blog Donbiki-Style

筆者:どんびき(地域によりカエルの意)

たまにはいいよね

2013-03-10 20:28:11 | 休日
前回書いた通り、金曜の夜は小さな同窓会をやった。
1次会はJR富山駅近くのリーズナブルな居酒屋を押さえていた。
料理はコースだったからしゃべっているうちにどんどん出てきたし、飲み放題で選べるお酒の種類もかなり豊富だ。
いくら競争の激しい地区とはいえ大丈夫かと思ったくらいだが、1人あたりの勘定は文字通りお店の名前そのものであった。

今回はいつもの一人飲みよりもかなりお酒が進んでしまい、時間的にも午前様どころか「未明様」くらいまで飲んで話してとなった。
昨日は疲れてほぼ一日ダウンという有様、今回のことを書こうにも話題が多すぎてアタマの整理が付かず、ようやく気持ちも落ち着いて本欄に手を付けているところだ。

おととしの春くらいに今回も参加したM君が同じような会を仕切ってくれた時にも感じたが、どれだけ久しぶりでも数年を同じ場所で過ごした人間どうしというのは一瞬でピタっとつながる。
人生全体ではわずかな時間でも、学校という閉鎖的な空間の中だと共有される思い出も数多い。
顔と名前さえ一致すれば、誰からともなく次から次へと話題が出てきて途切れることはないのである。

今から考えれば、それぞれが取るに足らないようなプライドをぶつけ合っていただけというのが生徒時代の印象だが、それが10代と言われればまたその通りである。
もちろんそんな時代の懐かしい話も出るには出たが、むしろ私が聞きたかった「今現在」の話も、ここには書けないようなものも含めて(ほとんどが書けない話だったような気も・・・)たくさん出たのが嬉しかったし楽しかった。
少なくとも「話していい相手」だと思ってもらえなければ聞けない話も多かったから、それだけでもありがたいことだ。
それぞれが、それぞれの大人の現実の中で生きている。
現実とは戦いであり、職場も家庭も一種の戦場であるという認識で大筋は一致したのではないかと思う。

私自身は、参加メンバーから特に「変わった」とか逆にそうでないとかとはハッキリとは言われなかった。
もともと群れることが嫌いなタチもあって、他人をさえぎるような雰囲気はあったらしいから、ほとんど変わらず今に通じている部分と言われればそうである。
今の仕事場でもきっと同じように思われているだろうし、そうあったところで特に問題はない仕事だからこの部分は自分の核としてイヤでも残っていってしまうのだろう。

反面、争いを恐れず筋を通すべき時は安易に折れたりしないようになったのはその頃とは違う。
まずは自分からすべてオープンにし、言いたいことは腹にためずに言うようにして、結果的に他人がどう思うかなどは気にしないように今はなっている。
他人が気になるあまりに他人をさえぎっていたのとは違って、他人が近づいてこないところでどうということはないと思えるようになっているのは若い頃とは違う。
多少のことで命まで取られるわけではなく、失うことを恐れなければ生きていく上での恐怖心などないに等しい。
年齢を重ね、自分からブッタ切った友人などどれほどいるか分からないくらいだ。

いつもとは違うこういった集まりもたまにはよい。
自分では分からなかった部分も他人から聞くことができたし、今後に向けての収穫は大いにあった。
祭りの後、皆と別れて一人になった時、もうすでに心は現実に戻っていた。
私ばかりでなく、今回集まった仲間も毎日の現実を生きていく。
どんなに親しい仲間でもそれぞれの人生に責任は持てない以上、今回の集まりが少しでもそれぞれの明日への活力になっていってほしい。
現実を生きるとは孤独そのもの、それに耐えられない人間に本当の明日は来ないからである。

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明日は同窓会

2013-03-07 20:35:01 | 日記
月の1週目はやはりバタバタと忙しい。
何とか今日の木曜までを無事に乗り切り、今週の勤務はあと1日だ。
それが終われば、小さな同窓会が富山市内である。
中学の時の同級生がSNSを介してつながり、4名が久々に顔を合わせる。
日頃、外に出てひとり飲みばかりしているから、いつもとは違う感じで楽しく過ごせればと思う。
詐欺などの危険も潜むSNSだが、こうして再びつながることができるのはSNSのおかげであり、本当に不思議だし有難いことでもある。

今回のメンバーは、私から見れば「ホントに中学を出て以来」という人間はいない。
一人はおととしに同じような会を開いてくれ、一人は10年ほど前にあった友人の結婚式の時に顔を見ていて、もう一人は昨年末の会社の忘年会の会場で偶然会った。
今回の段取りも含めてこれまでSNSの中で十分にやり取りをしているから、実際に会ってコミュニケーションに困ることはまずない。
ただ実際に会うとなるとやはり気持ち的には高まる。

同窓会だから懐かしい話も出るには出るだろうが、私が聞きたいのは各人の現在のことである。
今のことならSNSに叩き込んでいるよと言われそうだが、テーブルを囲んで酒を飲みながらとなればまた少しは雰囲気も違うと思う。
お互いに40年以上を生きてきて、当然それぞれが違った経験をし、中学生当時とは変わったところ、また全然変わらないところもそれぞれに持っている。
SNSもやってみようかという人間だから、少なくとも今も好奇心を旺盛に持ち、振り返るばかりの生き方はしていないだろう。
これまでに各人にあったであろうキッカケや転機など、今のキャラクターに通じる何かが話題に出るようだと個人的には嬉しい。

モノの流れで1次会は私のほうで押さえたが、それ以降はまったくの未定、流れに任せてだ。
二週ほど前に今回の話が出てからアッという間だった気がする。
とにかくお互いに楽しく過ごすことができるよう、ハジケ過ぎには気をつけたい。
明日は職場の面々には悪いが、定時かわずかの残業で切り上げて気持ちよく会場に向かいたい。
いちおう会場係だから遅れるわけにはいかないのである。

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公私混同

2013-03-05 22:08:58 | 日記
わが部署では、にわかには考えられないような公私混同の例に出くわすことが多い。
いろいろなことが許されているのは過去に許した人がいるからで、それは私が来るはるか前の話だからどうしようもない。
ただ、許されているからといって、他人がどう思うかも考えないでまるまるやってしまうのは大人の行動とは言い難い。
公式にダメと言われていないことでも、それをやったら不快に感じる人もいるかもしれないと考えて自身をコントロールできるのが大人というものだ。

職場では仕事の性質上、毎日大量の空ダンボールが発生する。
今はリサイクル業者さんが1日に2回も回収しに来てくれることになっていて助かっている。
そこまでは普通の話だが、そこに堂々と明らかに家庭で出たダンボールを持ち込む人間がいて、朝方に喫煙所の近辺にドサっと置いてあるのをたまに見る。
業者を儲けさせてやっているつもりなのかもしれないが、製品用の箱に混じってビールやリンゴが入っていたであろうダンボールを手にすることになる業者さんが果たしてどう思うのかに考えが及ばないのは不思議である。

箱詰め用のダンボールをしばってあるビニールのヒモは、あるベテラン社員の家庭菜園で使われる。
捨ててしまえばゴミになるだけということでやっているが、もともと周囲が何を言ったところで聞かない人なのでホッタラカシになっている。
気持ちは分かるが、高いものでもなくヒモくらい自分で買えよという話である。

ある若手の男性は、昼休みの職場のフロアでダンスにいそしんでいる。
過去にチームに入っていた経験もあるほどの実力があるが、疲れて休んでいる人も多い時間帯に、スマホとラジカセをつないで音楽を流して練習している。
昼休みを使うのはいいが、周りにはこれから出荷されていく荷物がたくさん置いてある。
仕事場そのものといっていい場所ではいかがなものかと、ある年長の社員も一度はモノ申したようだが練習は相変わらず続いている。

最近よく登場するT氏は、どうも絵というかマンガが得意なようだ。
アニメのキャラなどをわざわざ紙に書いてきて朝方に誰かに見せたりしているので気持ちが悪いのだが、今日は仕事で使う伝票に書いてあった氏の文字がかなりマンガ的というか妙に凝っていた。
皆が一分一秒を惜しんで仕事をしている時に、伝票の文字に凝る必要などサラサラない。
仕事場は氏の個人的な趣味を披露する場所ではなく、そんなことにムダな時間を使うくらいならもっとやるべきことはたくさんある。
周囲の目がない時にそうやって遊ぶ性格であることがこれでハッキリしたわけで、仕事中は保護観察処分ということにでもしておかないといけないのかもしれない。

いくつかの例をあげたが、プライベートと仕事をしっかり分けられないというのは悲しいことだ。
私的なことにまで会社を利用するというのなら、それはドロボウか寄生虫と同じだ。
部署のイメージや社内での位置づけが向上しないのも、現状では仕方がないのかもしれない。

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そろりとスタート

2013-03-03 23:45:21 | 休日
2月がちょうど4週間で終わるため、3月は2月と曜日の並びが同じになる。
2月同様、1日が金曜と重なり、仕事は1日にしては落ち着いていた。
それでも世の中の大部分と同じで決算月だから、特に明日あたりは大変だろう。
年度末にかけては何かと急な出来事も多いものと思われ、一筋縄ではいかないというところだ。

さて、今週末は金曜も土曜も至って静かに過ごした。
月末日である木曜がヒマなことを見越したのと、渡し忘れのバレンタインチョコをもらうという二つの要因で水曜に街に出たから今週はこれでよい。
その日も大変に気を使ってもらい、平日のみ出ている23時ちょっと過ぎの終バスにちゃんと乗れとお店のほうから言われてそうした。
平日なのに深夜まで飲んでいる人は例えば工場の遅番だったり夜勤だったりするので、普通の朝晩の仕事をしている私がつられて飲んでいてはいけない。

この他にも非公式なお誘いもないではなかったが、いちいちフォローできる状況ではない。
決めるのは自分であることを心に刻み、場合によってはスルーしても何ら問題はない。
2月の反省に立ち、全くのバッサリとまではいかなくても、自分なりに仕分けをして必ずしも望まない場にまで出て行くことは避けたい。
いわゆる「いいひと」をやったところで付け込まれるだけだからだ。

あまり飲み屋さんで熱くなることはない私でも、この「いいひと」に関しては自分の体験も踏まえけっこう話してしまった。
「いいひと」と言われること自体は一概に悪いことではないが、こと女性→男性ということでいくと、手前に(どうでも)という言葉が隠れているのではないか。
悪い人ではないが異性としての魅力には欠ける=恋愛対象外、という残酷な現実を知るにつけ、かつてそう言われて半分は舞い上がっていたのがどうにも恥ずかしい。
今は、ことさら悪人と言われたいわけでもないが、毒にも薬にもならないと言われるよりはマシだと考えている。
本当のワルでは社会で生きていけないわけで、要はただただ優しいだけではダメということ、自分の意見をしっかり持って周囲に媚びない人間が最後は尊敬を得るということだと思う。

そういう生き方をしていれば、腹の中にたまるモノはもとより少なく健康的だ。
逆に、受け入れられようと無理をして生きて、腹の中が不満や恨みで満タンになっているような人は、いいモノを入れようとしても入らない。
いくら隠そうとしても、腹に収めきれない分は日々の態度に如実に出てしまう。
何気ない一言がいちいちシャレになっていないというような人は、ある日突発的な行動に出る危険もあるだろう。
そうなったところで周囲には罪はない。
自ら周囲に見下ろされバカにされ追い詰められるような生き方を選んだ結果である。

月の実質の第1週はけっこうバタバタすると思われるが、ようやく寒さも緩んで生活の面ではラクになってきたので、引き続き体調には気を配っていきたい。

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