逗子にあるキリスト教会の逗子第一バプテスト教会です。

牧師のつれづれ日記、地域情報、教会の様子を紹介します。

神の恵みの新しさ

2025-01-09 15:23:56 | 説教要旨
2025年1月5日 逗子第一教会 新年礼拝宣教
 「神の恵みの新しさ」  詩篇98編1-9節
 人間の作りだす文化は成長や進歩向上を遂げつつ新しさを形成していきますが、信仰の新しさは神の恵みによる新しさであります。恵みによる新しさは、予想することもできなく、計画によってでもなく、瞬時に与えられたというべき変革であります。
 キリスト者はこの神の恵みによる変革によって、わが身をすっかり新しくされていることを驚きと感謝のうちに受け取るのです。この詩篇の作者は、「今」というこの時に神の恵みによって変革した自分自身を発見して、「新しい歌を主に向かって歌え」と呼びかけています。
 「主は驚くべき御業を成し遂げられた」とあるのは、イスラエルの人々のバビロン捕囚生活からの解放のことです。それは政治的にはペルシャのクロス王の台頭によってもたらされたものでありましたが、イスラエルの人々は歴史を支配しておられる神の業と見たのであります。遠い異国の地バビロンでの捕囚生活は、彼らにとって非常な苦しみでありましたが、それにも増して彼らを苦しめたのは、ひたすら寄り頼んできた神への信頼のゆらぎでありました。本当に神は私たちのことを覚えておられるのだろうか、本当に神はおられるのだろうか、本当に神は私たちと契約(約束)されたのだろうか、そういう思いが次々と起こってきて彼らを悩ましました。それだけに神は覚えていてくださった、「慈しみとまことを御心に留められた」という喜びは限りなく大きかったに違いありません。そこから、この「新しい歌を主に向かって歌え。主は驚くべき御業を成し遂げられた」という喜びにあふれた賛歌が生まれてきたのではないでしょうか。
 私たちはともすると、信仰とは私たちが神を喜ばせることのように思いやすい。そして神より私たちの方が先のように思い、あれをしなければならない、これもしなければならないという信仰生活になってしまいます。しかし主イエスは、そういう、ねばならないという信仰態度を徹底的に砕こうとされました。そして一面非常にまじめな信仰生活をしていたパリサイ人を激しく非難されたのであります。なぜならば聖書が私たちに示している信仰とは、神がまずなしてくださった業に対する驚きと喜びから生まれてくる応答であり、私たちにとって大事なことは、決して何かすることではなくて、私たちに対して神が何をしてくださったかということをまず覚えることだからです。
 神の救いのみ業は神の勝利(口語訳)であります。全地が歌うべき、すべての人に関わる勝利であります。礼拝は、どんなに小さいものであっても、この勝利(神の救いのみ業)を歌い、いつも新しい歌によって作られていくのです。神の救いのみ業は日々なされているのです。ですから私たちは日々新しくされて、生かされているのです。日々新たなり、であります。神の恵みは日々私たちに与えられているのです。ですから、日々新しい歌を持って神をほめたたえましょう。新しく始まりましたこの一年も一日一日、「驚くべき御業」「くすしきみわざ」を覚え、感謝を持って歩んでいきましょう。