今日は、誕生日でした。
なんだか、朝起きて、「ありがたい・・・」と思ってしまいました。
誕生日がきて「ありがたい」なんて思ったのはこれがはじめてです。
無事にひとつ年をとれた、ということと、健康で元気で、何事もない。
家族や友人がいて、仕事があり、そうして、「私」として暮らしていけることが、
何よりありがたいことのように思えました。
誕生日がきていやだったのは、30歳のとき。なぜだかとてもイヤだと思いました。
あ~もう30代になっちゃったのね!と、今から思えばなんて贅沢で傲慢だったのか、
と思います・・・
私には、すでに天国へ行ってしまった二人の友達がいます。
25歳という若さで病気のため亡くなったイワタさん、
小さいお子さん二人を残して亡くなったペコちゃん、まだ32歳でした。
どんなにか、生きていたかったことか、と思います。思うたびに涙が出ます。
彼女たちは、永遠に年をとらない・・・のです。
誕生日がいやだ、とか、トシをとるのがいやだとか、私は思わない。
生きていればみな、等しく1年に一つずつ、年をとるのだから。
5月に5歳になった末の娘は、お誕生日の朝に目が覚めて、泣き出しました。
「・・・きょう、おたんじょうびなのに!ぜんぜんおおきくなってないじゃない!
おおきくなるとおもってたのに~~~~~!!!!」
と、大泣き。さらに、
「まいにち、おたんじょうびだったらいいのに!そしたら、どんどんおおきくなるのに~~~~~!!!!」と、またまた大泣きでした(^_^.)
お誕生日がきたら大きくなる、というのを、文字通り「大きくなる」と思っていたみたい。
子供って面白いです。・・・ダイジョウブ とっても大きくなってるよ!(*^。^*)
学校では、自己啓発の授業を受け持っています。唐突にやることになったのです。
来る予定だった外部講師がこられなくなり、やってくれといわれてやらざるを得なくなりました。
(去年オブザーバーをしていたので、そのときのノートをもとにやることにしました。引き受けた以上はしっかりやらないと。「頼まれごとは、試されごと」です!)
何回かの授業を通して思ったのは、今の子は「啓蒙される言葉に飢えている」ということ。
テーマとしては、「感性を高めるために」ということで毎回講義をしています。
人間の「五感」を再確認し、意識して使っていくことにより、感覚を高めていく。
視覚、聴覚、味覚、嗅覚、触覚。グループワークやディスカッションも入れて、
今のところは有意義なクラスになっていると思う。学生も、ノリがいいので、うれしいです。
前回、「人は、多く投げかけられた言葉によってつくられていく」という話をしました。
視覚は前方、見える範囲に限り、まぶたを閉じればシャットアウトできる。
でも、音や言葉は全方位から入ってくる。完全な耳栓でもしない限り、それをふさぐということはできない。
人は、知らない間に、いつも耳にしている音や声、言葉に影響されている。
これを、自覚しているのと、していないのとでは大きな違いがでてくると思う。
そんなようなことをテーマに、学生と意見交換をしたり、レポートを読んだりする中で、「教えることは、学びなおすことでもある」と、感じました。
私も、私としての感性を磨いて、人間としての感度を高めていこうと思っています。
今日は仕事はお休みの日、かわりに
幼稚園のバザー準備のお手伝いに行ってきました。
おかあさまがたの手作り品コーナーの品物をつくるお仕事でした。
見本があるので、それをまねしてせっせせっせと手を動かすひととき、
こういう時間もまた楽しいものです。
明日は親子遠足です。 毎日なにやかやとあります。
それではまた
(^^)/
なんだか、朝起きて、「ありがたい・・・」と思ってしまいました。
誕生日がきて「ありがたい」なんて思ったのはこれがはじめてです。
無事にひとつ年をとれた、ということと、健康で元気で、何事もない。
家族や友人がいて、仕事があり、そうして、「私」として暮らしていけることが、
何よりありがたいことのように思えました。
誕生日がきていやだったのは、30歳のとき。なぜだかとてもイヤだと思いました。
あ~もう30代になっちゃったのね!と、今から思えばなんて贅沢で傲慢だったのか、
と思います・・・
私には、すでに天国へ行ってしまった二人の友達がいます。
25歳という若さで病気のため亡くなったイワタさん、
小さいお子さん二人を残して亡くなったペコちゃん、まだ32歳でした。
どんなにか、生きていたかったことか、と思います。思うたびに涙が出ます。
彼女たちは、永遠に年をとらない・・・のです。
誕生日がいやだ、とか、トシをとるのがいやだとか、私は思わない。
生きていればみな、等しく1年に一つずつ、年をとるのだから。
5月に5歳になった末の娘は、お誕生日の朝に目が覚めて、泣き出しました。
「・・・きょう、おたんじょうびなのに!ぜんぜんおおきくなってないじゃない!
おおきくなるとおもってたのに~~~~~!!!!」
と、大泣き。さらに、
「まいにち、おたんじょうびだったらいいのに!そしたら、どんどんおおきくなるのに~~~~~!!!!」と、またまた大泣きでした(^_^.)
お誕生日がきたら大きくなる、というのを、文字通り「大きくなる」と思っていたみたい。
子供って面白いです。・・・ダイジョウブ とっても大きくなってるよ!(*^。^*)
学校では、自己啓発の授業を受け持っています。唐突にやることになったのです。
来る予定だった外部講師がこられなくなり、やってくれといわれてやらざるを得なくなりました。
(去年オブザーバーをしていたので、そのときのノートをもとにやることにしました。引き受けた以上はしっかりやらないと。「頼まれごとは、試されごと」です!)
何回かの授業を通して思ったのは、今の子は「啓蒙される言葉に飢えている」ということ。
テーマとしては、「感性を高めるために」ということで毎回講義をしています。
人間の「五感」を再確認し、意識して使っていくことにより、感覚を高めていく。
視覚、聴覚、味覚、嗅覚、触覚。グループワークやディスカッションも入れて、
今のところは有意義なクラスになっていると思う。学生も、ノリがいいので、うれしいです。
前回、「人は、多く投げかけられた言葉によってつくられていく」という話をしました。
視覚は前方、見える範囲に限り、まぶたを閉じればシャットアウトできる。
でも、音や言葉は全方位から入ってくる。完全な耳栓でもしない限り、それをふさぐということはできない。
人は、知らない間に、いつも耳にしている音や声、言葉に影響されている。
これを、自覚しているのと、していないのとでは大きな違いがでてくると思う。
そんなようなことをテーマに、学生と意見交換をしたり、レポートを読んだりする中で、「教えることは、学びなおすことでもある」と、感じました。
私も、私としての感性を磨いて、人間としての感度を高めていこうと思っています。
今日は仕事はお休みの日、かわりに
幼稚園のバザー準備のお手伝いに行ってきました。
おかあさまがたの手作り品コーナーの品物をつくるお仕事でした。
見本があるので、それをまねしてせっせせっせと手を動かすひととき、
こういう時間もまた楽しいものです。
明日は親子遠足です。 毎日なにやかやとあります。
それではまた
(^^)/