Kaettekita 私が思う あのこと このことReturn(Get Back Part2)

進取究明。日々の雑感を気ままに綴る私なりに思い考え行い実践する不定期の記録。日蓮正宗とは一切関係なく私個人の見解です。

短歌の会、歌会教室へ、10月度に行って来た!於:郡山市おおつきふれあいセンターにて

2023年10月14日 13時38分29秒 | 短歌・和歌・作歌、歌会。歌を作る、短歌を味わう。表現批評する。川柳俳句鑑賞
 短歌教室に、五、六月頃から通っている。私と同じく、チラシを見て、入って来た私より年上の男性が、今日は私達普段来ている人達よりも早く、新しく来られていた。
 短歌の先生は、斎藤茂吉の歌を実例に上げて出し、講評なさった。
 その際、三十一文字の短歌に、自分の想いをどうやって盛り込めて、詰め込めるか。最低限の言葉だけを入れる。一冊の本の内容を、一首に入れる、如し、と。
 それも、決して説明的にならずに、が良い。説明ではない。
 茂吉の歌には、地名すらも省いた、どこで詠んだのか、想像を巡らせるしかない歌もあるという。
 
 余り、理屈にこだわらないでいい。

 会津八一と言う人の歌は、皆が皆、平仮名であり、読みにくいそうな。

 そうして、時間は過ぎ、一人一人の、作って来た一首の歌の紹介となった。

 私は、この稿でも紹介した、十月に作った歌を出そうかと思ったが、ふと考えて、その前に、一首しか出来ず、それで苦しんで出した歌を、敢えて、ここで繰り出してみた。

 命皆仏の心有りと言ふ 山川草木悉有仏性(さんせんそうもくしつうぶっしょう)

 これを提示した。

 先生は、ここでいう、「命」とは何か?と疑問を投げかけて、私は、森羅万象、全てであり、この世の全て、草や木、それこそ、「石ころ」にまで、それぞれに、仏性が宿っている、と言った。
 そうすると、先生は、命は、「万物」と捉えていいのですね、というので、「そうです」と答えた。
 
 私は、これでは、下の句が、涅槃経だか何だか忘れたが、出典がモロ、仏教のお経典であり、これは、いいとこどり、こんなのでいいのでしょうか、と先生に言うと、

 短歌はこれはダメとかはない。何でも歌の材料にして良い、と仰る。

 短歌=作者の感動の発露。これに対して、一番古い短歌の原点、原典が、「万葉集」と、我々のアララギ派では、重んじられている。これを、正岡子規先生も説いたし、根本根拠となる。それを現代風にするか、古典風にするか、の問題。

 具体性。「真実」の追求。西洋哲学は、ギリシャ哲学にしろその後のヨーロッパの哲学にしろ、思想、知識、学問にとどまってしまっている、と先生は論を進めてゆく。

 私は、どちらかというと、仏教徒なので、印哲、インド哲学か、それよりもむしろ、ブッダ、釈尊が説いた、最終的には宗祖日蓮大聖人様が御説き遊ばされた仏教哲学であり、それが、インドから中国、朝鮮半島へと渡り、やがて日本に最終的にたどり着いた、北伝仏教、大乗仏教の宗派である所の、日蓮正宗であり、と、話しがやや脱線気味となってしまう。

 とにかく、日本の神道のアニミズム、万物を崇拝する、大自然だろうと、八百万の神、の感覚の日本の思想と、その後の日本に辿り着いた、大乗仏教が結びついた、特に大事なのが「法華経」なんだ、と私はその場で強く訴えた。

 先生は、それらの思想的な私の拠り所を考慮しつつ、世界人口が現在八十億人もいて、その中で、一人たりとも、ムダな人などいない。私が言った、その、「仏性」というか、「使命」と先生はその場で言い換え置き換えていたが(その、言い方、「使命」とも私wainaiは「仏性」は、違う気も少しはしたのであるが)、今起こっている、イスラエルとイスラムの争いの中で、そうした、一神教ではこの世の人々が救われない事実が片方に有り、片方の東洋思想の仏教では、ちゃーんと、それら万物に魂というか、命と言うのか、が有ると説いているようだ、と先生。極めて平和的な教えが仏教であり、既にそれが、最初から、昔から、それも身近なこの東洋に歴史上あった、存在していたのだと考え直し、驚く風に見える先生。

 先生は、じゃあ、物、それこそ、これら、ホワイトボード、黒ペンにも、モノ言わない物にも、仏性、命は有るのか?と私に問いかけ、訊き尋ねるので、私は「仏性は、当然、ある。必ず存在する」と私自身の信念を、即断で、断言し、強調した。先生が今日、一番私に聞きたかった事が、それらしい。
 最早、この短歌教室は、私と先生との、仏法論へと、その場が化していた。その他の生徒達も、じっとしてその行方を見守る。

 諸外国の宗教、特に今話題に上っている、一神教の限界を、先生なりに苦慮考慮しつつ、今の世相の、あの戦場の惨状を見聞きする毎日に於いて、それら、日蓮正宗の説くが如くの、仏教・宗教が、日本のこんな身近な所にあった真実に、先生も感ずる所があったようだ。

 しかし、私の作歌姿勢、その歌を本格的に先生なりに、考察を加えると、この私の短歌には、欠けている所があり、この歌は、「一般論」としてのみ成り立つ、単なるただの「宗教論」でしかない。先生は、私が、本当に、何に感動したのか、そのインパクトある短歌を私につむいで欲しかった、と。
 それこそ、先程から登場して来ていた、「石ころ」に感動を覚えたならば、私は最初、「石ころ」の歌なんて、と否定しかかったのだが、むしろ先生は、その石ころだって、その一つを手に取って、我が家の庭に飾って置こうとする人もいるかも知れないし、余りに立派で、机の上に飾って置きたい人だっているかも知れない。

 そういった、私個人の、ひらめき、というか、「石ころ」一個でもいいから、そこから、どう感動が、感興が起こったのか、私の一番伝えて言いたかった事は何なのか、その感心感動感激、心の動きを、それを今日は是非とも私から聞きたかった、と先生は残念そうに仰られた。

 しかし、一つの、こういう考え方の歌がある、色々な歌がある、と言う事で、このままの状態で、「群山」と言う短歌結社の雑誌には載せて発表して下さる、と先生は明るく仰った。私は、有難い、と思った。

 「石ころ一つからでも、悟りはあるのではないのか」、との言葉も先生からは飛び出してきて、究極的な仏教徒とも思えぬ先生から発せられた言葉に、先生らしからぬと、私はそれには驚きもした。

 実は、その短歌の先生の、「石ころから悟り」の譬えは、ある、福島県三春町へと先生が若い時、仕事で営業をしていた頃の、先生の深い感慨・記憶に残る想い出があり、ちょうど、営業周りの終わりの時に、高台の所にお寺があり、余りに疲れていたもので、その境内の所まで、階段を登って行って、上の庭で座って疲れた体を癒すかのように一休みして休ませてもらっていたら、そこに一人の住職がふいに現れて、見て御覧なさい、そこらじゅうにある、それらの石ころ。そこから、それらからだって、貴方は悟ろうと思えば悟れる、成仏の種はどこへでも転がっているんですよ、と諭されて言われたと言う。それだけはハッキリと覚えていると言う。

 私はそれら話を聞いていて、ちょうど、三春町には、格式あるお寺で、ちょうど階段の上にお寺が建っている、私の信奉する宗派の日蓮正宗の法華寺がそこにもあるので、「法華寺ではないですか」と聞いても、先生はお寺の名前も覚えている由もないのであった。

 とにかく、先生は、その後、万葉集のお話をされ、万葉集には相聞歌=恋歌、恋愛歌があり、その時代の真実、真心が歌われている、と仰った。

 特に、同じ感動・共感を起こす・たとえそれが表現の仕方はつたなくとも、感動を共有できると先生は仰り、歌会の幕を閉じた。皆、家路に就き、帰って行った。

 先生は、いつも、私の最初にこの教室で発表した、
「あじさゐの花をめでつつ思ふのは母の笑顔のことのみなりき」
の短歌を大層気に入られ、いつも大抵、毎回のように、この歌会で、私がその歌を先生に褒められているのだが、何故か、それを上回り、越え得る短歌が、未だに出来ないのは、どういう風の吹き回し、何の訳なのか。これが今一番の最大の私の疑問・悩み・謎、である。
 要するに、私の技量不足、努力不足なんだろうな。おそらく。これは。結局の話が。
 ビギナーズラックであったのか。私の才能よ、もう一度、出でよ!と命じたくもあり、念ずるばかりである。

 以上。よしなに。wainai、長文失礼。


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