blog Donbiki-Style

筆者:どんびき(地域によりカエルの意)

本質は隠せない

2014-09-06 22:49:24 | 休日
昨日の昼休みに、他の人が富山県のシンボルである立山について話しているのが聞こえてきました。
話しているのは富山県人と他県出身の人なのですが、他県人のほうが立山黒部アルペンルートのターミナルである室堂(むろどう)のことを「室堂っていうところ」と、まるで説明するかのような表現を使っていたのでひっくり返りそうになりました。

行ったことはなくても、富山に長年住んでいれば室堂の名前や場所くらいは誰でも分かります。
その他県人のほうは富山に移ってきてまだ2年くらいですので、たかだか会社の組合あたりが主催した格安のバスツアーか何かで1回行ったかどうかというところでしょう。
そんな人が、富山県人なら誰でも知っている場所をさも自分のほうがよく知っているかのように言うものですから、ムカっ腹も立とうかというものです。
私はたまたま京都市内に7年ほど住んだことがあるので出しますが、京都の人に他府県の人間が「金閣寺っていうところ」などとしたり顔で言ったら、次の日から相手にされなくなることは想像できます。

前回のエントリーで、今の職場には自分を大きく見せたいタイプが多いと書きました。
この他県人もその中の一人と言うべきで、とにかく他人からよく見られたいという思いばかりが先行し、取って付けたようなコミュニケーションしかできません。
腹の中では自分は凡百の人間とは違う特別な存在だという思い込みがあり、まったく根拠なく自分は万能でなくてはならないことになっています。
そのドス黒い腹の内は無意識に表に出てしまうもので、他人を小馬鹿にするような言動をするのは何も今回に限ったことではありません。
仕事ではまるで役に立たず毎日のようにドヤされているという事実からはひたすら逃げ回って、仕事を離れた場所では付け焼き刃の知識を振りかざして優越感を得ようというのですから困ります。

アタマと現実が離れ過ぎている人物というのは非常に扱いにくいものですが、そういうタイプの人は現実そのものが「ない」ことになっていますのでどうしようもありません。
きっと学生や生徒の時分は大変優秀で、目立つくらいの人だったかもしれません。
しかし、学生までは自分のことは自分さえ頑張れば何とかなりますが、働き出せば一人では解決できないことだらけです。
優秀だった人ほど、いい意味で他人を使うことができないから社会ではたいてい失敗しますが、優秀だった自分のイメージはなかなか消えないため、いい年をして、ミスや挫折をしてもくだらない言い訳や責任転嫁、時には聞き苦しい屁理屈に終始することになります。

こう書いてくると、私自身がちょうど30を迎えるあたりで心身が悲鳴をあげたことが、今となってはどんなに有り難い転機であったかが分かります。
まだ時代的に周囲の理解も乏しい中で苦しい思いをし、最初の会社を実質的には追い出された経験が今の幸せにつながっているのです。
しんどい時期もありましたが、50を過ぎて半分グレているようなオッサンを見るに付け、私はつくづく運のいい人間なのだなとあらためて感じています。
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