今日は大阪で研究開発の打ち合わせがあり、
そのまま満員電車にのる。
久しぶりの満員電車に躊躇したが、
疲労がピークなのも事実であり、
無心というものか、
何も考えず、時の流れが過ぎ去った。
午前中で終え、そのまま京都に向かい、
実習訪問を行う。
亀岡は京都市より体感温度が違う。
途中、保津峡を抜けるときはいつも自然の神秘性に焦がれる。
亀岡駅が改築されており、居心地はよくなっていた。
この施設でも学生は特に問題なく、
臨床実習指導者の人間性・優しさに触れ、
感無量になっているようだった。
「人にやさしく」、これが人間の基盤である。
「アラ」のみを探さず、
その学生のこころのなかを読む。
このようなことが出来ている指導者に出会うと、
学生も幸せだが、そうでない場合もある。
しかし、そうでない場合があるからこそ、
他の人の優しさを大いに感じることができる。
「大いに」というのが秘訣だ。
差異が生まれれば、情報が生まれる。
情報が生まれることで、私らしさ、私の生きる道というのが生まれる(はずだ)。
いずれにせよ、すべて「経験」。
それが知になり、血(身体化)する。
以前にも書いたが、複数施設行く意味がある。
いろんな人間を体感することだ。
今、自分は教育研究者の道を歩いているが、
それを嘆願したわけでもないし、
その道が向いているか、向いていないかなんて、考えたこともない。
楽しくもあれば、苦しくもある。もちろんいらだちもある。
ただ、悩んでも、フリーズは極力しない。
自然体だからだ。
自分を反省しすぎて、凍結しないよう、心がけている。
反省は時に意味をもつが、時に自分を防御するための反応でしかない場合がある。
先日、作家の渡辺淳一がテレビに出ていて、
恋愛に「おくて」である青年に対して、
それは「自意識過剰」だと一蹴した。
自分の弱い部分、傷つく自分をみせない、知りたくない、サインだと。
それもある面、当たっている。
自分は、学生時代は、いわゆるまじめなほうでなかったため、
そして、いわゆる頭が良いほうではなかったため、
深く物事を考えることがあまりなかった。
それが功を奏してか、実習中に毎日毎日注意を受け、
罵声を浴びせられ、担当症例は1期で15症例は超えていた。
などなど続いたが、それが普通だと思っていた。
携帯もメールもない時代、
情報がない分、それが普通だと思っていたし、
注意されて、叱られて、一人前になるんだな、と思っていた。
実技だとか、知識だとか、すべてに負けていたからね~
変な自信は全然なかったのを記憶している。
今の学生みたいに、学校でしっかりと習っていなかったし、
実習前に真剣に練習なんかしてなかったしね~
どっちが良いとはいえない(一生懸命、まじめにがんばっているのが良いのは前提)が、
力を抜くということは時に大切であり、
ときに、出来なくて当然と思うことも大事である。
次に出来れば、それでいい。
肩の力を抜き、次の日の朝を迎えることだ。
それでも明日はやってくる。
朝、実習に行くまでの精神は苦痛だけど、
それもよるには終わり、次の日をまた迎えることができる。
この1日1日が、連続しているということは、
幸せだ。
その連続性が奪われたときに落ち込むのはとっておいたほうがいい。
18時に亀岡を出てそのまま奈良リハでの勉強会に参加する。
久しぶりで、新鮮だった。
4月より、きちんと向き合いたいと思う。
忙しさに負けて、自分の土台を見失いつつある。
奈良リハに向かう近鉄で、うちの学生でない学生が、
国家試験対策本を立ちながらも一生懸命見ていた。
心のなかで、「がんばれ」とささやかにさけんだ。
明日は東京である。
研究の打ち合わせ、出版の打ち合わせのみならず、
今年度は、全国各地からメールをいただいている患者さんやその家族と都合をみつけ会い、
その心に耳を傾けるよう、自分の(仕事や体)のことはさておいて、
関わっていきたいと思っている。
学生たちも、あなたが会うべき未来の対象者(患者・利用者)のために、
今を生きなさい。
夢は真っ先に困難という友達を連れてくる。
困難は最後に感動という友達を連れてくる。
患者さんに「ありがとう」といわれ、感動され、感動する日も近い。
共同注意の意味を体感する日も近いはずだ。
Ryoma 語録
「何でも思い切ってやってみること。どっちに転んだって人間、野辺の石ころ同様骨となって一生を終えるのだから。」
「人間というものはいかなる場合でも、好きな道、得手の道を捨ててはならんものじゃ。」
「『・・・しかない』というものは世の中にはない。人よりも一尺高いところから物事を見れば、道は常に幾通りもある。」
「俺が気楽だからだろう。助けてやらねばどうにもならぬと思って奴等は集まって来るらしい」
「世の中の人は何とでも言え、我がなす事は我のみぞ知る。」
「死ぬときは、たとえどぶの中でも前向きに倒れて死ね。」
「世に生を得るは事を為すにあり。」
「人間は丸くて角があり、角があって丸いのが良い。」
4年生、まだまだ時間はある。
ラストスパート!
そのまま満員電車にのる。
久しぶりの満員電車に躊躇したが、
疲労がピークなのも事実であり、
無心というものか、
何も考えず、時の流れが過ぎ去った。
午前中で終え、そのまま京都に向かい、
実習訪問を行う。
亀岡は京都市より体感温度が違う。
途中、保津峡を抜けるときはいつも自然の神秘性に焦がれる。
亀岡駅が改築されており、居心地はよくなっていた。
この施設でも学生は特に問題なく、
臨床実習指導者の人間性・優しさに触れ、
感無量になっているようだった。
「人にやさしく」、これが人間の基盤である。
「アラ」のみを探さず、
その学生のこころのなかを読む。
このようなことが出来ている指導者に出会うと、
学生も幸せだが、そうでない場合もある。
しかし、そうでない場合があるからこそ、
他の人の優しさを大いに感じることができる。
「大いに」というのが秘訣だ。
差異が生まれれば、情報が生まれる。
情報が生まれることで、私らしさ、私の生きる道というのが生まれる(はずだ)。
いずれにせよ、すべて「経験」。
それが知になり、血(身体化)する。
以前にも書いたが、複数施設行く意味がある。
いろんな人間を体感することだ。
今、自分は教育研究者の道を歩いているが、
それを嘆願したわけでもないし、
その道が向いているか、向いていないかなんて、考えたこともない。
楽しくもあれば、苦しくもある。もちろんいらだちもある。
ただ、悩んでも、フリーズは極力しない。
自然体だからだ。
自分を反省しすぎて、凍結しないよう、心がけている。
反省は時に意味をもつが、時に自分を防御するための反応でしかない場合がある。
先日、作家の渡辺淳一がテレビに出ていて、
恋愛に「おくて」である青年に対して、
それは「自意識過剰」だと一蹴した。
自分の弱い部分、傷つく自分をみせない、知りたくない、サインだと。
それもある面、当たっている。
自分は、学生時代は、いわゆるまじめなほうでなかったため、
そして、いわゆる頭が良いほうではなかったため、
深く物事を考えることがあまりなかった。
それが功を奏してか、実習中に毎日毎日注意を受け、
罵声を浴びせられ、担当症例は1期で15症例は超えていた。
などなど続いたが、それが普通だと思っていた。
携帯もメールもない時代、
情報がない分、それが普通だと思っていたし、
注意されて、叱られて、一人前になるんだな、と思っていた。
実技だとか、知識だとか、すべてに負けていたからね~
変な自信は全然なかったのを記憶している。
今の学生みたいに、学校でしっかりと習っていなかったし、
実習前に真剣に練習なんかしてなかったしね~
どっちが良いとはいえない(一生懸命、まじめにがんばっているのが良いのは前提)が、
力を抜くということは時に大切であり、
ときに、出来なくて当然と思うことも大事である。
次に出来れば、それでいい。
肩の力を抜き、次の日の朝を迎えることだ。
それでも明日はやってくる。
朝、実習に行くまでの精神は苦痛だけど、
それもよるには終わり、次の日をまた迎えることができる。
この1日1日が、連続しているということは、
幸せだ。
その連続性が奪われたときに落ち込むのはとっておいたほうがいい。
18時に亀岡を出てそのまま奈良リハでの勉強会に参加する。
久しぶりで、新鮮だった。
4月より、きちんと向き合いたいと思う。
忙しさに負けて、自分の土台を見失いつつある。
奈良リハに向かう近鉄で、うちの学生でない学生が、
国家試験対策本を立ちながらも一生懸命見ていた。
心のなかで、「がんばれ」とささやかにさけんだ。
明日は東京である。
研究の打ち合わせ、出版の打ち合わせのみならず、
今年度は、全国各地からメールをいただいている患者さんやその家族と都合をみつけ会い、
その心に耳を傾けるよう、自分の(仕事や体)のことはさておいて、
関わっていきたいと思っている。
学生たちも、あなたが会うべき未来の対象者(患者・利用者)のために、
今を生きなさい。
夢は真っ先に困難という友達を連れてくる。
困難は最後に感動という友達を連れてくる。
患者さんに「ありがとう」といわれ、感動され、感動する日も近い。
共同注意の意味を体感する日も近いはずだ。
Ryoma 語録
「何でも思い切ってやってみること。どっちに転んだって人間、野辺の石ころ同様骨となって一生を終えるのだから。」
「人間というものはいかなる場合でも、好きな道、得手の道を捨ててはならんものじゃ。」
「『・・・しかない』というものは世の中にはない。人よりも一尺高いところから物事を見れば、道は常に幾通りもある。」
「俺が気楽だからだろう。助けてやらねばどうにもならぬと思って奴等は集まって来るらしい」
「世の中の人は何とでも言え、我がなす事は我のみぞ知る。」
「死ぬときは、たとえどぶの中でも前向きに倒れて死ね。」
「世に生を得るは事を為すにあり。」
「人間は丸くて角があり、角があって丸いのが良い。」
4年生、まだまだ時間はある。
ラストスパート!