◇どうして自分はそれをするのか◇
多くの方々は、自分自身の行為について余りに無自覚です。
どうして自分がそれをしているのか、全くと言っていい程自覚がありません。
そのような方々は、自分がやっている行為について、いつも何かのせいにします。
本当は自分はやりたくないのだけど、それをやらないと大変なことになりそうだからしょうがなくやるんだ、とか。
やらなきゃいけないからやるんだ、とか。
やるのが当然だからやるんだ、とか。
みんなやってるから自分もやるんだ、とか。
誰かにやれと言われたからやるんだ、とか。
それが嫌なら、今すぐやめればいいんです。
学校も、仕事も、家族も、生きることだって、嫌なら今すぐやめたらいいんです。
やめたって何一つ問題なんてありません。
ほっぽり出せばいいんです。
でも、実際にはやめられないでそれをやってしまう。
これが多くの現実です。
どうしてやめられないのでしょう?
それが嫌なのでしょ?
どうしてもやめられないでそれをやっている自分自身に意識を向け、自分自身をしっかり観てください。
何か気づきませんか?
ある方は、こうあるべきとか、これが正しい等の固定観念に縛られ、ただ盲目的にそれをやっている自らの姿に気づくかもしれません。
またある方は、何かを失うことや、何かが変わってしまうことを恐れる余り、何かを守ろうとして衝動的にそれをやっている自らの姿に気づくかもしれません。
またある方は、自分がそれを嫌々やっていると思っていたが、それは表面的なことで、本当は自分がまさにそれをやりたくてやっていることに気づくかもしれません。
あるいは、さらに他の気づきが生じる方もおられるかもしれません。
あなたは、どうしてその行為をやっているのですか?
コメント大歓迎です。気軽にお書きください。
読んで頂いてありがとうございました。
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多くの方々は、自分自身の行為について余りに無自覚です。
どうして自分がそれをしているのか、全くと言っていい程自覚がありません。
そのような方々は、自分がやっている行為について、いつも何かのせいにします。
本当は自分はやりたくないのだけど、それをやらないと大変なことになりそうだからしょうがなくやるんだ、とか。
やらなきゃいけないからやるんだ、とか。
やるのが当然だからやるんだ、とか。
みんなやってるから自分もやるんだ、とか。
誰かにやれと言われたからやるんだ、とか。
それが嫌なら、今すぐやめればいいんです。
学校も、仕事も、家族も、生きることだって、嫌なら今すぐやめたらいいんです。
やめたって何一つ問題なんてありません。
ほっぽり出せばいいんです。
でも、実際にはやめられないでそれをやってしまう。
これが多くの現実です。
どうしてやめられないのでしょう?
それが嫌なのでしょ?
どうしてもやめられないでそれをやっている自分自身に意識を向け、自分自身をしっかり観てください。
何か気づきませんか?
ある方は、こうあるべきとか、これが正しい等の固定観念に縛られ、ただ盲目的にそれをやっている自らの姿に気づくかもしれません。
またある方は、何かを失うことや、何かが変わってしまうことを恐れる余り、何かを守ろうとして衝動的にそれをやっている自らの姿に気づくかもしれません。
またある方は、自分がそれを嫌々やっていると思っていたが、それは表面的なことで、本当は自分がまさにそれをやりたくてやっていることに気づくかもしれません。
あるいは、さらに他の気づきが生じる方もおられるかもしれません。
あなたは、どうしてその行為をやっているのですか?
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主体性ですかぁ、まだまだ思考さんに飲み込まれてばかりで主体を見失いがちな日々ですけど、慧空さんのアドバイスや、ブログを参考に学ばせていただきます。
ケロケロ菩薩さんが上で書かれているご自身の観察は、それで合っていると思いますよ。
しかも、とってもよく観察され、自覚できていると思います。
申し分ないくらいです。
自覚か内観か、そういう何か実践をされた経験がおありなんじゃないかと思うくらい、上手にできていると思います。
ですから、特に申し上げることは何もないんです。
その調子で自覚を続けていただきたいと思います。
強いて言えば、少し気になると言いますか、もう少し追求して頂きたいところは、主体性(考えに対する主導権)の確立の点だろうと思います。
自分はどうしたいのか、それをやると決めたのなら、誰が何と言おうと、何が起ころうと、断固としてそれをやるんだ、無用な影響は受けないぞ、という主体性の確立です。
ちなみに、私(慧空)の場合、自覚によって獲得した主体性(考えに対する主導権)をさらに自覚に投入し、自分が自覚の矢のようになり、自覚を追求していきました。
私は結果として、自覚がやりたかったのです(笑)。
何かに触れた時、何かを見たとき、何かを聞いた時に、反応として思考が起こる。
まるで泡の落ち着いた炭酸水に刺激を加えて、その反応として泡が生じるように思考が沸いて来ます。
その泡の刺激に応じて衝動が生まれ、それを捕まえた時に思考に飲み込まれ行動していると理解しました。
考えて主体的に行動している訳ではなく、反応として能動的に行動しているのだろうと。
長文失礼しました。
この理解に、私の勘違いや更なる学びがありましたらアドバイスいただけませんでしょうか?
仕事って、実はいろんな側面があるんだろうと思います。
嫌だと思っていても、実は好きだったり。
意外なところに学びや気づきがあったり。
あと、カルマの解消や納得なども。
何しろ、人生の中心的な活動やテーマの一つですから。
今日はこのまま 電車に揺られてみようかな? あっ 何か楽しなってきた。やっぱり 表面的な事だな~。