◇私の体験談(解脱の悟り後のこと)(1)◇
解脱の悟り後のことを書いてみようと思います。
まず最初に申し上げたいことは、解脱の悟りは皆さんが期待されるような凄いものではないということです。
おそらく、解脱の悟りを得られた方の殆どがなーんだと期待を裏切られたような気持ちになると思います。
そして思うのです。
「これって、普通やん(関西弁、笑)」と。
解脱の悟り後の意識の状態や感覚は、余りにも普通なのです。
そんな落胆を誘うような解脱の悟りではありますが、意識の本質的な部分では決定的な変化が起こっていたのです。
まずは、そのあたりから書いていきたいと思います。
私の意識に起きたその決定的な変化とは、一切の考えを掴まなくなったことです(掴めなくなった、と言った方が正確かもしれません)。
考えを掴まなくなったことで、一切の迷いが無くなりました。
またそれに伴い、自分の感情や思考が流れていくサラサラ感がより強くなり、自我がさらに薄くなったと感じています。
さらにそれと関連して、私の意識が定まったというか、不動になったと感じています。
私にはまだ自我があり、怒りや苦しみ等の感情や感覚もあり、あれこれと分別(思考)も起こします。
しかし、そのような動的な変化が絶えずありながら、私の意識は常に定まったままなのです。
解脱の悟りを得て一番良かったと思うことは、迷いが無くなったことです。
解脱の悟りを得る直前まで、私はああでもない、こうでもないと激しく迷っていて、モヤモヤとすっきりしないというか、とてももどかしかったのです。
そのモヤモヤ感やもどかしさが晴れてすっきりとしたことで、私の心は落ち着きました。
これはとても有り難いことだと思っています。
でも、期待外れというか、がっかりしたこともいろいろありまして(笑)、期待外れの一番は、依然として苦しみが続いていることでした。
私の場合、解脱の悟りの前後で苦しみは減りはしましたが、それ程減ったとは思っていません。
解脱の悟りを得ても、やっぱり苦しいままだったのです(笑)。
これは私だけがそうなのではなく、解脱の悟りを得た他の人もそうなのだろうと思っています。
なぜなら、苦には、病苦等に代表されるただ起こってくる苦と、その人が握りしめた考え(執着)に関連して起こってくる苦と、存在の根底にある苦の三つがあるのですが、解脱の悟りによって手放せるのは二つ目の執着に関連した苦だけなのです(この点については、近いうちに改めて記事を書きたいと思っています)。
解脱の悟りを得る人は、その直前の時点で既に握りしめた考えは殆ど無くなっているため、解脱の悟りに伴った体感的な苦の変化は余りないのです。
二番目に期待外れだったことは、解脱の悟り後も相変わらずものごとがうまくいかないことでした。
うまくいかないことは、家庭内のことや、仕事やお金に関することなどいろいろです。
解脱の悟りを得るといろいろなことがうまくいくようになるのではという淡い期待を持っていたのですが、その期待は無残に打ち砕かれました(笑)。
家庭内のゴタゴタやしんどさは減るどころか増えた感じだし、FX(為替)取引では大負けして取引の継続を断念することになったし、もしやと思って買った宝くじは当然のように当たらないし(ジャンボを1回、ロトシックスを3回買いました(笑))、余りいいことはありませんでした。(^o^)
とまあ、こんな具合でして、解脱の悟りは余りパッとしないのです(笑)。
次はまた、別の観点から解脱の悟り後のことを書いてみたいと思います。
コメント大歓迎です。気軽にお書きください。
読んで頂いてありがとうございました。
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解脱の悟り後のことを書いてみようと思います。
まず最初に申し上げたいことは、解脱の悟りは皆さんが期待されるような凄いものではないということです。
おそらく、解脱の悟りを得られた方の殆どがなーんだと期待を裏切られたような気持ちになると思います。
そして思うのです。
「これって、普通やん(関西弁、笑)」と。
解脱の悟り後の意識の状態や感覚は、余りにも普通なのです。
そんな落胆を誘うような解脱の悟りではありますが、意識の本質的な部分では決定的な変化が起こっていたのです。
まずは、そのあたりから書いていきたいと思います。
私の意識に起きたその決定的な変化とは、一切の考えを掴まなくなったことです(掴めなくなった、と言った方が正確かもしれません)。
考えを掴まなくなったことで、一切の迷いが無くなりました。
またそれに伴い、自分の感情や思考が流れていくサラサラ感がより強くなり、自我がさらに薄くなったと感じています。
さらにそれと関連して、私の意識が定まったというか、不動になったと感じています。
私にはまだ自我があり、怒りや苦しみ等の感情や感覚もあり、あれこれと分別(思考)も起こします。
しかし、そのような動的な変化が絶えずありながら、私の意識は常に定まったままなのです。
解脱の悟りを得て一番良かったと思うことは、迷いが無くなったことです。
解脱の悟りを得る直前まで、私はああでもない、こうでもないと激しく迷っていて、モヤモヤとすっきりしないというか、とてももどかしかったのです。
そのモヤモヤ感やもどかしさが晴れてすっきりとしたことで、私の心は落ち着きました。
これはとても有り難いことだと思っています。
でも、期待外れというか、がっかりしたこともいろいろありまして(笑)、期待外れの一番は、依然として苦しみが続いていることでした。
私の場合、解脱の悟りの前後で苦しみは減りはしましたが、それ程減ったとは思っていません。
解脱の悟りを得ても、やっぱり苦しいままだったのです(笑)。
これは私だけがそうなのではなく、解脱の悟りを得た他の人もそうなのだろうと思っています。
なぜなら、苦には、病苦等に代表されるただ起こってくる苦と、その人が握りしめた考え(執着)に関連して起こってくる苦と、存在の根底にある苦の三つがあるのですが、解脱の悟りによって手放せるのは二つ目の執着に関連した苦だけなのです(この点については、近いうちに改めて記事を書きたいと思っています)。
解脱の悟りを得る人は、その直前の時点で既に握りしめた考えは殆ど無くなっているため、解脱の悟りに伴った体感的な苦の変化は余りないのです。
二番目に期待外れだったことは、解脱の悟り後も相変わらずものごとがうまくいかないことでした。
うまくいかないことは、家庭内のことや、仕事やお金に関することなどいろいろです。
解脱の悟りを得るといろいろなことがうまくいくようになるのではという淡い期待を持っていたのですが、その期待は無残に打ち砕かれました(笑)。
家庭内のゴタゴタやしんどさは減るどころか増えた感じだし、FX(為替)取引では大負けして取引の継続を断念することになったし、もしやと思って買った宝くじは当然のように当たらないし(ジャンボを1回、ロトシックスを3回買いました(笑))、余りいいことはありませんでした。(^o^)
とまあ、こんな具合でして、解脱の悟りは余りパッとしないのです(笑)。
次はまた、別の観点から解脱の悟り後のことを書いてみたいと思います。
コメント大歓迎です。気軽にお書きください。
読んで頂いてありがとうございました。
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私も恐らく近い経験をしています、今日ですが。
しばらくは自分の経験を疑っていました。
何も変わっていないし、これからのリアルな生活に向き合わなければならないから、これはこれでしんどいぞ、何なら元に戻らないかな?(笑)などと言う始末。まだ2ページ読んだだけですのでもう少し読ませて頂きます、また書くかもしれません。誠実な文章が素敵です。
お返事が遅くなってすみませんでした。
「空」の感覚や理解はいろいろあるようです。
ただ、私(慧空)が言うところの「空」は、空っぽのこととは違うんです。
一切が考え(認識と言ってもいいです)であるということが腑に落ちた状態なんです。
恐怖も安らぎもなんにもないです 痛みはあるけど
痛くないんです 自分がいないから
これはいわゆる 悟りとはちがうと思いますが
なんだこれ?です
ウケました。(^o^)
理解が先なんですね
あれ?解脱したのかな?と疑った自分を笑ってしまう
すいくうさんの体験談やアドバイスがあるので精神科に行かずにすんでます。
誠にありがとうございます。
>性格がより喜怒哀楽がはっきりしたようで、イライラしたり怒ったり笑ったりと、友達にはワガママになった。と言われがびん
>迷いないし軸はぶれないし。至って普通……いやむしろ以前の私より取り繕うことがなくなり、子供に子供U+203Cと呆れられます。
悟りが深まってくるに連れ、そうなる人は多いと思いますよ。
私(慧空)自身も、覚めきっている部分と、とても子供っぽい部分が共存しています。
言っちゃいけないことも、ついぽろっと言ってしまうし(笑)。
>このすいくうさんの体験談も理解できてる……
そうなんですね、お分かりになるんですね。
でも、理解できることと悟りとはまたちょっと別なんです。
理解は頭でやってしまう傾向があるので、実際の悟りより先走ってしまうんです。
このすいくうさんの体験談も理解できてる……
迷いないし軸はぶれないし。至って普通……いやむしろ以前の私より取り繕うことがなくなり、子供に子供U+203Cと呆れられます。
なんだか地球一周して、すとん。と戻った感じ。
…………まさかね。
もしこれが解脱だとしたら非常~!に、こけっ。て感じです。。
>ラジオの周波数をあわせるときに一瞬チャンネルを垣間見る
チャンネルとかそういうんじゃないんですよ。
そういう何か概念を使っている時点で、それは違うのです。
垣間見るようなことも無いですし。
ラジオの周波数をあわせるときに一瞬チャンネルを垣間見る
自由に
わたしは、自覚ワークは初めたばかりで、まだこれからです。
効果に驚いているところですよ。まさか自分で考えを作っていたとは、想像もしていませんでしたから。
慧空さんのお気持ちわかります。自由になりたいんですよね。
わたしの残りカルマもなかなかですよ(笑)そのことに頑張って取り組み過ぎていたと最近わかりました。内側で。
わたしはとことんまでやって、ある時、放り投げました。「人間の限界を超えている!」と。「出来なくて結構!!」と。意識が爆発した感覚でした。そして、楽になりました。
生活はスムーズではないし、問題もありますが、諦めと受け容れの感覚がまるで友人のように寄り添っています。
コメントありがとうございます。
>自覚ワークを少しやったら、起きてきた考えを止められるようになって、とても有り難い思いでいます
ももさんはもう、しっかりと自覚ができておられるのですね。
素晴らしいです。
>認識できる苦しみは、考えによる苦しみだと思っていたので慧空さんのお話は少し意外でした。
苦しみも、それを認識してこそ苦しみとして感じるのですから、苦しみに対するももさんのお考えは合っていますよ。
それに、苦しみも考えですから。
解脱の悟りを得ると、起こってくるものごとを真っ直ぐにそのまま見て感じるようになります。
そうするとやはり、しんどいことや苦しいことは普通に苦しいのです。
私の場合は残りカルマが少し複雑なようで、苦しみを起こす展開が多いようです。
これは残念なことですが、しょうが無いと思っています。
それと、存在の根底にある苦しみに関してですが、その苦しみを、いまの私なりの言葉で表現すると、私という存在そのものが煩わしいのです。
連鎖的に絶えず起こってくる私という意識の展開が煩わしくてしょうが無いのです。
それで苦しいのです。
と書いていたら、またため息が出てしまいました。(^_^;)
初めにYoutubeでゲートさんを知り、それからこちらのブログにたどり着きました。自覚ワークをやっています。
わたしは、4年前に大きな意識の変化が起き、今年に入って自覚ワークを少しやったら、起きてきた考えを止められるようになって、とても有り難い思いでいます。
一つ興味を持ったことは、解脱の悟り=考えをつかまなくなっても苦しみがあるというところです。
わたしも一時期、存在の苦しみがものすごく辛かった時期がありました。もう数年前で、今はあまり感じてないです。
そしてわたしは、気づいていない苦しみというのがたくさんあるんだと思っています。わたしの場合は、その苦しみがなくなってから、「あぁ、わたしは苦しんでいたんだ」と気づくことが時々あるんです。
大きな意識の変化があった時にだけ、これがあります。
わたしも家庭環境に苦しさがあり、抑圧してしまったものがあるためと感じています。けれども、認識できる苦しみは、考えによる苦しみだと思っていたので慧空さんのお話は少し意外でした。
もしかして、ご家族が悟りを得ていれば、苦しくないのかもしれませんね。ご家族に共鳴しているのかも。
そんな風に感じました。
いずれこのような発言の機会が訪れるのだろうと思っていました。
ちなみに、私の言うこととゲートさんが仰ることの間には不一致がたくさんあると思いますが、佐藤さんが仰ることとの間には大した不一致はないんですよ。
慧空さんや掲示板の佐藤さんのおっしゃっていることと、マスターゲートさんのおっしゃっていることがなんか一致しないな~と感じることがあったので、お答えをきいてすっきりしました(^.^)
でも、お答えをきいて「ああ、そうなのか」と思っただけで、それ以上はありません。いろいろな段階があるんだなぁと、ただそれだけです。ゲートさんの「悟りの錬金術」は、今も自覚をやる上でモチベーションを維持するのに役立ってくれている大切な本なので、これからも何回も読むと思いますし。
新しくアップされたブログも読ませていただきました。そう、私の足りないものは集中力です! 大変参考になりました。いつもありがとうございます。
私のブログを読んでくださり、ありがとうございます。(^^)
はい、自覚はひとりでもできます。
確かに、既に自覚がある程度上手にできている先人に会って対面で教えてもらう方が早いのは早いでしょうが、ひとりでも独学でできるんです。
このブログに来られる方々の中には、私の書いた文章等を参考にされながら、おひとりでしっかりと自覚をマスターされて、上手にやっておられる方が複数おられます。
まずは、このブログの右側にあるブログカテゴリの「自覚ワークのご紹介」に入っている自覚ワーク記事を参考にされたらと思います。
何か分からないことがあれば、ご質問ください。
ゲートさんに関するご質問について、お答えしようかどうしようか、少し迷いました。
でも、一部の方には既にお話ししていることだし、それに、私の自覚の師匠のことでもあるので、敢えてはっきりとお答えしようと思いました。
ゲートさんは、天界(小悟)の悟り階層の方なのです。
より正確に申しますと、天界の大凡中間地点である空の理解が得られる地点の少し手前のところでおられる方です。
その理由は明確でして、二元の考え(囚われ)がまだかなり残っておられるのと、天界や神に対する囚われが強いのです。
私が公にこんなことを言うと、それによっっていろいろ考えをつくられる方がおられると思いますが、それはそれで仕方がないことだと思っています。
自覚は個人で学べるものですか?初歩として自分にどのような働きかけからスタートとするといいのでしょうか?
苦がなくならない所とか、解脱は私の勝手な想像とは少しギャップがあって、へぇ~と思いました。
私は慧空さんのブログでマスターゲートさんのことを知り、『悟りの錬金術』を読み、これは凄いと思い自覚をはじめました。
よかったら教えてください。慧空さんからみると、ゲートさんは解脱した方になるんでしょうか?
コメントありがとうございます。
何も無い殺風景なブログですが、またいらしてくださいな。(^^)
こちらのブログを拝見しました。
RINと申します。
2010/5月に見性体験がありました。
おっしゃる通り執着にとらわれる苦がかなり薄くなったために以前よりはかなり楽になりました。
ただ日常生活は・・・
周囲とのギャップ、特に配偶者との意識のずれに戸惑う生活が続いています。
私はそう苦しんでないのですが、妻は私の変化に苦しんでいてかわいそうな気がしますね。
悟り後の日常生活の過ごし方を学んでいる最中です。
何だか共感いたしましたので、コメントさせていただきました。
「さん」でお願いします。
私も、解脱の悟りを得た人で、その人の言葉が残っている文献等の例を探しているのですが、なかなか無いんです。
不思議なほど、文献が残ってないのです。
その理由は、おそらく、解脱の悟りを得た人は、多くの場合、残りカルマもシンプルなカルマの方が多いのだろうと思っています。
文献が残っている方で、間違いなくそうだと確信できている方は、お釈迦さまだけなのです(ただ、お釈迦さまの言葉も正確に伝わっているものは殆ど残って無いのですが)。
他には、唯一、その可能性がある方として見つけたのは、アーチャン・チャーさんだけです。
実はいま、チャーさんの本「手放す生き方」をゆっくりと読んでるのですが、私が気になる考えの引っ掛かりも殆どなく、チャーさんは解脱された方かも知れないなと思っています。
大悟されている方の例で、バーナデッドロバーツさんが記載されており、何となくイメージは分かりましたが、解脱の悟りの例が探せなかったため、よろしければ、お教えいただければ幸いです。
>「苦しみはあるが、苦しむ人はいない。」
これは違うのです。
これを言うのは大悟した人です。
大悟の衝撃により、私という自我を見失ってしまっているのです。
なお、大悟は解脱の悟りの一つ手前の階層です。
解脱の悟りを得た人は、自分はいないなんてことはまず言いません。
解脱の悟りを得ると、常に自分(自我)をしっかりと捉えた状態となり、意識が自我の中心に定まるのです。
そして、そこからすべてのことを見て感じるようになります。
コメントありがとうございます。
そうなんです・・・^^