことだが、夜のご飯もなくなっているのに気付いた。
もし外食していると、帰宅後大慌てしていたに違いない。
仕方なく昼食後、ご飯を10食分余り炊き上げ、重さを量ってラップに包み冷凍した。
後は、曇の日の明かりをつけない薄暗い部屋で、TVを見たりPCでネットを見たりして過ごした。
どういうわけか、家ではあまり本を読む気がしない。
家に居ると本を読むよりは、TVや新聞を見たりネットを見るほうがすっと多い。
夜になって、気晴らしにプールに行こうと思い立ち、準備万端整えて出ようとすると、雨が降っていた。
天気予報では曇りであった。
プールの受付時間までに雨が止んだら行こうと待機していたが、雨は止まなかった。
昨日は終日天気と同じようにどんよりとした一日で、他人と一度も顔を合わせることの無かった一日になった。
昨日記121201土(10/5晴 西天満 ジム・ランニング時速9.5km 29分 ) goo.gl/7o1K4
直感が訓練で養われると、いろんな面で人間の能力UPが可能になるかも知れない。: プロ棋士の直感、素人でも 理化学研など「回路」解明 t.asahi.com/8xok
昨日は真冬にまではいかないが、少なくともそれに近い気温だったが、体感的にはそれほどでもなかった。
いわゆる底冷えの違いによるものと思う。
1月下旬は、気温も最低となるが、それは大地や建造物もすべて冷やされていて、太陽の日照時間が増加しても大地の熱容量が大きいため、大地の温度は直ぐに日照時間と比例せず時間差が発生する。
気象条件による、大陸の高気圧の寒気の吹き出しも関係しているだろう。
底冷えは、大地からの輻射熱の多少に関係しているのは間違いないだろう。
今の時期は、気温がいくら低下しても、大地の温度はそれほど下がっていないので、まだ大地からの輻射熱の影響を受けるため、体感気温が違うのかもしれない。
それ以外、強い北風とか湿度からも外出するときは影響を受けると思われる。
特に風の影響は、リングの式によると、風速が1m上がるごとに約1度体感気温が低くなるという。
冬になると我が家の裏庭には、たまに冬鳥がやってくる。
主に金柑やブドウの枝を渡り歩いて遊んで帰る。
昨日は、シジュウカラのつがいが来て遊んでいた。
ここ数週間で、ウグイスと、ジョウビタキも目撃した。
メジロもそろそろやってきてもいい頃だ。
金柑の枝に、みかんや柿やリンゴを刺しておくと、毎日食べにくる。
家の中から、鳥が遊ぶ姿を見るのも冬の楽しみの一つだ。
ただヒヨドリもよくやってくる。
ヒヨドリが、来ると小さな鳥は寄らなくなるので、ヒヨドリが来るといつも追い払う。
それにヒヨドリは、私が食べようと楽しみにしている色づき始めた金柑の実を大きすぎて食べられないのに、ちぎって落としたり、実にくちばしで傷を付けたりするので、招かざる客である。
さて昨日は疲労回復のため、目覚ましを止めて7時過ぎに起きた。
遅い朝食をたべながら、横にある箪笥の前に置かれた山積の古い講習会の資料や、本や新聞が気になり食事を終わって、何気なく取り出して整理を始めたら、そこに積もった埃が飛散するやら、中には貴重な資料もあったりして、しらぬまに大きな作業になっていた。
昼食の時間に、ブログを書き、1時半ごろから昼食を作った。
昼食後直ぐに家を飛び出して、図書館に本を返却しに行った。
そこで新しく本を選んで借りた。
そのままいつものように、西天満に向かった。
いつもよりかなり遅くなったが、西天満のギャラリーの展覧会を見て廻り、天満橋でコーヒーを飲みながら読書した。
昨日は、一時眠気を催したので、普段より図書館に向かった分長い距離を走り、急いで来たのでその疲れも出たのかなと思った。
帰宅してTVの番組表を見ると興味のあるものが無く、ジムに行く時間的余裕があったので、体調はよいとは感じないが、かといって悪くもないので、とりあえずジムに行って走ることにした。
ジムでは、時間的に30分間走るだけの時間的余裕しかなかった。
そこで。時速9.5kmで29分間走った。
今年の春ごろには、時速9.5km30分は、無理せず走れるスピードだった。
毎年のことだが、夏の間に走らないのでランニングの力は、落ちた。
走ってみると、少し苦しかったがクリアできた。
ランニング後の大きな疲労感もない。
今後出来れば、30分走行で徐々に速度を上げ、時速10kmで走れることを目標にしていきたい。
長距離に関しては、先ず時速9.2kmで1時間から1.5時間走れるようにし、その後徐々にスピードを上げるようにしたい。
いわゆる底冷えの違いによるものと思う。
1月下旬は、気温も最低となるが、それは大地や建造物もすべて冷やされていて、太陽の日照時間が増加しても大地の熱容量が大きいため、大地の温度は直ぐに日照時間と比例せず時間差が発生する。
気象条件による、大陸の高気圧の寒気の吹き出しも関係しているだろう。
底冷えは、大地からの輻射熱の多少に関係しているのは間違いないだろう。
今の時期は、気温がいくら低下しても、大地の温度はそれほど下がっていないので、まだ大地からの輻射熱の影響を受けるため、体感気温が違うのかもしれない。
それ以外、強い北風とか湿度からも外出するときは影響を受けると思われる。
特に風の影響は、リングの式によると、風速が1m上がるごとに約1度体感気温が低くなるという。
冬になると我が家の裏庭には、たまに冬鳥がやってくる。
主に金柑やブドウの枝を渡り歩いて遊んで帰る。
昨日は、シジュウカラのつがいが来て遊んでいた。
ここ数週間で、ウグイスと、ジョウビタキも目撃した。
メジロもそろそろやってきてもいい頃だ。
金柑の枝に、みかんや柿やリンゴを刺しておくと、毎日食べにくる。
家の中から、鳥が遊ぶ姿を見るのも冬の楽しみの一つだ。
ただヒヨドリもよくやってくる。
ヒヨドリが、来ると小さな鳥は寄らなくなるので、ヒヨドリが来るといつも追い払う。
それにヒヨドリは、私が食べようと楽しみにしている色づき始めた金柑の実を大きすぎて食べられないのに、ちぎって落としたり、実にくちばしで傷を付けたりするので、招かざる客である。
さて昨日は疲労回復のため、目覚ましを止めて7時過ぎに起きた。
遅い朝食をたべながら、横にある箪笥の前に置かれた山積の古い講習会の資料や、本や新聞が気になり食事を終わって、何気なく取り出して整理を始めたら、そこに積もった埃が飛散するやら、中には貴重な資料もあったりして、しらぬまに大きな作業になっていた。
昼食の時間に、ブログを書き、1時半ごろから昼食を作った。
昼食後直ぐに家を飛び出して、図書館に本を返却しに行った。
そこで新しく本を選んで借りた。
そのままいつものように、西天満に向かった。
いつもよりかなり遅くなったが、西天満のギャラリーの展覧会を見て廻り、天満橋でコーヒーを飲みながら読書した。
昨日は、一時眠気を催したので、普段より図書館に向かった分長い距離を走り、急いで来たのでその疲れも出たのかなと思った。
帰宅してTVの番組表を見ると興味のあるものが無く、ジムに行く時間的余裕があったので、体調はよいとは感じないが、かといって悪くもないので、とりあえずジムに行って走ることにした。
ジムでは、時間的に30分間走るだけの時間的余裕しかなかった。
そこで。時速9.5kmで29分間走った。
今年の春ごろには、時速9.5km30分は、無理せず走れるスピードだった。
毎年のことだが、夏の間に走らないのでランニングの力は、落ちた。
走ってみると、少し苦しかったがクリアできた。
ランニング後の大きな疲労感もない。
今後出来れば、30分走行で徐々に速度を上げ、時速10kmで走れることを目標にしていきたい。
長距離に関しては、先ず時速9.2kmで1時間から1.5時間走れるようにし、その後徐々にスピードを上げるようにしたい。