いろはに踊る

 シルバー社交ダンス風景・娘のエッセイ・心に留めた言葉を中心にキーボード上で気の向くままに踊ってみたい。

掌の温度(第2編)

2005年06月26日 14時43分12秒 | 娘のエッセイ
 「目は口ほどにものを言う」という台詞を人はよく口にするけれど、それ以上に手は雄弁であると思う。十代の頃、私は女の子同士でよく手をつないだり、腕を組んだり、あるいは抱き合ったりしていた。それら

の行為は、ある種の連帯感を生む行為であり、また「大好きだよ」という気持ちの表現方法のひとつだった。彼女たちの身体や掌はほんのりと温かく、そこにはいつも「安心」が存在していた。

 ところが今の若い女の子達は、あまり同性の友人とスキンシップをしていないように見える。その結果、最初に触れ合いを経験する他人は、自然と男の子になるケースが増えてくる。けれど若い男の子の掌にある

ものは、温かい「安心」ではなく、多くの場合、熱い「欲望」だ。本当に面白いほどに、男の子の掌の温度は正直なのだから。

 恋に落ちたふたりが初めて手をつないだ時や、狭い階段を上がる時に、前を歩く男の子からそっと差し出された大きな手は、心地よく温かだったに違いない。そして、ふたりの関係が熟してきたときにつないだ男

の子の掌の温度は、摂氏百度に近いくらいに熱く、じんわりと汗ばんでいなかっただろうか。「男性とキスした時、その唇が冷たいと感じたら別れが近い証拠」と言っていたのは、確か南美希子さんだった。同様の

ことが掌の温度にも言えるのではないか。と私は思う。口先だけならいくらでも嘘はつける。けれど身体は嘘をつけない。体温を意のままに操れるほど人は便利にできてはいないのだ。

 誰かを励ます時、人はその人の手を握る。喜びを分かち合う時も、手を取り合う。また苦しい時、悲しい時も、愛する人の手は何者にもかえがたく貴い。

 だから手をつなぐとか、手を握り合うという行為は、もっともっと日常的な習慣になってもいいと思うのだけれど、現実はそうではないみたい。手で気持ちを伝える行為に若い人達は違和感をもたないけれど(今

はもっと積極的に表現してしまう輩が多いゾ)、中高年、特に夫婦同士は苦手らしい。感じとしては、奥方がそっとダンナの手元に手を伸ばしても、ダンナのほうは見ぬふりをしてしまう……というところかな。

 ただ、その行為がテレからきているのか、単に手に触りたくないだけなのかは判別不能だ。もちろん、その逆の場合も多いにある。ま、いずれにしても、そんな状況は淋しいかぎり。

 それゆえに私は、やっぱり気持ちがいっぱい詰まった掌に触れたい。そしてメッセージを伝えたいと思う。大きな手、小さな手、肉薄の手、ぽってりした手、骨ばった手。手にはその人自身があらわれている。

 その人をあらわし、しかも人の心の温度までも表現してくれるこの小さなパーツ。これからも先、その温かさのほうだけを感じていられたらいいのに…な。

                            平成8年記
コメント (2)
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パチパチお上手

2005年06月26日 13時41分02秒 | シルバー社交ダンス風景
 学校の体育館でのダンスパーテー60名ほど。暑い暑い!扇子,団扇、扇風機の助けを借りて皆さんウキウキとステップを踏む。広いので思いっきりのステップにスカーと気分爽快。
 家内とルンバを踊る。終わって引き上げる途中に中年の方が出てきて、パチパチと拍手。一瞬驚き、かの方はお上手と言ってくれた。そのように見えるのかなー。うれしい。
 
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