

昨日、ふと本棚を見ると、
卒業生から贈られた色紙に目がいく。
そこには、私から「常に挑戦し続ける姿勢を学んだ」と。
特に1期生はそれが多い。
1期生は先輩がいない中、学校のカラーを作った面々である。
何事も前例がなく、コピーはできない。
勉強にしても、クラブにしても、学祭にしても。
とくに、クラブなどの設立は、
「設立」というまさに白紙の状態から、
必要な情報を仕入れ、企画し、実行し、
そして、常に循環しながら改良・更新する。
それがカラーになり、大学の性格となり、
いわゆる「畿央大学らしさ」を作った。
彼らならではの言葉だと思った。
自分が挑戦し続けているかは不明だが、
新しいものを創作している自分ではあると思う。
年をとってはきつつあるが、
つねに、エンハンスにならないように、
磨いていけばと思う。
何ごとにも挑戦.
目標はすぐには見つからない.
しかし,もがけばもがくほどそれは近づく.
しかし、その挑戦は、
時として、対称性のくずれを引き起こすこともある。
ビックバンが起こったように、
ねじれ・くずれから解体が起こる。
社会に置き換えると、
問題意識が生まれる瞬間でもあるが、
基盤がまったくもってなにもないのであれば、それは「無」になる。
雪の結晶体はすべて形が違う(自由)けれども、
それをきれい(美)と思うのも、そのもの自体に秩序(対称性)があるからである.
学生のみんなも、自由と秩序(ルール)を生きてもらいたい。
相応という言葉があるように、
美しさはある秩序のなかに生まれる。
今、テストの真っ最中であり、
国家試験まえであるが、
それを意識してもらいたい。
また、社会人になっているみなさんも、
それを意識してもらいたい、と、「色紙」をみながら思った。
色紙を見るということは、
そろそろ、3月になることを意識しはじめたのだろう。
教員にとってはうれしくもあり「センチメンタル」でもある時期だ。

昨日は、その前日に宣言したとおり、
原稿を1本終わらせた。
2日間で今週末の講習会の資料と同時にやるとは、
時間が有効に使え始めた。


忙しさのなかに適応する。
人間とは実に適応能力をもった生物である。
自己が更新されていることを内部世界で感じる。
これは「私」にしか出会わない感覚である。
外からは「結果」しかとらえることができない。
「内」「外」この両者を意識するから、
人間はこれだけの適応性をもっている。
3月末日に、「大西秀明・森岡 周(編):理学療法MOOK16 脳科学と理学療法(三輪書店)」が刊行される予定です。
私は第1章「脳科学の進歩と理学療法の接点-現在から未来」と第2章「大脳皮質における感覚情報処理と運動制御の神経基盤」を担当し、
その他の原稿を編集しています。

「身体運動学-知覚・認知からのメッセージ」が3刷決定になりました。
ご愛読感謝します。