逗子にあるキリスト教会の逗子第一バプテスト教会です。

牧師のつれづれ日記、地域情報、教会の様子を紹介します。

絶望に寄り添う聖書の言葉

2023-03-27 11:14:35 | 説教要旨
2023年3月26日 主日礼拝宣教 
「絶望に寄り添う聖書の言葉」 申命記31章7~8節
 二千年以上前に書かれた聖書は、大昔の話で、現代の私たちの日常生活とは一見接点がないように思われるかもしれない。しかし、実際に読んでみると、いくつもの光を放つ言葉に出会うことができる。例えば、現代でもよく言われる「神は耐えられない試練を与えない」という言葉。この言葉は新約聖書のコリントの信徒への手紙一10章13節にある「神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えてくださいます」が、簡略化されて一般に知られるようになったものである。この言葉をどこかで見かけて勇気づけられた人もいるだろう。生きづらい今の時代に、「神は耐えられない試練を与えない」と言われれば、私たちは何とか、その一日を頑張り抜くことができる。
 今、三年も続くコロナ禍で先が見えず、閉塞感に襲われ、またロシアのウクライナ侵攻で心が潰されそうな日々が続く中で、絶望しそうな心を癒してくれる、暗い心に寄り添ってくれる言葉が求められている。聖書の中にはそれらが多くある。今日与えられた申命記の言葉もまさにそうだ。なぜ、聖書の中にそのような言葉が多くあるのだろう。それは一言で言うならば、イスラエルの民たちが歩んだ歴史が、絶望を生き抜いた歴史だからである。
 ここで少しイスラエル民族の歴史を振り返ってみよう。するとそのことがよくわかる。イスラエル民族はもともとどの民族よりも小さくて弱く、神の助けを必要とした民族だった。かつてはエジプトで奴隷のように扱われて虐げられた絶望的な歴史を持っている。その過酷な状況から指導者モーセに率いられてエジプトから脱出し、神の約束の地であるカナンに定住をする。この出来事は出エジプトとして彼らの歴史の中で非常に重要な出来事として記憶され、継承されていく。
 やがて王国を形成する。紀元前10世紀のダビデ王、ソロモン王の時代である。しかし、王国はやがて南と北に分裂する。そして、紀元前8世紀に北王国が滅び、残った南王国も紀元前6世紀に滅亡した。神に選ばれたイスラエルの民が国を失う。これは破局的な出来事である。エルサレムは破壊し尽くされ、多くの人々が剣に倒れ、彼らの魂の拠り所であった神殿は破壊され、王国は消滅したのだ。
 こうしてイスラエル民族は世界史から消え去り、かろうじて生き残った人々は捕囚としてバビロニアに強制連行される。これがバビロン捕囚と言われる、彼らにとってはまさに絶望的な出来事だった。彼らは、自分たちが神から見捨てられたと嘆く。しかし、この絶望は終わりではなく、新たな始まりとなる。捕囚の民たちは自分たちの歴史を振り返り、悔い改めへと導かれる。なぜ神の民は滅んだのか、神は自分たちのために何を計画しておられるのか。神に立ち帰るためにはどうしたらよいのか。イスラエルの人々は徹底的に考え抜き、そこに復興への希望を見出す。その時、指導的な役割を果たしたのが預言者と呼ばれる者たちだった。イザヤ、エレミヤ、エゼキエルたちが有名である。
 彼らは捕囚という絶望を生き抜き、新たに勃興したペルシア帝国のキュロス王によって解放された。この捕囚の帰還民が中心となって神殿が再建され、イスラエル民族はユダヤ教を中心にした信仰共同体としての国を復興させた。ペルシアの後、ギリシア、さらにローマの支配と移っていった。その中で、イスラエル民族は、ユダヤ教の宗教共同体として神殿と律法を二本柱として存続していったのである。
 しかし、紀元一世紀のユダヤ戦争で、イスラエル民族はまたしても悲惨な破局を迎える。エルサレムは再び破壊され、神殿も失われた。それは二千年たった今も再建されていない。有名な嘆きの壁が残るのみ。生き残った人々は世界各地に離散する。彼らはユダヤ教の聖書、旧約聖書のことだが、それのみで生きる決断を余儀なくされる。このように聖書の成立の背景には幾度もの絶望と破局の時代を生き抜いた民族のリアルな現実が反映されているのである。
 今長々と話したイスラエルの歴史の中から生まれた聖書の言葉は、現代を生きる私たちの現実と重なるのではないだろうか。それは、聖書の言葉そのものが、すでに絶望を経験した民に呼びかける言葉として書かれているからである。今日の申命記31章7~8節もまさにそうである。
 この言葉は、モーセが、ヨルダン川を渡ろうとするヨシュアを励ますためにかけた言葉である。しかし、この言葉は、ヨシュアの時代以降、はるか後の捕囚期の人々にも読まれ、励ましたことだろう。すべてを失って憔悴し、絶望している捕囚の民たちはこの言葉を聞き取り、励まされ、希望を持つことができたのである。このようにして聖書は幾世代にわたって読み継がれていった。それは、今、民族を超え、時代を超えて、現代の世界中の人々に読み継がれている。
 今をどう生きるかという問いかけに聖書の言葉は答えてくれる。絶望の中にある人々の心に響く。聖書の言葉は私たちに「生きよ」と促す。恐れることはない。主が共にいてくださると励ましてくれる。このように聖書の言葉を読むことのできる恵みを感謝したい。詩篇119編105節に「あなたの御言葉は、私の道の光/私の歩みを照らす灯。」とある。絶望だけではない。御言葉は、あなたの道の光であり、あなたの歩みを照らす灯である。ゆえに私たちの人生のすべてにおいて、導いてくださり、希望の光を見させてくださる。私たちの人生に寄り添う聖書の言葉に耳傾けよう。

主に望みを置いて待つ

2023-03-21 13:39:04 | 説教要旨
2023年3月19日 主日礼拝宣教 
「主に望みを置いて待つ」 詩編130編1~8節
 私が信仰をもってから分かったことだが、クリスチャンになる前の私は(私だけでなく、無宗教の多くの日本人は)、試練の時、悲しみにある時、絶望的な状況に置かれた時に、この詩人のように「深い淵の底から、主よ、あなたを呼びます」と呼び掛ける対象を持っていなかった。持っていないというより、そのような存在があることすら思い至らなかった。しかし、この詩人は呼びかける対象を持っている。呼びかけるということは、応答があると信じていることを意味する。この詩人は、深い淵から主を呼ぶ。呼びかけられる対象があるのだ。それは答えてくださる神。だから「あなたを呼びます」ということができる。祈ることができるのだ。
 では、この詩人が呼びかけている神とは詩人にとってどんな存在なのだろうか。2節からは「聞き取ってくださる」神。「嘆き祈る声に耳を傾けてくださる」神。3節4節からは、罪を指摘されるが、しかし赦してくださる神。5節からは、希望を持つことができる神。7節からは、慈しみの神。ゆえに、8節にあるように、すべての罪から贖ってくださる神である。
 この詩人は、「深い淵の底から」呼びかけている。この「深い淵」とは、底なしの淵の意味で、そこに足を踏み入れたが最後、どんなにもがこうが、あがこうが、這い上がる足掛かり一つなく、ただ底知れぬ不安の中にぐいぐい引きこまれていく所である。そういう絶望、苦難、苦悩の奥底から、神に助けを呼び求める言葉をもってその歌を始めている。この詩人はそういう状況から神に呼ばわっている。では、苦しい時の神頼みだろうか。違う。罪という問題を抜きにして呼ばわることはできない。どうあがいても自分の中に絡みついて除くことのできない罪の問題から、先ほど説明した「深い淵の底」というものを感じ、その所から神に呼ばわって、神のゆるしを待ち望んでいるのだ。「主よ、あなたが罪をすべて心に留められるなら/主よ、誰が耐ええましょう。しかし、赦しはあなたのもとにあり/人はあなたを畏れ敬うのです。わたしは主に望みをおき/わたしの魂は望みをおき/御言葉を待ち望みます。わたしの魂は主を待ち望みます」(3~6節)。詩篇は150編あるが、その中で「悔い改めの詩篇」と呼ばれるものが7つある。この130編はそのうちの一つと言われている。罪の意識と悔い改め。そこで主を待ち望む。
 言うまでもなく旧約の神は義の神であり、もろもろの人の罪を処罰せずにはおられない厳しさを持っている。しかしそれ以上に憐れみの神であり、赦しの神である。神の義は常に神の愛に包まれている。神学者で牧師であった浅野順一先生は、次のようにある本で書いておられる。「義は義によって義であるのではなく、義は愛によって始めて、真に義であることができる。そうでなければ義はしばしば憎しみに変わる。主イエスの教えるごとく敵をも愛する愛、そこに神の義が成り立つ」。
詩人の今ある状況は深淵にたとえられているほどに厳しく暗い。しかし暁は近いのだ。詩人が主を待つと言っているのは、主の「いつくしみ」「あがない」を期待するからであり、そこに赦され難き不義なる罪も赦される根拠があり、救われる理由があるのだ。そのためには人間の側において何の保証も努力も必要としない。使徒パウロが神の憐れみと慈しみについて、ロマ書9:15-16で「神はモーセに、/『わたしは自分が憐れもうと思う者を憐れみ、/慈しもうと思う者を慈しむ』と言っておられます。従って、これは、人の意志や努力ではなく、神の憐れみによるものです」と言っていることに通ずるだろう。
神のゆるしを待ち望むことを新約への預言とするならば、それはイエス・キリストを待ち望むことであり、この詩編がパウロの詩篇と言われたゆえんはここにある。本当に神に赦されるよりほかに私たちの新しい人生はあり得ないのだということをこの詩人は知らされ、待ち望んでいた。そしてその神の御言葉が肉体を持って宿ったのがイエス・キリストであり、十字架の上から「あなたの罪はゆるされた」と宣言してくださるのである。ゆるしを感謝して受け取ろう。そして主を信じて新しい希望の世界に生かされていこう。主に望みを置いて待つ。

捨てることの恵み

2023-03-14 16:45:27 | 説教要旨
2023年3月12日主日礼拝宣教(横浜戸塚教会)
「捨てることの恵み」マルコによる福音書1章16-20節 
 はじめに自己紹介を兼ねて、私の献身の証をし、そして、今朝与えられた聖書の個所から、ともに教えられたい。
 私は1949年(昭和24年)、山口県の宇部市で生まれ、高校卒業まで過ごした。私は高校時代、大きな挫折を経験し、底辺をうろうろしている劣等生だった。その後、進学で上京し、大学3年の時、東京の世田谷区にある経堂バプテスト教会でバプテスマを受けた。そして大学卒業後、相模原市の中学に教師として勤め、以来25年間、教師生活を送ってきた。その間、結婚をし、子ども4人の父親に。そして、30年前に自宅近くの相模中央キリスト教会に転会をした。その後しばらくして、主の召しを受け、献身をして西南の神学校に行った。
 私が教師になろうと決心したのは、クリスチャンになってまだ間もない大学4年の春、ある特別講演会で、自分のこれからの人生を教師という仕事に賭けようという思いが与えられたからである。だから私にとって教師という仕事は、生活の糧を得るものでもあるが、なによりも生きがいというか、神さまから示された仕事であった。だから、長い教師生活の間には随分と苦しい思いや嫌なこと、自分には向いてないのではないか、力不足なのではとかいろいろ悩みはしたが、一度も本気でやめようと思ったことはなかった。そして、なによりも25年間の教師生活を振り返ってみて、いつも全力投球で仕事に取り組めたし、手応えもあり、喜びも多くあったことは感謝なことだったと思う。それに自分のやってきた仕事に多少の自負もある。
 しかし、実に不思議なのだが、このように主に与えられ励んできた仕事をあまり抵抗もなく「捨てる」ことができたのだ。未練もないのだ。なぜか?結論から言うと、「主がまず呼びかけられ、召されたからです」としか言いようがない。実に単純なこと。
 今朝与えられたマルコ福音書1章18節「二人はすぐに網を捨てて従った」とある。ここでの「捨てて」という言葉は、だめだからとか、いやだからといった否定的な意味での「捨てて」ではなく、「残しておく」「置いておく」といった意味も含んでいる。20節の「すぐに彼らをお呼びになった。この二人も父ゼベダイを雇い人たちと一緒に舟に残して、イエスの後について行った。」では「残して」とある。彼ら4人は漁師が嫌だからとか、家庭的に恵まれないから網を捨てたのではない。
 そして、なによりも、ここでは主イエス御自身がはじめに彼らに呼びかけられておられる。「イエスは『私についてきなさい。人間をとる漁師にしよう。』と言われた。」(17節)とある。はじめに主が呼びかけて招いて下さっている。はじめに主の言葉があった。そして、彼らはその言葉に応答したのだ。なにか清水の舞台から飛び降りるような一大決心をしてというニュアンスを私はここからは感じ取れない。マルコはその辺の事情を全くなにも書いていない。書いてないということは、ある意味ではそんなことは重要ではないとも考えられる。
 先ほど私は自分の仕事であった「教師」という仕事を「捨てた」と言ったが、私も彼らと同じく教師が嫌になったとか、駄目だからといった否定的な考えを持っていたからではない。教師という仕事は本当に大変だけれど、すばらしい仕事である。ただ、主が私に呼びかけられたので、それに従う決心をしただけなのである。
 それは私の信仰生活を振り返って見るとよくわかるような気がする。私は信仰生活がスタートしてしばらくは、救われた喜びと若さにまかせて奉仕をしていたが、いつしかつぶやきが多くなり、まわりの者たちを非難することが多くなっていた。そして何年もそのことに気づかない傲慢な私だった。そのような私を主はみ言葉をもって砕いて下さったのだ。その御言葉とは詩編の51編19節。口語訳では17節、「神の受けられるいけにえは砕けた魂です。」
実はこの御言葉は経堂教会の中村牧師が病気で入院された時、急遽宣教の奉仕を依頼されて準備していたときに与えられた。準備していた時は気づかなかったが、この御言葉はまさに宣教を語るべき私自身に向けられたものだった。今でも忘れられない。私は説教しながら、このみ言葉が私自身に突き刺さってくるように迫ってくるのを止められなかった。私自身の傲慢さを強く示されたのだ。私はその場で悔い改めを迫られた。私は講壇で話しをしながら一方内心で主に悔い改めをした。目から涙が出てどうしようもなかった。もう顔も上げられない。この悔い改めの経験はその後の私の信仰生活の基本となっている。
 以上のような様々なことを通して、実に神は忍耐をもって、この欠点だらけの土の器の私を導いて下さった。その感謝な気持ちと主にあって生かされている喜びの信仰、その延長線上に、主からの呼びかけの応答が「神学校へ行って牧師として献身しよう」ということだった。
 主からの呼びかけとは、「収穫は多いが、働き人は少ない。」(マタイ9:37)であり、このみ言葉が私の心にだんだん迫ってきた。当時、全国には教師になれなくて何年も浪人している学生や若い人たちがいっぱいいた。今はまた事情が違っているが。代わり、スペアーはいくらでもいる。しかし、牧師のスペアーは少ないと聞いていた。もうこの呼びかけに応ずるしかなかったのが実感である。そして、これこそが神のみ業の恵みだと驚きつつ畏れつつ感謝して受け取ったわけである。
 「捨てる」ことといい、「従う」ことといい、自分でしようとしてもそう簡単に出来ることではない。これらは神の恵みの出来事として、生み出されなされていく。主イエスが主役であり、主がまず呼びかけられる。そして常に私たちの前に先立ち歩まれる。主イエスに聞き従い、人生を共にするとき、一切のものから本当に自由にされる。解放される。だから「捨てられ」「従う」ことができるのである。
 主はいつも私たちに個人的に呼びかけておられる。恐れず応えよう。そこから今までと全く違う新しい人生、新しい生活、恵みと感謝の生活が始まるのである。
 

利他主義

2023-03-09 11:29:45 | コラム
 altruism(アルテューリズム)という言葉がある。利他主義と訳される。ちなみに反対語はegoism(エゴイズム)。利己主義。
 2019年に来日したフランシスコ教皇のメッセージのなかに「川は自らの水を飲むことはない。木々は自分が食べるために果物を実らせるのではない。他者の為に生きることは自然の摂理。われらもみんな互いに助け合うために生まれた」という言葉があった。
 天台宗の開祖、最澄の言葉「一隅を照らす」の精神も、共通するものがある。それぞれの置かれた場所で奉仕の光を他者のために発すれば、やがて社会全体が明るくなるという教えである。中村哲先生の座右の銘だったともいう。
 渡辺和子先生(カトリック修道女、ノートルダム清心学園理事長)の本の題名も「置かれた場所で咲きなさい」であったが、生き方は共通している。「だれでも、自分の利益ではなく他人の利益を追い求めなさい。」(第一コリント10:24)。

祈りを待つ神

2023-03-06 13:38:31 | 説教要旨
2023年3月5日 主日礼拝宣教
 「祈りを待つ神」 ローマの信徒への手紙8章26節
 もともと神を信じるということは、祈りができるようになるということだ。信じている人間にとって、一番具体的な生活は祈りのある生活である。神を信じるということは、祈ることだということは、全く確かなこと。祈りは、神を信じる者の呼吸のようなものだ。人間の肉体は息をしないと生きていけない。同じように、私たちが神さまを信じて、いのちある信仰を生きているのであれば、それはその信仰が息をしているということである。その信仰の呼吸とは、何よりも祈りである。祈らない信仰者はいない。従って、どのようにあるにせよ、どのような言葉によるのであるにせよ、「わたしは祈っている」「わたしたちは祈っている」と言えるようになりたいものである。
 神学者で鎌倉雪ノ下教会の牧師であった加藤常昭先生の「祈り」に関する本に次のような話が載っている。加藤先生が鎌倉雪ノ下教会で牧師をされていた時、時々求道者お茶の会というのを行っていたという。まだ洗礼を受けるには至っていない方たちを招いて、しばらく語り合う会である。そのような会をしていた時に、一人の求道者の女性が次のようなことを話されたという。「加藤先生は良く、祈りなさいと言われる。信仰を得てから、初めて祈れるのだから、求道中は祈らなくてよいというようなことはない。信仰を求め、神を求めるということは、神さま、信じさせてくださいという祈りになる。祈りなくして、求道も成り立たない、と言われた。しかし、どうやって祈ってよいのかわからなかったのです。ところがある時、どうしようもない思いに促されるように、ふと思い切って『神さま』と呼んでみました。そうしたら、言えたのです。『神さま』と呼べたのです」。そのようなことをその女性は加藤先生に話されたそうだ。そう言われると同時に、その女性の目に涙があふれて来たそうだ。加藤先生は、その方のその涙を見ていて、とても感動したと書かれていた。
 私も同じような経験がある。私が初めて神さまと出会って、信仰を持つことができた時のこと。私は大学3年の夏に、長野県の松原湖のキャンプに誘われた。主に学生を対象とした超教派の伝道団体の修養会のようなキャンプだった。信じる気持ちの全くない、求道者でもない私を一生懸命誘ってくれた青年に渋々、根負けして「じゃ、暇つぶしに行こうかな」と思って行ったのだ。キャンプの最終日の夜に各グループがそれぞれ自分たちのコテージに戻って、祈ってから寝ようということになり、みんなで車座になって順番に祈り始めた。さあ私は困った。私は神の存在も信じていないし、信じようという気持ちも全くない。だから、とても祈ることなんかできないと思っていた。先ほどの女性と同じ。「信仰を得てから、初めて祈れるのだから、求道中は祈らなくてよい」、いや祈れないのだ。どう祈っていいのかもわからない。さあ困った。どうしよう。順番は段々と近づいてくる。黙っているわけにもいかない。どうしよう。ここでごまかしたり、自分にうそをつくのも嫌だった。そこで私は思いついた。「神さま、私は神さまをまだ信じることはできません。だから祈れません。イエス様のみ名で祈ります。アーメン」。そう言おうと考えた。そしていよいよ自分の番になったので、思い切って「神さま」と呼んだ。と、その瞬間、私に聖霊が降りたのだ。それが聖霊だということは、後になって分かったことだが。その時、私は幻のうちに神さまと出会ったのだ。本当に不思議な体験だった。「神さま」と呼びかけた瞬間、神さまと出会ったのだ。そして、私は次のように祈っていた。「神さま、私は今まで神さまを信じていませんでしたが、神さまが共にいてくださることを初めて知りました。神さまを信じます。」そう祈っていた。その後、みんなとお休みと言って寝た。横になった私は、目から涙があふれて、同時にうれしくて、なんでうれしいのかもわからず、うれし涙を流していた。
 後になって分かったことだが、この私の「神さま」という祈りの言葉を神さまは忍耐をもって待っていてくださってのだということ。初めに考えた祈りは矛盾した変な祈りだが、必死になって神さまに向き合っていたことは確かである。そのことを神さまはご存じだったのだ。私に聖霊を送ってくださって、悔い改めに導いてくださったのである。
 今日の聖書個所にあるように、神さまは、弱い私を助けてくださって、どう祈っていいかわからない私を、聖霊自ら切なるうめきをもって、私のためにとりなしてくださったと信じている。私だけではなく、どう祈ってよいかわからないと思うことが時にあるのが、私たちの本当の姿ではないだろうか。その弱さを神さまはよく知っておられる。私たちよりも、そのことを真剣に問題にしておられる。そして神ご自身に他ならない聖霊が、そのことを悲しんでいてくださる。言葉にならないうめきをもって、苦しみ、悲しみ、とりなしていてくださる。聖霊自らが言葉を持たず、うめいておられるだけなのだ。そのうめきによって、私たちは支えられている。
 ここに私たちの解き放たれるところがある。祈りを思うとき、私たちの心を縛り付けていた何かが解き放たれるのだ。立派な祈りをしなくてはならないとか、これではまだ祈りになっていないとか、祈りに伴う実感がないなど、様々な心を縮こまらせ、縛り付けているものから解き放たれるのだ。聖霊自ら、私たちと共にいてくださり、とりなしてくださるのだ。そのことを覚えて、感謝して、祈っていこう。その祈りを神さまは待っていてくださる。