これは昨年9月の木パト逝去者を偲ぶ会 墓前での奨励です。
木パトの活動の一環です。もっと詳しく知りたい方は「木パト」のホームページをご覧ください。そして、できることがあればご協力ください。
2022年9月25日(日)午後 柴胡ケ原墓地:無縁者墓地前
杉野省治(木パト相談員、逗子第一バプテスト教会牧師)
先週の朝日新聞(9月23日)に神里達博さん(千葉大学大学院教授)が、「『共同体』すり減る日本」と題した文章を書いていました。彼の言う「共同体」とは日本では、企業、学校、労働組合,NPO、農協などの職業集団、宗教団体などであるといいますが、もう一つ欠かせない共同体があります。それは地域です。具体的には昔から言われている「向こう三軒両隣」から始まり、町内会(自治会)など日常生活を送る地域共同体です。神里さんは、地域も含めた共同体がすり減ってきている、と言います。その結果、最後の砦は家族だろうけれども、最近は、格差社会の進展で、家族すらも頼りにできない人が増えている、と言っています。そして最後は「個人の孤立」に追い詰められている。それが今の日本の社会の姿だというのです。その表れが、「葬儀の消滅」という事態に見て取れるというのです。確かに昭和の時代までは、様々な共同体が葬儀に関わりお手伝いをし、参列者も多かったものです。そういえば「社葬」というのもありましたね。葬儀だけではない。子育てなども近所同士で子どもを見守っていました。隣近所での味噌醤油などの貸し借りも日常的に行われていましたね。お互い様の精神であります。いわゆる「共助」です。
神里さんはこの「共助」の衰退が、近年の日本社会の弔いの急速な簡素化に見て取れると言うのです。通夜や告別式などの儀式を行わない「直葬」も増えてきていると言います。彼は最後に「ともかく、死者をないがしろにするような時代は、きっと生者にとっても、生きづらい」と締めくくっています。「確かにそうだよな」という共感を覚えました。
「死者をないがしろにする」にしろ、「生者にとっても、生きづらい」にしろ、この文章でのキーワードは「共同体」でしょう。人と人とのつながり、関係性です。人は一人では生きられません。他者を必要としています。他者があって自分が存在するのです。奥田知志さん(NPO法人「抱樸(ほうぼく)」理事長)は「時に人は自分のことがわからなくなる。そんな時に思い出させてくれるのが他者の存在だ」とあるところで書いています。多くの人との出会いが失われた自分を取り戻していくのです。木パトはそのような関わりの中での働きを大切にしていると思います。
そのことの表れが、木パトの方々がシェルターを出た後も関わり続ける活動に見て取れます。定期的に訪問し、豚汁、果物などの差し入れやその後の生活などについて相談にのっています。それは時に看取りまで続きます。葬儀、納骨までお世話することもあります。そして死後もこのように毎年墓前での「偲ぶ会」を行って、関わり続けています。それは、生きづらさを抱えている人や苦しい生活を強いられている人々の励ましになるでしょう。「死んだ後も私のことを覚えてくれている、偲んでくれる」。それは、社会から孤立しがちな方たちの励ましや慰めとなっていることでしょう。そのような息の長い関わりの中で、一人ひとりが自らの生き方を少しずつ取り戻していくことでしょう。