逗子にあるキリスト教会の逗子第一バプテスト教会です。

牧師のつれづれ日記、地域情報、教会の様子を紹介します。

あなたがたといつも共にいる

2020-08-24 12:18:50 | 説教要旨

2020年8月23日 主日礼拝宣教
「あなたがたといつも共にいる」 マタイによる福音書28章16-20節
 今日の聖書箇所の場面はガリラヤ。なぜガリラヤかというと、主イエスは生前に弟子たちに「私は復活した後、あなたがたより先にガリラヤへ行く」(26:32)と言われていたから。また、葬られた墓に向かった二人の女性は天使と復活された主イエスに出会い、弟子たちにガリラヤに行くように告げられた(28:1-10)。それを聞いた弟子たちはガリラヤに出かけ、主イエスと出会う。ガリラヤは、ヘブライ語で「ガーリール」、辺境という意味の言葉に由来する地名。当時の中心であるエルサレムから遠く離れた辺境の地であるガリラヤ、そこは主イエスが宣教をはじめられた場所でもあった(4:12,7)。 主イエスは宣教の始まりの地に弟子たちを集められた。そして昇天前の最後の場面で今度は、弟子たちに全世界に行って宣教するように言われた。いわゆる大宣教命令。集められ(招集される)、次に散らされる(派遣される)。私たちも同じ。礼拝へと集められ、次にそれぞれ家庭へ地域へ学校、職場へとへ遣わされる。そしてそこで出会いが与えられ、交わりがあり、その過程の中で証したり、お誘いをしたりする。考えてみればごくごく日常的な生活の中での伝道の働きである。何も特別なことではない。
 さて、弟子たちが主と出会う場所は「山」だった。マタイ福音書では山はかつて主イエスが説教された場面(山上の説教)を記している(5:1-2)。弟子たちはかつて主イエスが山で語られた教えを想起したことだろう。
 ここで弟子たちは「イエスに会い、ひれ伏した」とある(17節)。ひれ伏すとは礼拝するということ。「しかし、疑う者もいた」(17節)とも記されている。聖書は率直に弟子たちのいいことも悪いことも書き記している。それは弟子だけではなく私たちすべての者に当てはまることだからではないだろうか。だから、私たちは容易に、復活したイエスに出会ったことに疑い迷っている弟子たちのさまを目に浮べることができる。そうだよね、と。
 ところが、そのような弟子たちになんとイエスは「あなたがたは行って、すべての民を私の弟子にしなさい」(19節)と伝道へと派遣されるのである。大丈夫かいな、そんな軟弱な弟子に命令して?と思う一方で、この言葉が今日の私たちにも向けられていることを知るならば、私たちも思わず尻込みをするのではないだろうか。こんな私が伝道なんて、証しだなんて…。
 しかしイエスはさらに言われる。「彼らに父と子と聖霊の名によってバプテスマを授け、あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい」(19節)。教える?とんでもない。自分にできないことを人に偉そうに教えるなんてとてもできることではない。
 なぜ、イエスはそう言われるのだろうか。ポイントは「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」(20節)である。「私がいつも共にいるから大丈夫」と言ってくださっているのである。いつも共にいてくださると約束してくださるイエスはどんな方だろうか?18節に「わたしは天と地の一切の権能を授かっている」とはっきり弟子たちに言われている。その方がいつも共にいてくださるというのである。ということは、その伝道の働きは主イエスの働きによってなされていく、ということではないか。
 さらにイエスは言われる、「父と子と聖霊の名によって」と。すなわち、「あなたの名によって」、あなたの責任によってそうしなさいとは言われてはいない。父、子、聖霊の三位一体の神によってそうしなさいと言われているのである。責任は神にあるということ。宣教の働き、すなわち教会の働きは神によってなされ、神が責任を取ってくださる働きだということである。私たちはその神に信頼して、従い、示されたことを忠実に行うだけ。結果は神にゆだねればいいのである。私の手柄でも業績でもない。だから傲慢になることもない。すべていつも共にいてくださる神のなせる働きである。私たちはただそのような神に感謝し、神に栄光を帰すだけである。

キリストに満ちあふれる日々

2020-08-18 11:00:55 | 説教要旨

2020年8月16日 主日礼拝宣教
「キリストに満ちあふれる日々」ガラテヤの信徒への手紙2章15-21節
 今日の聖書箇所はパウロの「信仰義認」といわれている個所である。16節にあるように「イエス・キリストへの信仰によって義とされる」というパウロの信仰理解の中心部分である。そのパウロの信仰のありようが、20節の「生きているのは、もはやわたしではありません。キリストがわたしの内に生きておられるのです」という言葉で告白されている。
 スイスの精神科医であるポール・トゥルニエ博士の来日講演集『生きる意味』(聖文舎、1978)をかつて読んで深い感銘を受けた。トゥルニエ博士は、医学の臨床とキリスト教信仰との深い結びつきから、「人格医学」という分野を提唱した精神科医として有名である。患者を一人の人格者として統合して診ていくという医療方法である。
 そのトゥルニエ博士の講演の一つに今日の聖書箇所について話されているところがある。トゥルニエ博士は、講演の中で次のように話されている。「人格形成において最も重要な手段は、イダンティフィカシオン、つまり、一つの理想像に自分自身を合わせていくことにあります。ですから、子どもは、自分の親を見習って成長し、少し年が進むと、親以外の人にも目を向けるようになり、知り合った好きな人に憧れたり、俳優に憧れたりして、自分の理想像をまねて、性格を形成していくわけです」と言われている。
 確かに、私たちの心の中には、何か優れた存在に自分自身を合一(重ね合わせる、一体化する)させ、自分自身を形成していこうとする強い本性的傾向をもっている。この傾向は、日常のささいなことにもよく見られることである。昔、日活の石原裕次郎の映画を見た男性客がみんな、映画館を出る時、裕次郎をまねて蟹股のようなカッコつけて歩いていたという、本当かウソかは分からないが笑い話のようなことを聞いたことがある。今でも、テレビのドラマを見ていると、ふと、いつの間にか、登場人物の一人に自分を同化させていたり、小説を読んでいると、その主人公や、好きな人物になりきって読んでいることがよくある。特に人格形成に大事な思春期においてはよくあることだ。あこがれ、とでも言っていいだろう。そしてまねるのだ。このように、私たちは、日ごろ、だれかをモデルにして生きている。モデリングという。これは大事なことだ。しかし、私たちのモデルは、あくまでも、有限な人間であって、美点もあれば欠点もあり、その美点ですらも限界は免れないのだ。
 そこで、トゥルニエ博士は、このような限界を乗り越え、まったく限界のないモデルを得たいならば、それはただ、キリストの中にしか見出すことはできないと主張するのだ。実際、人間が自分自身を同化できるイメージとして、これ以上優れたイメージが、ほかにあるだろうか。パウロの経験も、まさに、ここにあったのではないかと博士は言う。だから、「生きているのは、もはやわたしではありません。キリストがわたしの内に生きておられるのです」と言ったのだと、トゥルニエ博士は言われる。
 しかし、ここに一つの大切な点があるとトゥルニエ博士は指摘する。それは「キリストとの自己同一化においては、普通の人間との同一化とは次元の異なる、深い存在領域における存在の同一化が行われる」というのである。それはどういうことかというと、「モデルを手本にする限り、モデルは、あくまで自分の外にとどまります。しかし、キリストをモデルとする場合、モデル自身が、私たちの中に入り込み、そこに住み、そこに生き、存在的にも一体となる」と博士は説明される。主ご自身がわたしたちの中に住んで、生きて働いてくださるというのである。私は黙示録3章20節を思い出した。「見よ、私は戸口に立って、たたいている。誰か私の声を聞いて戸を開ける者があれば、私は中に入ってその者と共に食事をし、彼もまた、私と共に食事をするであろう」。主自らが戸を叩き、私たちがキリストをモデルにしようと戸を開けたなら、主自身がわたしたちの中に入って来られ、共に食事をする、言い換えれば共に生きてくださる、というのである。
 これを私たちの側から言うとどういうことなのだろうか。それは、キリストは私の単なる理想像ではなく、親しい友となってくださっているということである。賛美歌「いつくしみ深き」にあるように「いつくしみ深き 友なるイエスは」である。そしていつも、キリストと個人的な会話を交わすようになるということである。自分の中に感じることは何でも、素直にキリストに語り、キリストの考えを、心の耳で聞くようにするということである。そうする中で、キリストは、私の人生の伴侶となり、私と共に在って、日夜導いてくださるのである。
 そのような信仰生活のことをパウロがここで「もはや私が生きているのではなく、キリストこそ私の内に生きておられるのです」と表現(信仰告白)したのだ。これこそキリストに満ちあふれた日々、キリストに、一人一人が結びつくこと、キリストと一体になることである。それは祈りに始まり、祈りに終わる信仰生活でもあるだろう。

平和をつくり出す人々

2020-08-11 11:46:50 | 説教要旨

2020年8月9日 主日礼拝宣教
「平和をつくり出す人々」 マタイ福音書5章3-12節
 先々週は、最初の人間アダムとエバが神から食べてはいけないと言われた木の実を食べ、神との約束を破ったとき、神はアダムに「あなたはどこにいるのか」(創世記3:9)と問いかけられたことを話した。主なる神と人との出会いは、この神の問いから始まった。それは、神に背き、身を隠す人間への呼びかけであった。
 その呼びかけは、神は罪を犯した、あるがままの姿で立つ人間と向き合い、人間の説明や弁解を無用とし、責任ある応答を求められる方であることを私たちに教える。さらに神は人の罪を受け止めながら、責任ある応答する人を愛され、祝福へと導かれる方でもあることを学んだ。主イエスも「平和を実現する人々は、幸いである。その人たちは神の子と呼ばれる」と、私たちを祝福の道のパートナーとして招いておられる。これは招きの言葉でもある。
 15年以上前に次のような記事を「キリスト新聞」で読んだ。それは韓国釜山の四人の牧師たちが来日し、同胞たちの苦難の現場をたどった、という小さな記事だった。その現場とは、97年前の関東大震災で、日本の軍隊・警察・住民らによって、朝鮮人6千人以上が理由もなく虐殺された現場である。そこで一人の牧師が「関東大震災後、日本の教会ではどんな説教がなされたか。また震災によって教会はどう変わったか」と質問されて、その場に居合わせた者は明快に即答できず、日本のキリスト者として不明を恥じたとあった。この記事を読んで以来、私はこれは他人事ではない。今も問われていることだと思わされている。戦争や紛争ばかりではない。阪神淡路大震災、東日本大震災、福島第一原発事故、熊本地震、そして毎年のように起こる台風、豪雨などによる風水害など、そして今回のコロナウイルス感染などにおいても、私たちは「あなたはどこにいるのか」と問われ続けているのではないか。教会はどこに立つのか、どこに立っているのか、ということである。
 自民党政権は、いつでも戦争が出来る状態をつくり出そうと躍起になっている。たとえば、安倍政権の憲法改悪の動き、その眼目は9条改悪。自衛隊を憲法に明記するというもの。最近では、「敵基地攻撃能力」の保有ということまでを言い出した。その中にあっての今日の主の招きである。招きに応えようとすれば、批判や困難や誘惑が迫ってくることもあるだろう。やがて、招きに応えて従うのが辛くなってくると、耳障りのよい御言葉だけを拾って読もうとする。「従う」という恵みを「律法主義だ」「~ねばならない信仰だ」と、批判的な解釈をする人も出てくるだろう。しかし「従う」というのは、決して楽なことや喜びの中で実現するのではない。痛みを伴うことも苦しみを伴うことも、犠牲を強いられるときさえある。しかし、その苦しみのところに、主ご自身が一緒にいて下さるのだ。私たちの苦しみや悲しみを誰よりも分かって下さる十字架の主イエスが片時も離れずおられるのだ。その信仰に立つ、その主への信頼に立つ歩み。イザヤ書41章10節にあるように「恐れてはならない。私はあなたと共にいる。驚いてはならない。私はあなたの神である。私はあなたを強くし、あなたを助け、わが勝利の右の手をもって、あなたを支える」と、励まして下さるのである。
 「従う」というのは盲信、盲従ではない。洗脳でももちろんない。よく分からないけど、神が言うから従うではない。また、従っていれば楽だとか得をするからという損得勘定でもない。創世記6章のノアの箱舟の箇所に、「ノアは神に従う無垢な人であった。ノアは神と共に歩んだ。」(6:9)とあり、「ノアは、すべて神が命じられたとおりに果たした」(6:22)とある。ノアは神が言われるから、何も分からないままに行ったのではない。ノアは神がどういう方であるかよく分かっていた。だから神に信頼をおき、神を礼拝し、神と共に歩んでいたのである。 
 神の平和(シャローム)を祈り求め、行動する群れでありたいと思う。「あなたはどこにいるのか」との、主の呼びかけに誠実に応えるところから、平和をつくり出す祈りや行動が生まれる。その時、主イエスは、私たちを祝福しながら共に歩んで下る。「平和をつくり出す人たちは、さいわいである、彼らは神の子と呼ばれるであろう」。日本において平和について考えるよい時期であるこの8月に、もう一度、この主イエスの御言葉に耳傾けたいと思う。

戦争体験談から考える

2020-08-07 10:46:39 | コラム

☆ コラム ☆ 戦争体験談から考える
 8月は平和を考える時でもある。8月6日広島、9日長崎の原爆投下、15日敗戦。平和を考える時、いくつもの切り口、視点がある。その一つが、戦争体験談から考える、というもの。その時、できるだけ身近なところの体験談を聞くほうがいい。今住んでいるところのことや親や祖父母の体験などである。
 私にとって身近な戦争体験談といえばやはり両親からの話。ところが、なぜか親たちは当時のことを多く語らなかった。私の郷里、宇部市もやはり空襲にあった。最大の空襲は7月2日未明に始まった。母親の証言。誕生して2週間の姉を抱いて、焼夷弾の降る中、郊外にある祖母の実家へ逃げ込んだという。この空襲で母方の実家のお店(履物店)や家、数軒の借家、長屋すべて焼失した。私の実家はかろうじて焼失をまぬがれた。百メートル先が戦後、闇市と呼ばれる商店街に発展していった。
 私の父親は徴兵で3年半中国中部方面の戦地へ。徴兵検査が乙(身体検査で甲乙丙とランク付けをした)で歩兵の部隊に行かなくて助かったという話ぐらいで、ほとんど軍隊での話はしなかった。話せ、というのは酷か。