新潟の風土に合った木材を使い続けます
昨年より県の補助事業の内容が改訂され、「越後杉」から「県産木材」へと変更することで、「県産杉」にこだわらず「広葉樹」への可能性も広がりました。
材木屋さんに聞いたところ、昨年の補助事業の利用は激減し、ゼロベースだったとのことでした。
国産材利用の長期優良住宅への関心が高まり、工務店の県産材離れが進んでいるように見受けられます。
県には前々から「県産材を使う理由は何なのかを見いだせない限りは国産杉材との競争に負けてしまう」
と言ってきたのですが、「越後杉ブランド」を切り捨ててしまい、県産杉への介入も辞めてしまった感じがあります。
このまま、県産スギは見向きもされなくなってしまうのか?
20年前になりますが、
「外材に圧されて地元材が出なくなり、山側が困っている」
という話を聞いたのがきっかけで、県産材を使う道を歩くようになりました。
当時、材木屋さんも県産材に関しては見向きもされませんでしたが、それでも県産材を使うことからスタートし、森林組合や県とタッグを組みながら試行錯誤で山の木を使えるところまで流通路を切り開いてきた20年間でした。
途中、震災があり「復興のシンボル」としての「越後杉ブランド」として徐々にブランド化が浸透してきたのが追い風になった感じがします。
今では「県産スギ」がホームセンターでも手に入る時代となりました。道のなかった時代から比べると県産スギ材の普及は目に見えて出てくるようになったと思います。
杉材の利用も20年前とは違ってきています。
20年前に比べてチップ材料や合板、バイオマスエネルギーへの利用へと多種多様となりました。
一口にチップと言っても、固めて合板状にしたり、パルプに転換して紙やパルプ系の素材の材料にしたり、ペレットや燃料へと形を変えていきます。
「構造用合板」と言われる建築系の合板の中身は昔は北洋材が主流でしたが、今は国産杉が主流です。
つまり、この20年で国内の森林資源の利用も技術的に進歩してきたのです。
一番驚いたのは、製材所で出る木くずが全く無くなってきている事です。工作用の端材を求めに材木屋さんへ行っても量が無いのです。以前は自前の焼却炉で燃やしていた端材はチップ業者が引き取られるようになっている。端材や木くずのリサイクルが進んでいます。
燃料としての薪やペレットも昔に比べれば浸透してきています。ホームセンターへ行けばストーブ本体やエントツ、チェーンソーに薪割り機まで調達できるようになりました。
昨年から県産材利用の補助事業制度が変わり、前年度の使用実績よりも多い工務店に補助金が回るシステムになりました。
今まで県産材を使ってきた工務店へのメリットが無くなったわけで、住宅への導入率が減ってきている。
建築材料は柱や梁などの太い構造材だけではなく、壁や床の下地にする「下地材」もあります。
下地材はメインの構造材と共に乾燥をしたり、構造材を製材する時に出る余りの材料を使うので、構造材が減ると下地材も在庫が少なくなってくるのです。
下地材の在庫が減っている現象が起こっているのです。
すなわち、県産材を用いた住宅も減っているという事です。
国産材の方が安いし、長期優良住宅の国産化の方が補助金もある。メリットがあると考えるのは仕方がない事なのでしょう。他の工務店に強要することもできません。
そんな中、当社は、下地材を頼む時にも、まず「県産材で」と指定します。
米松とかの方が圧倒的に安いのですが、安さに変えられないものがあるからです。
杉の方が狂いにくいし、白アリにも強い特性があるので、杉は最低限使わなければならない。
「円相場が変わったから」「中国が買ってるから」と値段を上げてくるので価格も不安定です。
国産材と比べると割高感はあるのかも知れませんが、県産材にこだわるのは「ポリシー」なのでしょう。
県産スギを使う「ポリシー」は「郷土愛」に尽きます。
この地に生きて働いているのだから、この地で生きてきたものを使いたいし、この地に働いている人のためにもなるのだから。
流通も進歩してネットでグローバルに何でも手に入るようになった時代ですが、どうしても地元の事を考えてしまうわけです。
山の人が自分よりも孫の代のことを考えて植林し、手入れをして大事に育ててきた木を大事に使う文化もなくしたくない。
「越後杉」にこだわるのは、
今まで色々な人たちと力を合わせて、道をつけてきたからです。
ブランドを捨ててしまったら、今まで出会ってきた人たちとの努力が全く無くなってしまうと思っているからです。
「伝統構法」にしても、手間がかかる方法に未だにこだわるのも、先人がせっかく培ってきた技術を捨てるが「もったいない」からです。
古民家は200年も300年も地震にも耐えているわけです。
現在の木造技術を駆使した長期優良住宅と言えど、金物の寿命や集成材のノリの寿命で決まってくるわけですから、古民家の足元にも及ばないわけです。
日本には、まだそういう技術や文化が残っているのですが、それを繋ぐには、まず足元の「越後杉」を使い続けることなのだと思っています。
もくじへ・・