仕事の帰り、入院中の父親のお見舞いへ行って来ました。
ついたのが5時過ぎ、車椅子に座ってテレビを見ていましたが、「お父さん、」と声をかけると
「ああ、だれ?」と言って、すぐに「わかった。お父さんはわかったぞ。」と、こちらを向く。
そして、「ほーら、当たった!」とにんまり。父は片目が視力がなく、もう片方もあまりよく見えません。
それでも、テレビを見ているので、「お父さん、見えるの?」と聞くと
「今、忠臣蔵をやってるから。」
「ああ、四十七氏の?大石内蔵助だっけ?ええと、悪役はだれだっけ、ええと・・・」
「吉良上野介。(きらこうづけのすけ)」
「そうだった、吉良様だった。」
テレビを見ているといっても、あまり見えないので、音を大きくしただ聞いているだけのよう。
それでも、何も刺激がないよりはいい。
この日は母親が体調が悪くて来られないので、私が付き添っていることになりましたが、
同居しているお嫁さんは一度も来てくれないの。理由→「お稽古事があるから。」この人、仕事してなくて専業主婦なんですけど
私の実家の家と土地を売ったお金で、今住んでいる世田谷の二世帯住宅を購入したんですが
和室へ車椅子で入らないでほしい(畳が傷つくから)とか平気で言うし かわいそうなうちの親。
誰のお金でこの家買えたのよって話。
ずっと以前も、入院する日に手助けしてほしいと言ったら「今日は○○があるので」、と断られたそうです。
○○というのはやっぱりお稽古事。そういうのって、普通キャンセルしたり他の日に変えたりしませんか?
身内が大変だというときに。
まあ、そんな話はいいわ
不愉快になるから
病院で、
6時になって食事(^^)/ どんなご飯かな!と思っていたら、
「お食事でーす」と、配膳された食事というと・・・・・
なんてことでしょう
全部、流動食(説明の紙には「ミキサー食」と書いてあった)でした
この前まで、おいなりさんとか食べてたのに。誤嚥がこわいそうです。すぐにむせてしまう。
おかゆというか、なんだろう、どろどろのごはん。おかずも全部そんな感じ。
でも、スープにはこんなステキな工夫が(*^_^*)
ラテアートみたいに、お花の模様が描いてあるの!!
配膳してくださった係の方に、「わぁ、きれいですね!食べるのもったいないですね」と言ったら、
「そうなんですよ、少しでも楽しく食べて頂こうって、私たちもこんなこと、って、いろいろやってみてるんです。」ありがたいありがたいm(__)m 本当にありがたいことです。
「全部、食べられるといいですね!全然もったいなくないんで、どんどん食べちゃってくださいねー!!」と、にっこり。いいなあ。にっこりっていいなあ。
そして、父にエプロンをして、スプーンで一口ずつ、口元へ持っていくとちゃんと口をあけて食べてくれました。
しかし・・・
半分ぐらい食べたところで、
「・・・あんまり、うまくねぇなぁ。寿司を買ってこいや。こはだと、アナゴでいい。」
いいと言われましても
途中で看護師さんが様子を見に来てくれて、
「あら、今日はお嬢さんと一緒でいいですね!こちら、お茶置きますね。」と、お茶を持ってきてくださった。
お茶にも、とろみ剤を入れている。「全部、とろみ剤入れるんですか、」とお聞きすると、
普通の人なら、ごくごく飲めてしまうものも、すーっと気道のほうへ入ってしまうことがあるから、
「ごっくん!」という嚥下反射を起こさせるためにも、とろみ剤は必要とのこと。
本当に、この前までストローで麦茶を飲んでいたのに。それもだめに。
わぁ、もう、どうしよう・・・・
8割ぐらい食べたところで、「もう、いい。」と、食べなくなりました。
食べさせながら、いろいろお話をしましたが、会話がなかなか続かない。
お年寄りは「昔のこと」だと、よく覚えているというので、
私がまだ結婚する前に家族で香港へいきましたが、その時の話をしました。
「霧がかかってて、山の上が真っ白だったね」「ああ、そうだった何も見えなかった。」
「なんだか急勾配の小さな電車に乗った」「上に行っても霧で見えませんてガイドさんに言われたけど」
「念のためにって行ってみたんだ」「そしたらやっぱり見えなかった」
「見えない中で、写真を撮った」「あたり一面真っ白だったな」「でも写真を撮った」
・・・と、思い出し、思い出し、しながら、一生懸命話している。私も全部、覚えている。
だから、お嫁さんが別に来てくれなくてもいいのかもしれない。
思い出の共有ができる相手のほうが、たぶん・・・話してても楽しい。
それから、手や足のマッサージをしたり、「トイレ」というので看護師さんに連れていってもらったり、
また忠臣蔵を見たり、面会時間の8時までいました。
そして、「お休みの時間です」ということで、看護師さんが二人来てくれて、ベッドに寝かされた。
もう、一人では立ったり、座ったりも容易ではない。トイレにも行けないし。
なにかもう、ちょっと・・・・ 悲しいなぁ。
お父さんの写真と、もう一度食事。全部、「ミキサー食」というの。
今回は、検査入院なのであと1週間で退院できます。なるべく会いに行ってあげよう(#^.^#)
もうね、この前、弛むとか弛むとか(ああ、漢字は同じね。ゆるむ、と、たるむ)
引き締めなきゃとかいろいろ書いたけど、
自分の口で、自分の意思で、あれ食べたいこれ食べたいで、好きなものを好きなだけ食べられる。
それでいいじゃない。それが一番しあわせじゃない・・・(T_T)
コーラがだめとか、カップ麺がどうとか、コンビニ弁当の栄養素とか、もううるさいっていうの。
食べたいものを食べられるんだったら、それでじゅうぶん幸せじゃない。
このお煎餅しけってない?なんて言いながらバリバリ、ビール飲んで「プハーッ!」、あつあつのから揚げ、
ミディアムレアのステーキ、ポテトサラダ、ゆでたてのとうもろこしに塩振って食べる、
そういうことって全部しあわせ。
それが全部、どろどろでとろとろのミキサー食とか流動食とか。
離乳食みたい……
赤ちゃんはだんだん固いものを食べるようにするけど、お年寄りはだんだんと柔らかいものになり、最後にはこんなふうに・・・
生きている限りエネルギーは使うから、食べなければならない。
お父さん、がんばって、もう一度ちゃんと食べられるようになってください。
そしたら、こはだのお寿司でもお稲荷さんでも、なんでも食べられるから。
そして、帰る時に☆
「今度、香港に行ったら、きっと晴れてるでしょ、そしたらまた山の上に行って、写真撮ろうね」
「ああそうだそうだ、今度こそちゃんと撮るぞ。」
握手したら、とっても力強く手を握っていつまでも離そうとしなかった。
「香港の山の上」というのは、「百万ドルの夜景」で有名な「ビクトリア・ピーク」のことです。
昼間でも夜でも、素晴らしい眺望で、世界的に有名な景勝地。あいにく、霧で真っ白で、何にも見えなかった・・・むしろそれが思い出になったりしてるけど。霧の思い出。
もう一度、お父さんと一緒に行きたいな。
(^.^)/~~~
ついたのが5時過ぎ、車椅子に座ってテレビを見ていましたが、「お父さん、」と声をかけると
「ああ、だれ?」と言って、すぐに「わかった。お父さんはわかったぞ。」と、こちらを向く。
そして、「ほーら、当たった!」とにんまり。父は片目が視力がなく、もう片方もあまりよく見えません。
それでも、テレビを見ているので、「お父さん、見えるの?」と聞くと
「今、忠臣蔵をやってるから。」
「ああ、四十七氏の?大石内蔵助だっけ?ええと、悪役はだれだっけ、ええと・・・」
「吉良上野介。(きらこうづけのすけ)」
「そうだった、吉良様だった。」
テレビを見ているといっても、あまり見えないので、音を大きくしただ聞いているだけのよう。
それでも、何も刺激がないよりはいい。
この日は母親が体調が悪くて来られないので、私が付き添っていることになりましたが、
同居しているお嫁さんは一度も来てくれないの。理由→「お稽古事があるから。」この人、仕事してなくて専業主婦なんですけど
私の実家の家と土地を売ったお金で、今住んでいる世田谷の二世帯住宅を購入したんですが
和室へ車椅子で入らないでほしい(畳が傷つくから)とか平気で言うし かわいそうなうちの親。
誰のお金でこの家買えたのよって話。
ずっと以前も、入院する日に手助けしてほしいと言ったら「今日は○○があるので」、と断られたそうです。
○○というのはやっぱりお稽古事。そういうのって、普通キャンセルしたり他の日に変えたりしませんか?
身内が大変だというときに。
まあ、そんな話はいいわ
不愉快になるから
病院で、
6時になって食事(^^)/ どんなご飯かな!と思っていたら、
「お食事でーす」と、配膳された食事というと・・・・・
なんてことでしょう
全部、流動食(説明の紙には「ミキサー食」と書いてあった)でした
この前まで、おいなりさんとか食べてたのに。誤嚥がこわいそうです。すぐにむせてしまう。
おかゆというか、なんだろう、どろどろのごはん。おかずも全部そんな感じ。
でも、スープにはこんなステキな工夫が(*^_^*)
ラテアートみたいに、お花の模様が描いてあるの!!
配膳してくださった係の方に、「わぁ、きれいですね!食べるのもったいないですね」と言ったら、
「そうなんですよ、少しでも楽しく食べて頂こうって、私たちもこんなこと、って、いろいろやってみてるんです。」ありがたいありがたいm(__)m 本当にありがたいことです。
「全部、食べられるといいですね!全然もったいなくないんで、どんどん食べちゃってくださいねー!!」と、にっこり。いいなあ。にっこりっていいなあ。
そして、父にエプロンをして、スプーンで一口ずつ、口元へ持っていくとちゃんと口をあけて食べてくれました。
しかし・・・
半分ぐらい食べたところで、
「・・・あんまり、うまくねぇなぁ。寿司を買ってこいや。こはだと、アナゴでいい。」
いいと言われましても
途中で看護師さんが様子を見に来てくれて、
「あら、今日はお嬢さんと一緒でいいですね!こちら、お茶置きますね。」と、お茶を持ってきてくださった。
お茶にも、とろみ剤を入れている。「全部、とろみ剤入れるんですか、」とお聞きすると、
普通の人なら、ごくごく飲めてしまうものも、すーっと気道のほうへ入ってしまうことがあるから、
「ごっくん!」という嚥下反射を起こさせるためにも、とろみ剤は必要とのこと。
本当に、この前までストローで麦茶を飲んでいたのに。それもだめに。
わぁ、もう、どうしよう・・・・
8割ぐらい食べたところで、「もう、いい。」と、食べなくなりました。
食べさせながら、いろいろお話をしましたが、会話がなかなか続かない。
お年寄りは「昔のこと」だと、よく覚えているというので、
私がまだ結婚する前に家族で香港へいきましたが、その時の話をしました。
「霧がかかってて、山の上が真っ白だったね」「ああ、そうだった何も見えなかった。」
「なんだか急勾配の小さな電車に乗った」「上に行っても霧で見えませんてガイドさんに言われたけど」
「念のためにって行ってみたんだ」「そしたらやっぱり見えなかった」
「見えない中で、写真を撮った」「あたり一面真っ白だったな」「でも写真を撮った」
・・・と、思い出し、思い出し、しながら、一生懸命話している。私も全部、覚えている。
だから、お嫁さんが別に来てくれなくてもいいのかもしれない。
思い出の共有ができる相手のほうが、たぶん・・・話してても楽しい。
それから、手や足のマッサージをしたり、「トイレ」というので看護師さんに連れていってもらったり、
また忠臣蔵を見たり、面会時間の8時までいました。
そして、「お休みの時間です」ということで、看護師さんが二人来てくれて、ベッドに寝かされた。
もう、一人では立ったり、座ったりも容易ではない。トイレにも行けないし。
なにかもう、ちょっと・・・・ 悲しいなぁ。
お父さんの写真と、もう一度食事。全部、「ミキサー食」というの。
今回は、検査入院なのであと1週間で退院できます。なるべく会いに行ってあげよう(#^.^#)
もうね、この前、弛むとか弛むとか(ああ、漢字は同じね。ゆるむ、と、たるむ)
引き締めなきゃとかいろいろ書いたけど、
自分の口で、自分の意思で、あれ食べたいこれ食べたいで、好きなものを好きなだけ食べられる。
それでいいじゃない。それが一番しあわせじゃない・・・(T_T)
コーラがだめとか、カップ麺がどうとか、コンビニ弁当の栄養素とか、もううるさいっていうの。
食べたいものを食べられるんだったら、それでじゅうぶん幸せじゃない。
このお煎餅しけってない?なんて言いながらバリバリ、ビール飲んで「プハーッ!」、あつあつのから揚げ、
ミディアムレアのステーキ、ポテトサラダ、ゆでたてのとうもろこしに塩振って食べる、
そういうことって全部しあわせ。
それが全部、どろどろでとろとろのミキサー食とか流動食とか。
離乳食みたい……
赤ちゃんはだんだん固いものを食べるようにするけど、お年寄りはだんだんと柔らかいものになり、最後にはこんなふうに・・・
生きている限りエネルギーは使うから、食べなければならない。
お父さん、がんばって、もう一度ちゃんと食べられるようになってください。
そしたら、こはだのお寿司でもお稲荷さんでも、なんでも食べられるから。
そして、帰る時に☆
「今度、香港に行ったら、きっと晴れてるでしょ、そしたらまた山の上に行って、写真撮ろうね」
「ああそうだそうだ、今度こそちゃんと撮るぞ。」
握手したら、とっても力強く手を握っていつまでも離そうとしなかった。
「香港の山の上」というのは、「百万ドルの夜景」で有名な「ビクトリア・ピーク」のことです。
昼間でも夜でも、素晴らしい眺望で、世界的に有名な景勝地。あいにく、霧で真っ白で、何にも見えなかった・・・むしろそれが思い出になったりしてるけど。霧の思い出。
もう一度、お父さんと一緒に行きたいな。
(^.^)/~~~