ロサンゼルスは、常夏ではないのよw

いつもありがとうございます。

最初の2日は、近所の人達が訪問

2018年07月12日 05時56分12秒 | 破産回避の記録

亡くなってからいったん家に戻ってきました。

 

葬儀屋さんは5年も前に父が自分で手配していたので、すぐに電話をし迎えに来てくれてすぐに家に連れて行ってくれました。自分で用意したのは、布団と座布団、末期の水を入れるカップくらい。

前日介護ベッドを引き上げていたので、なんか床が汚くて、私が慌てて拭く、という展開。皆さん、家族がなくなりそうな時は、戻ってくるときにどこに布団を置くのか、どの布団を使うのかを決めておくと良いかもしれません。私たちはわちゃわちゃして二階の押し入れから、真空パックで片付けてあった布団や座布団を無理やり引き抜いて袋をがさがさ開けてふーふー言いながら一階に運びました。そして葬儀屋が祭壇??みたいなのをセットアップしてくれ、末期の水を大きな綿棒であげて、お線香をあげて、その後、具体的なお葬式の打ち合わせです。

 

病院から家に父を運ぶ時に、葬儀屋の名前の入った車だったのでそれを目撃した近所の人たちが結構早めに電話してきたりいきなり訪ねてきたり、結構大変。私はお茶係。

 

今回、父は綿密な遺言を作成しており、出来る限りそれに従って葬儀などを執り行いましたが、それが無理なことも。

近所の人達には1週間後くらいに知らせること、との遺言でしたが、それは最初の10分で崩壊。その後2日間ひっきりなしに訪問がありました。それは、結果として良かったです。

なぜなら、これも遺言で家族葬と決められており、近所の人たちは誰もお葬式に呼ばなかったからです。父は、別に人と仲が悪かったわけではなく、ただ、大規模になってお葬式にお金がかかることを避けたかったので、人がたくさん来るといろいろな意味で母への負担が増えるので、最初から予防線を張っていたものと思われます。

また、遺言でお香典などはすべてお断りすること、とあったので、とにかく全部お断りしました。

失敗したのは、連絡しなかったのに噂を聞きつけてやってきた近所のOさん。故人の遺志よりも自分の意志、というタイプの方で「僕の気持ちはどうなるんですか」と主張して無理やりお供え物の下に押し込んで帰っていきました。そのせいで、母はお葬式の翌日にお礼の品を買いに行って届けたりしていて、私からしたら良い迷惑だ、と思いました。親しい人たちは、遺言で、というと、すぐに納得してくれてよかったです。

7月9日の午前11時に父が葬儀場に移動。2日間の間に会いに来てくれた近所の方たちには連絡をし、家の前で見送りしていただきました。


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