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日記らしきページ

新型コロナで不敵な行為

2020年03月06日 | Weblog
 コンビニのトイレットペーパーを盗む奴、津市羽所町の商業施設「アスト津」で、新型コロナウイルスの感染防止のために置いたアルコール消毒液を盗む奴、根拠のないトイレットペーパーが不足するデマ情報をネットで配信する奴、その他にもあらぬ事を言いふらす輩が増えている。 
日本人は温厚で規律を守り、協調性がある事が世界からも称賛されることが多いのだけど、こうした不敵で犯罪と言えるような行為を平気でするような人間が居ることも否めない。 日本人は中国や韓国人などの日本での不敵な行為を指摘することが多いけど、これでは日本人として情けない以上に恥ずかしい行為以外には何物でもない。

こうした状況の中でこそ、本来なら冷静な対応が肝心である。 マスクにしても、手に入らないならしなくても良いではないか! マスクが絶対にウイルスから守れる物ではないことは専門家でも認めているし、そもそも、1度使用したマスクを再度使用することはマスクの意味がない。 1度取り外したマスクは使用しないことが前提で、1日に必要なマスクは一人で数枚も必要になる。 個人でマスクを適正に使用する場合にはその費用を考えると無理があるだろう。 
インフルエンザでも言われている事だけど、マスク自体の予防効果はほとんど無いと言っても良いぐらいで、どうも日本人の悪い習慣と言うか、集団的民族の欠点が露呈している気がする。 人の行為や人の意見に翻弄される人が多く、しっかりと自己確立している人が少ないことがこうした集団的な連鎖に繋がっている。
誰かが列に並んでいると、内容が分からないのにとりあえず並んでしまうような姿勢がある。 TVやネットで話題の店に列を作ることも同じで、どうも人と同じであることで安心するような集団的安心感と言うか、自分の意見や意思が希釈な人が多くいるのは確かだろう。 これは幼い頃からの教育が要因だと言う意見も多く、日本の学校教育は全員が同じレベルや同じ思考を求める傾向が強く、個々の個性を尊重するような教育システムが出来ていない。
さらに、家庭教育でも多くの子供と同じではない事は良くないみたいな教育も多く、自分の子供ですら個性を伸ばすような教育が出来ない親が目立つ。
人と違うことは悪だと思うような思考を子供に刷り込ませているのは大人の責任で、こうした幼い頃からの概念が集団的安心感を助長している。

そうした大人は自分で物事を判断する能力に欠け、人が行うことを真似する模倣犯も生み出しかねない。 自分の意思や概念をしっかりと持っている人は世間の流行や話題だけで判断することはないし、自分の本能や総合的で客観的な判断をする能力は自然と持つことが出来る。 
さらに、いろんな書物やニュースや経験を自分自身で読み解き、本当の正義や物事の本質を見出す術を持つことが出来るし、それが本来の人間の姿である。
そうした本質や真実をしっかりと把握することが出来る人は自分自身は勿論、他者に対してもその個性や能力を認めることが出来る。 これは人種や国籍や性別に関係なく人間の本質をしっかりと受け止め、判断することが出来る最も大切な人間性であるのだ。
少なくとも、自分を最も大切に出来る人間は他者に対しても大切に出来ることを忘れてはいけない。 自分を大切にする人間は他者との共存を常に意識している。 人間は一人では生きていけないことは誰でも分かりきっている。(中にはそんな単純で、明瞭な事すら理解できていない大人も居るけどね) 
自分がどのように生活をして、どのような人生を送っているのか? どのような世間の中で生かされているのかを少し考えれば、他者無しでは生きていけない事を認識できるだろう。 親や兄弟を大切にするのは勿論だけど、それ以上に毎日の食事を考えても理解できる。 米、野菜、肉、お茶などなどは何処で誰が作り、どのようにスーパーの店頭に並び、家庭の食卓に並ぶのか? その他の物全ては他者なしには手に入らないし、どんなにお金が有ってもその他者なしには成り立たないのは明白である。 
だからこそ、人間は他の人との協調を大切にして、個人を尊重し、お互いに対等な立場で生きる事が求められる。 
トイレットペーパー、ティッシュ、マスクの買いだめは自己中心的で他者への思いを完全に逸脱する行為に過ぎない。 自分さえ良ければ他人は無視するような行為は人間は一人では生きていけない事実を完全に否定することで、その行為が社会の秩序を破壊し、人間の豊かな生活を破壊し、人間的な関係を破壊し、信頼を破壊し、その結果には取返しが付かない対立を生み、紛争、戦争にまで発展する危機へと進むのである。 他者を信用できない心は世界を破壊する意思そのもので、中国とアメリカの貿易摩擦や課税処置などを取り上げても、お互いの国家への不信感が根拠にある。 北朝鮮は顕著にその行為が現れていて、自国以外の国家の全てを不定するような政策や行為を見れば、信頼感こそが成長や平和や豊かさを生み出す最も大切な要素であることは明白である。
中東などのテロ行為が頻発する背景には不信感から生まれる恨み、辛み、報復行為から悲惨な事件や戦争行為が無くならないのはまさしく人間性の欠如で、そこには幸せなんて物は存在しない。 経済的な問題だけではなく、人間性がいかに人間が必要とする大切な物であるかは言わずもがなである。
世界幸福度ランキングでは、世界の156カ国を対象に調査をした。日本は2018年の54位から4つ順位を下げ58位だった。 
経済的なランニングでは日本は世界3位だ。 アメリカ、中国に次ぐ世界有数の経済大国である。 しかし、国民の幸福感は58位。 これは経済的な豊かさが人間としての幸せを保証する物ではないことを裏付けている証拠だ。
さて、日本人が本来の日本人としての人間性を取り戻すことが出来るだろうか?
最近では無差別殺人が頻発し、詐欺や窃盗、痴漢行為、おれおれ詐欺も増加する一方である。 これは単なる貧富の差が原因だけではない。 個人的な人間としての確率が出来ていない人が増加していることが最大の要因だ。
先にも書いたけど、個人的に確立すると言うことは、自分を大切にすることは勿論、それ以上に他者の個性やその人権を尊重することが出来る人間である。 自分の意思や生きる事の意味や生きている事の意義を持たない人は当然だけど、自分自身さえも信じることが出来ない人間である。
だからこそ、他者の意見を安易に受け入れることになる。 何かあると自分ではなく、その信頼する他者を責める人間に成り下がるのである。
全ての行為は自分自身の信念や概念や真実であると理解する人間は他者を責めたりすることはないし、どんな苦難な事でも受け入れる覚悟が出来ている。
だからこそ、苦難を乗り越える気力もあるし、対処する対策を講じることも可能になるのだ。
さて、ちょっと長く書いたけど、結局のところ、人間的な健全な意思、思考を持って生きることが最も大切な人類の繁栄と成功と幸せを生み出す物だと言うことだろう。