朝早く雨の中 上野公園の桜並木から満開の不忍池を廻ってから、高崎線で北本の石戸蒲さくらを見に・・・(4月8日)
上野で高崎線に乗り換えて、北本駅で降りて 西口のバス乗り場で、「北里大学メディカルセンター」のバスに・・・
途中途中 桜が綺麗でした。ソメイヨシノも満開なんだと思いながら北里大学メディカルセンターで降りて、歩く途中でも
綺麗な桜が満開に咲いていますので見ながら・・・ ゆっくり歩いて約10分で東光寺の石戸蒲さくらに
ちょうど満開になっていました。
雨も止んでいましたが、晴れでないのが残念です・・・ 石戸蒲さくらを見て、大きな幹でと思っていましたが、
自分の思っていたほど大きな桜ではなかった・・・東光寺の案内板を見て 凄い桜 感動しながら見てきました。
石戸蒲ザクラ 樹齢約800年
晴れていたらなぁと思いながら・・・撮影しました。
綺麗な花です・・・・
日本五大桜 樹齢約800年 石戸蒲ザクラ
大正11年(1922)に国の天然記念物に指定、樹齢約800年、日本五大桜に数えられる名木です。
指定当時はかなりの巨木(根元の周囲は約11mらしい)・・・戦後、樹勢の衰えが進行し、4本 あった大きな幹の内、
1本が残るのみとなっています。ヤマザクラとエドヒガンの自然雑種と考えられている。
石戸蒲ザクラの名前の由来は、この地を訪れた源頼朝の弟「蒲冠者(かばのかじゃ) 源範頼(みなもとののりより)」
にちなんでついたと伝えられています。
東光寺の看板
東光寺の文化財
(銅造阿弥陀如来坐像)
東光寺は川越市東明寺(時宗)の末寺で、西亀山無量院東向寺とも号し、伝説によると蒲冠者 源範頼の開基といわれている。
境内には、国指定天然記念物「石戸蒲ザクラ」をはじめ、県指定考古資料「板石塔婆」や、
市指定彫刻「銅造 阿弥陀如来坐像」など多数の文化財が所在している。
また、寺域及び周辺地域は鎌倉時代の館跡であることが知られている。
石戸蒲ザクラ 大正十一年十月十二日 指定
「石戸蒲ザクラ」は、福島県三春の滝桜・山梨県山高の神代桜・静岡県狩宿の下馬桜・岐阜県根尾谷の淡墨桜と共に、
日本五大桜に数えられる名木である。
「蒲ザクラ」の名称は、鎌倉幕府を開いた源頼朝の弟蒲冠者源範頼の伝説による。
一説には、範頼が石戸に来た時についてきた杖が根づいたのが
この桜で、蒲冠者の名にちなんで「蒲ザクラ」と名付けられたという。
天然記念物に指定された当時は四本の大きな幹に分かれ、根元の周囲は十一メートルもあったと記載されている。
現在開花する幹は老木の株分けで、いわば二代目「蒲ザクラ」である。
品種はエドヒガンザクラとヤマザクラの交配種とされ、四月上旬に開花する。
県指定公庫資料
板石塔婆 昭和四十年三月十六日 指定
市指定歴史資料 東光寺板石塔婆群 昭和五十三年三月十五日指定
貞永の板石塔婆
東光寺板石塔婆群
板石塔婆は、板碑・青石塔婆とも呼ばれ、鎌倉時代から室町時代末期にかけて多数つくられた供養塔である。
東光寺には二十二基の板石塔婆があり、かっては蒲ザグラの周囲に立てられていた。
県指定の「板石塔婆」は、貞永二年(一二三三)の銘をもち、全国第四位の古さである。
表面上部に梵字で阿弥陀三尊(阿弥陀・観音・勢至)を配し、その下部に「光明遍照 十方世界 念佛衆生 摂取不捨」
の偈(げ)(仏の功穂をたたえる詩が刻まれ、周囲には円と半円の装飾が刻まれている。国の認定重要美術品である。
この他にも寛元四年(一二四六)銘や建長三年(一二五一)銘等の比較的古いものが多く、当市の歴史を知る資料として貴重である。
これらは一括Lて、「東光寺板石塔婆群」として指定し、現在は市教育委員会で管理・公開している。
埼玉県北本市石戸宿3-119東光寺境内
北本駅 西口バス乗り場 1 「北里大学メディカルセンター」のバス停で下車、
徒歩約10分 または、「石戸蒲ザクラ入口」のバス停で下車、徒歩約3分。