逗子にあるキリスト教会の逗子第一バプテスト教会です。

牧師のつれづれ日記、地域情報、教会の様子を紹介します。

十字架につけられ給いしままなるキリスト

2022-10-26 15:44:37 | 説教要旨
2022年10月23日 主日礼拝宣教
宣教:井東 元(横浜戸塚バプテスト教会)
「十字架につけられ給いしままなるキリスト」 
コリントの信徒への手紙一 1章26節~2章5節
 コリントの教会を設立したパウロのもとに、クロエの家の者たちから、教会の中で派閥争いが生じているという知らせがパウロにもたらされた。「私はパウロに」「私はアポロに」「私はケファに」「私はキリストに」と言い合い、自分の知恵を誇り、競っていたのである。「私はアポロにつく」と語るということは、直接的には「私はパウロにはつかない」ということだ。しかし、それ以上に「私はアポロから正しい教えを教わって、知恵を持っている。他の奴とは違うのだ。」と自分の知恵を誇る意味合いも読み取れる。そのような教会にパウロはまず十字架の神学を語った。それはこの世の知恵からすれば理解し難いことである。知恵に訴えるなら「十字架のキリスト」ではなく、「奇跡を行ったキリスト」「復活のキリスト」になりそうなものである。  
 パウロは手紙の中で奇跡的なことを行ったことがあると書いている。そうであれば、パウロ自身の奇跡的な行為に頼ることもできただろう。それに対して十字架は死刑台である。そこには奇跡もなければ強さ、賢さ、救い、祝福はないように見える。しかもそれは「十字架につけられたことがあるキリスト」ではなく、「十字架につけられ給いしままなるキリスト」である。さらにパウロは、そのキリストを「衰弱していて、恐れに取りつかれ、ひどく不安であった」自分と重ね合わせている。ますます人間の知恵では理解不能である。
 パウロ自身が書いている通り、ユダヤ人にとって十字架というのはつまずきでしかないし、ギリシャ人にとっては愚かさでしかない。パウロは第一コリントの15章で「復活のキリスト」について熱心に語っている。復活についても「復活し続けている」キリストが宣べ伝えられており、復活のキリストは私たちと共にいてくださっている。その方がよほど力ある神さま、イエスさまを宣べ伝えられそうなものである。
 それではパウロはなぜ「十字架につけられ給いしままなるキリスト」を宣べ伝えていたのか。鍵となる言葉は「神の愚かさは人よりも賢く、神の弱さは人よりも強いからです。」という言葉だ。神さまは人間の知恵に合致する事柄ではなく、あえて弱さ、愚かさを取り、それを通して強さ、賢さを示そうとされているのである。パウロの開拓伝道は困難の連続だっただろう。パウロは目の病気だった可能性があるが、本質的な困難はそういうことではなかっただろう。神の言葉を取り次ぐことの重要さ、厳しさの前にパウロが弱さを自覚することは多々あったはずだ。弱さの中でパウロは奇跡的な力に頼るのではなく、十字架のキリストを宣教した。コリントの信徒たちの中には豊かな者もいれば貧しい者もいただろう。豊かな者は知恵に頼り、自慢する生き方から、豊かではない者たちに寄り添い、ケアするように語りかけ、豊かではない者たちにはそんな人こそ神さまが召し出してくださり、「十字架につけられ給いしままなるキリスト」が共に苦しんでくださっている、だからあなただけが苦しむことはないのだと励ましていたのではないか。コリントの信徒たちの生き方を変え、力を与えるのは「十字架につけられ給いしままなるキリスト」なのである。パウロ自身、「十字架につけられ給いしままなるキリスト」が自分と共に苦しんでくださっている、そのことから日々不安から救われ、宣教へと向けて力を得ていたのではないか。神さまがあえて弱さを取ったことは、申命記7章7節「主が心引かれてあなたたちを選ばれたのは、あなたたちが他のどの民よりも数が多かったからではない。あなたたちは他のどの民よりも貧弱であった。」という言葉にあらわれているし、あえて愚かさを取ったこともコリントの信徒への手紙一1章21節の「世は自分の知恵で神を知ることができませんでした。それは神の知恵にかなっています。そこで神は、宣教という愚かな手段によって信じる者を救おうと、お考えになったのです。」という言葉に表れている。神さまの弱さ、愚かさは人間の知恵に優るのである。

自分の十字架を負って歩む

2022-10-19 16:03:23 | 説教要旨
2022年10月16日 主日礼拝宣教
「自分の十字架を負って歩む」 ヨブ記17章1-2節、42章1‐6節
 なぜ人はこの世で苦しみ、悩まなければならないのか。しかもなぜ、何の理由もなく悲惨なことが身に起こるのか。このような人生に、はたして意味などあるのか。この世界そのものが不条理にできていて、正義の神などいないのではないか。これらはいずれも、古代イスラエル人のみならず、人がいるところにはどこにもある問題ではないだろうか。
 ヨブ記はまさにこの問題を正面から取り上げ、回答を求める物語である。ヨブ記はこの世の不条理に対して問い続け、そしてその回答を求める。不条理とは辞書的に言うと、「事柄の道筋が立たないこと」。卑近な例。コロナ禍において、非正規雇用者が理不尽に解雇されている。誰よりも誠実に全力で働いていた者が、理由なく経営不振の責任を問われ解雇される不条理がある。教育現場での陰湿ないじめも構図は同じ。ヨブ記は、神の前に正しい人であったヨブが、神から見放されたような状況に追い込まれ、さらに仲間たちから冷たくあしらわれ、傷つき、孤独にじっと耐えることしかないヨブの姿を伝える。17章1-2節「息は絶え、人生の日は尽きる。わたしには墓があるばかり。人々はなお、わたしを嘲り、わたしの目は夜通し彼らの敵意を見ている」。このようなヨブの苦悩に対して、私たちはどのように受け取り、考えればいいのだろうか。
 ヨブ記の最後には神が現れる。そしてようやくヨブに語りかける。しかし、結局神はヨブが受けた不条理の理由は語らない。にもかかわらずヨブは神の前に屈する。それがなぜなのか、私にはきちんと説明することができない。最後の最後、ヨブは神によって義とされ、祝福が戻るが、それもまた説明を超えている。
 けれども、ヨブ記を読むことで見えてくる興味深い事実がある。それはヨブのもとに現れた神は、不思議なことに、ヨブに答えるのではなく、むしろヨブに「答えてみよ」と問いかけるのである。神に問い続けたヨブが逆に神から問われるのである。そこに、ヨブ記の逆説的意味があるように思われる。
 私たち人間にできることは、神に問うのではなく、神に答えようとすること。問う者が問われる者になるということは、言い換えると、自らの現実を背負い引き受け、神に答える人間になることが求められるということである。
 これについては、オーストリアの精神科医で心理学者のヴィクトール・フランクルの言葉が手がかりになるだろう。彼はアウシュビッツ強制収容所で不条理を経験した。そのナチス強制収容所での体験を元に著した『夜と霧』は大変有名で、世界で広く読まれている。フランクルはこう言っている。「人生に対して人は問うべきではない。人生が問うているのであって、人生に答えるのである」。彼はこうした考え方を「コペルニクス的転回」と呼んだ。
 不条理に苦しむ者にとって、唯一の道はそこにあるのではないだろうか。それがなぜ起こったのかを問うのではなく、ただそれを背負って生きていく。ここにヨブ記の意味があるように思われる。神に選ばれた者が果てしない苦しみを経験するヨブ記は、その後の十字架のキリストの苦難に重なる。キリストは十字架の上で「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」と叫ばれた(マタイ福音書27:46)。罪なきキリストが神から見捨てられるという、究極の不条理の出来事をキリストは十字架に現わされた。ヨブに代表される私たちの不条理の問いをキリストご自身もまた共有されたのである。その主が弟子たちに「自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい」(マタイ16:24)と言われる。しかし、そのキリストは復活の主でもある。復活の主が同時に不条理の苦しみを共にして下さって、答えのない「なぜ」を一緒に問う者として歩いて下さる。キリストが共に歩んでくださる。自分の十字架を背負って、復活の希望を目指して、それぞれ与えられた人生を真摯に歩んで行こう。

おのが罪をあらわに

2022-10-13 12:33:07 | 説教要旨
2022年10月9日 主日礼拝宣教
「おのが罪をあらわに」 詩編32篇1-11節
 詩編32編は、古今東西、多くの人たちに親しまれてきた詩編である。聖アウグスチヌスがこの世を去る時、部屋の壁にこの詩編が書いて掲げてあったという。また、宗教改革者のマルチン・ルターも、最愛の詩編の中にこの詩編を加えている。そのことからも、この二人がいかにおのが罪に悩み、またキリストによる罪の赦しを感謝していたかがわかる。
 1節2節では、神の愛を裏切った罪、神の正しさを曲げた罪、不潔な行為をした罪、こうした罪が赦されている者の幸福が歌われている。自分が犯した罪は、人にはわからなくても自分の心では苦しみ悩み不安を募らせるばかりではないだろうか。それは、何もかも見ておられる神に罪を犯しているからである。だから、神から罪を赦してもらわなければ、悩みと不安は一層募るばかりで、消えることはない。心身を病むようになる人もいる。先ほど挙げた聖アウグスチヌスやマルチン・ルターなどはそれに近いほど悩み苦しんだといわれる。もはや、罪を赦してもらうほかに救いはないのだ。神が罪を裁くのは、罪を悔い改めさせて、罪を赦すためなのである。しかも、神は罪を赦したことを覚えておられない。赦してやったのに、一向に恩を感じていないなどと言わない神なのである。このような徹底した「ゆるしの愛」の中に生きるほど「幸い」なことがあるだろうか。罪の赦しこそ幸福の源、である。
 3節4節では、詩編作者が自分の罪を知っていながら、神に悔い改めなかった暗い生活を思い起こして歌っている。「わたしは黙し続けて」、その結果「絶え間ない呻きに骨まで朽ち果てました」と言っている。神に背を向けるほど病は重くなり、激しい痛みのために「わたしの力は、夏の日照りにあって衰え果てました」と嘆き悲しんでいる。罪を悔い改めぬことこそ不幸の源だと言っているのである。
 5節6節7節では、作者がギリギリのところまで追いつめられて、罪を神に告白する。人間が本当に人間らしくなるのは、罪を告白するその時である。また、神が本当に神になるのは、罪を告白した人間の罪を赦すその時である。ここにしか、神と人間との出会いはない。だから、作者は、あの時あの所で神に犯した罪を「隠しませんでした」と告白しているのである。
 その時、何が起こるのだろうか。「そのとき、あなたはわたしの罪と過ちを赦してくださいました」と証ししている。そして、赦された者は6節「慈しみに生きる」者とされ、祈る者とされるのである。同時に裁きの神は赦しの神となり、さらに慈しみの神となる。そのような神は、7節、困難、試練の時には守り、ある時は隠れ家となってくださるのである。
 8節から11節では、作者が罪赦され救われた喜びを黙っておれない気持ちを歌っている。神は罪と死から救い出した者に、宣教の使命と責任を与える。8節「わたしはあなたを目覚めさせ、行くべき道を教えよう」と言われる。特に若い人たちに、神の裁きと赦し、真に幸福に生きる道を語り継がなければならない。罪に脅迫されて、恐れおののいて生きるのをやめ、罪を悔い改め、赦されて生きよと勧める。そして11節「すべて心の正しい人よ、喜びの声をあげよ」と結んでいる。
 新約聖書のガラテヤの信徒への手紙2章16節に、キリスト者は「イエス・キリストへの信仰によって義とされる」とある。神が義人と認めているならば、人からどんなに非難されても意に介する必要はない。しかし、キリスト者もこの肉体を持っている限り、いろいろな誘惑を受けて苦闘し、時に罪の誘惑に陥る。罪は赦されているが、この神の大いなる恵みに報いることが乏しいのである。その意味ではなお罪人である。ルターは「つねに罪人つねに義人」だと言っている。またよく「罪赦された罪人」とも言われる。神はキリスト者にこそ真実の悔い改めを要求される。単に言葉だけで悔いることではない。日々に生活を改めるために、キリストのみ心に、自分の十字架を背負って服従することが求められる。むしろ主キリストの厳しい命令なのである。「自分のからだを打ち叩いて服従させる」戦いを求めておられる。神が罪の赦しの恵みを与えているのは、この戦場に遣わすためである。赦しの恵みに甘えて、この戦いを避けるならば、前よりも、もっと悪しき者となるであろう。罪を隠さず告白し、赦されて生きる。そして、その赦しに感謝して、喜んで主に仕える。そのような生き方へと私たちを励まして下さっている。この詩編32篇のみ言葉に励まされながら。

十人の病人のその後

2022-10-03 12:26:34 | 説教要旨
2022年10月2日 主日礼拝宣教
「十人の病人のその後」 ルカによる福音書17章11-19節
 聖書には、一見だれが読んでも、なんとわかりやすい教えなのだろう、と思える話が出てくる。この物語もその一つ。そのメッセージは、神が与えられた恵みに感謝しなくてはならないという、非常に分かりやすいものだ。しかし、物語を熟読すると、そこからは恩を忘れるなという警告以上のメッセージが伝わってくる。 
 今日の聖書の話は、イエスがエルサレムに上られる途上、サマリヤとガリラヤの境を通られた時のこと。十人の重い皮膚病に冒された人がイエスに会い、遠く離れた所から声を張り上げて、「イエスさま、先生、どうか、わたしたちを憐れんでください」と病の癒しを懇願したのだ。なぜ「遠く離れた所」なのかといえば、当時この病気に罹ると、人に近づくことが許されていなかったからだ。「汚れている。汚れている」と叫びながら歩かねばならなかったほどだ。生活の共同体の外に置かれた存在だった。なんと苛酷な定めだろうか。
 イエスは彼らの願いを聞き入れ、「祭司たちのところに行って、体を見せなさい」と言われた。そして彼らは行く途中で癒されたというのである。「祭司に見せなさい」と言われたのは、律法の規定では癒されたことが祭司によって確認されたうえでなければ、社会復帰もできなかったからだ。
 さて、物語の中心点は、病気の癒しでなく、その結果どうなったかというところだといってよいだろう。十人とも癒されたにもかかわらず、感謝してイエスのもとに帰ってきたのはサマリア人一人だけだった。彼は「神をほめたたえながら引き返して来て、イエスの足もとにひれ伏して感謝した」というのだ。
 ところで、私たちは残りの九人のことを他人事のように考えることはできない。これが人間世界の現実であり、私たちの姿だからである。人はともに不幸であることによって結び合うところがある。「同病相憐れむ」という世界。そこでは心を共にし、喜び悲しみを共にする。だから、彼らも人々から隔離された寂しい村はずれであっても、皆同じ思いで「イエスさま」と叫ぶことが出来た。病を共にしている時、それが出来たのだ。そこには自然発生的な一種のコミュニティ(共同体)のようなものがあったと言ってよいだろう。
 ところが病気が癒された時、つまり問題が解決された時、「九人はどこにいるのか」と問われる存在になってしまったのだ。繋がりや絆はどうなったのだろうか。ある本にこの個所を解説した印象深い言葉がある。そこにはこう書いてある。「不幸の中での結び合いは、癒しと同時に解体した。……喪失した人生を急いで取り戻し始めた。生存競争のルートに乗り始めた。群像はもはやいない」と。聖書には彼らの行き先は書いてない。どこに行ったのだろうか。九人はそれぞれ自分の道に向かってどこかに行ったことは確かだろう。これは私たちの人間の交わりにおいても同じであって、問題や課題は人を結び合わせる要因ともなるが、解決すると解体してしまうことがあるのだ。
 では、「引き返して来て、イエスの足もとにひれ伏して感謝した」というサマリヤ人はどうなのかといえば、それこそ群像が解体したあと取り残されたものの、恵みを与えてくれたイエスのところに赴くことによって真の交わりを得たのである。イエスは彼に「立ち上がって、行きなさい。あなたの信仰があなたを救った」と言われ、新しい人生に送り出された。ここに絆や繋がりの本質を考える手がかりがある。真の絆は単に相憐れんで悩みや問題を共有することではなく、人間が本来目を向けるべきところで心を合わせることのできるものでなくてはならないということである。彼はイエスへの感謝を選択することによって新しい絆の世界に入ったのだ。古き群像を後にして。
 私たちが教会へ来るということはそういうことではないだろうか。

木パト逝去者を偲ぶ会

2022-10-03 11:53:07 | コラム
 相模原でホームレスや生活困窮者,DV被害者などの支援活動をしているNPO法人「木パト(木曜パトロール)」は毎年亡くなられた方々の「偲ぶ会」を行っている。先週の日曜日の午後、相模原市の無縁者合同墓地で行われた。その時にお話をしてほしいと頼まれて参列した。聞けば逝去者は20数年で45名を数える、という。その方々の名前が書かれた名札が並べられ、思い思いに故人を偲びながら思い出が語られた。亡くなられた方のなかには親族の方が遺骨を引き取られるケースもままあるが、多くはこの墓地に埋葬されている。
 木パトはシェルターを出た後も支援者と関わり続けている。定期的に訪問し、果物などの差し入れやその後の生活などについて相談にのっている。それは看取りまで続く。時には葬儀、納骨までお世話をする。そして死後も毎年「偲ぶ会」を行って、関わり続けている。それは、「死んだ後も私のことを覚えてくれている、偲んでくれる」と社会から孤立しがちな支援者たちの励ましや慰めとなっている。そのような息の長い関わりの中で、一人ひとりが自らの生き方を取り戻していっている。