いろはに踊る

 シルバー社交ダンス風景・娘のエッセイ・心に留めた言葉を中心にキーボード上で気の向くままに踊ってみたい。

涙・涙・オトコの涙 (第1編)

2005年06月25日 18時39分30秒 | 娘のエッセイ
 人目を気にせずに「泣くオトコ」が世に登場して久しい。ここで言う「泣く」とは、俗に言う「男泣き」のことではなく、女の子にフラレて泣くとか、映画を見て泣くと言った類の「泣く」である。

 以前勤めていた会社で、朝、顔を合わせた途端に「昨日の××見た?泣けたよなぁ」などと、ドラマやドキュメンタリーを見て泣いたことを、皆にふれまわる男の子を目の当たりにした時には、”世の中は変わっ

たもんだ”とつくづく感心してしまった。その昔、男は人前で泣くもんじゃないと言われた。ゆえに、「涙」と言えば女の専売特許だった。なにせ子供向けアニメの主題歌に♪真珠の涙を浮かべたら、男の子な

んてイチコロよぉ~♪なんていう歌詞があったくらいだから、その威力は凄かったに違いない。そう、涙は

いつだって女の子の強い味方だったのだ。その証拠に、「彼女の涙に負けてしまって……」と言う話は世間にざらにあったではないか。また、涙の効き目がなくて、男の子を引き止められずに「さよなら」を言われ

てしまった女の子は、部屋に閉じこもると食うものも食わずに(その後、猛烈な食欲に襲われるのだが)わんわんと泣いた。何日も何日も。そしてその何日かが過ぎて、大量に流した涙が乾く頃、彼女達は何故か例

外なく次の恋に突入していくのである。どうして、彼女達はこんなにも簡単に、心の痛手が癒えてしまうのだろう。その秘密は「涙」にあるようだ。涙には二種類あって、感情からでた涙と物理的刺激(目に塵が入

つた時など)から出た涙だが、この二つは成分が違うそうだ。感情の涙の方が成分が濃く、べとべとしているという。つまり、物理的涙はただの洗浄液だが、感情の涙のほうは排泄行為であるということらしい。

なるほど、ね。失恋した時、耐える男の子よりも、わんわん泣く女の子のほうが立ち直りが早いのは、泣くことによって感情の全てを排泄し、すっきりしてしまうからだったのだ。

 となるとこのごろの泣き虫男たちも、別れの場面が来たら、昔の女達のように”排泄の涙”をふり絞るのだろうか。何だか冴えないね。おまけに「男は耐えて…」の体質が若干は残っているから女たちのようにわ

んわんとは泣かぬ。サメザメだろうな。あーあ、ますます冴えないね。おまけに、「思い切り泣いた。すっきり!」なんてことになると、全くらしくない話だ。

 いずれにしても「泣くオトコ」の出現で、今や涙は女の武器にはならなくなった。その結果、もはや偽りの涙を流す女の子は、魅力的でなくなる。

 これからは、映画を見て涙を流す男の子に黙ってハンカチを渡してあげ、泣いている男の子の肩をそっと抱き寄せ、「私の胸でお泣き」と言える女の子のほうが、モテモテの時代になるのかもしれない。
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娘がこの世で思っていたこと

2005年06月25日 15時10分50秒 | 娘のエッセイ
 娘は、平成11年9月27日に「○○病院」で精密検査を受けたところ「がん」と診断されました。しかも、入院の前日に記した「あなたは まだ若いから…」などの遺書を残して行くなんて……

 以来、「がん」と闘いながら入院生活を続けてきました。しかし、この結果に、悔しくて悔しくて…厳しかった226日間の入院治療に、気力、体力のすべてを消耗し尽くして、5月11日午後9時に、家族に看取られ

ながら、アッという間に、この世の命を閉じてしまいました。享年34歳でした。結婚生活2年目で、流産を原因とする、一万人に1人にも至らない難病の「絨毛がん」に侵されていました。

 入院中は、何度にも及ぶ「抗がん剤」の投与による、強度な副作用と闘いながらも、グチ、弱音ひとつ吐かずに、同じ部屋の人や、看護婦さんに時には辛口の、そして明るく言葉を掛けていました。

 節分の日には、看護婦さんたちが、「マメ」と書いた小さな紙を何個も作って、病室を訪れ、娘の、健康回復を願ってもくれました。

 また、娘の勤務先「○○の家(障害者)」の人達と、入院直前に撮った、生前最後のスナップ写真を、何時も見つめながら「早く仕事がしたい」「皆に会いたい」と言っていました。娘は、その望みを二度とかな

えることなく、いってしまいました。娘は、生前、エッセイ、物事を文字で表現することが、好きでした。入院当初は、小さなテーブルに向かいながらペンを走らせている姿を何度も見かけました。それは、日々の

症状、薬、治療などを克明に記していました。今は、残された遺稿を何とかまとめてやりたいと思っています。

 娘は、亡くなりましたが、娘は娘らしく、死んだ後にも、大きな仕事を、自分の意志でやり遂げていきました。

 それは、「アイバンク」への「角膜」の提供でした。このことは、娘が「○○の家」での仕事との関わりがそうさせたものと思います。私達家族は、その思いに満足しています。お二人の男の方の目が見えるよう

になったと聞いています。このお二人の目を通しながらこの世をカッポし、きっと、どこかで、みなさんに、そーっと、目線を送りながら皆様に感謝していることと思います。……

 娘が、二十台に数多くのエッセイを残していきました。娘の供養にも是非皆様に読んでいただければと思い「ブログの講習」を受けました。文字だけなら発信できるようになりましたので、これから逐次娘の思い

を娘に代わって送り続けたいと思います。





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このスモモはだあれ!

2005年06月25日 12時07分24秒 | シルバー社交ダンス風景
 参加者14名のフリーダンス。タンゴのウオークのところ時々すり足ですよ、体重が後ろに行っているね、ホールドでは顔が前に来てします人など、また個人レッスンを受けている方は先生から同じ指摘を受けるのと一度ついた癖はなかなか治らない。コーヒータイムでは、女性が多いと話の途切れることが無い。このスモモは○○さんの差し入れです。この白菜のおしんこは○○さんでーす。熱いお茶をすすりながら暑気払いはどうするーと気が早い。
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