Kaettekita 私が思う あのこと このことReturn(Get Back Part2)

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短歌の会、歌会。五月四日、二〇二四年R6年AM10時、於:大槻公民館、※長文失礼

2024年05月04日 14時58分23秒 | 短歌・和歌・作歌、歌会。歌を作る、短歌を味わう。表現する。批評する。俳句鑑賞
 本日も、おおつきふれあいセンター(大槻公民館)にて、月に一度の、短歌の会、歌会が催された。

 家にして結ひてし紐を解き放(と)けず思ふ心を誰(たれ)か知らむも(万葉集 大伴家持)

 にして、=「で」~において。
 家持が地方出張の時の歌。奥さんが下着の帯を結んでくれた。=浮気をしない決意。

 旅にして物思ふ時にほととぎすもとなな鳴きそ吾が恋まさる(万葉集 一、読み人知らず)

 にして=で、にあって。
 物思ふ=これも、奥さんを思う。

 もとなな、の、「もとな」=しきりに、やたらに。

 「な~そ」~してくれるな。

 ここにして蔵王の山は見えねども鳥海の山真白くもあるか(斎藤茂吉)

 大石田の蔵王の山を望みつつ。蔵王を前にすると、鳥海山は斜めうしろに見えるのではないだろうか?(先生)

 「にして」場所を表す時。~で、~にあって、~において。

 にして、は一言ではない。
 に・して=にて。

 にして、は非常に意味深。(大伴家持の歌も)
 ここまで、私の先月の問題の歌をモチーフにした、先生なりの解説。解釈。

 前例として、今回も私の前回の一首を挙げると。「にして」の言い出しっぺの、問いを立てた、私の一首。

 大槻は風吹く強き町にして屋根飛ばされし人我は知るなり

 車にて通ふクラブに自転車を漕ぐ人のありスーパーのとなり
 
 にて=にして、で、~において。場所「位置」。
 「通ふクラブに」現代語と同じ使い方。~で(これもある。余り使わないが)

 先生の歌。福島のスーパー、ベニマルのフィットネスクラブにて。
 現代の世相を表す。わざわざ車でクラブに行って、自転車を漕ぐという、矛盾。おかしみ。

 倒置する。フィットネスクラブは長すぎるので、「クラブ」とした。
 (「倶楽部」漢字もダメかも知れない)。
 短歌の場合は人それぞれ。これ、という答えはない。漢字で表したい人はそうしていい。
 締め方の問題。

 友はけふ右の乳房を全摘す癌告知より半年が経つ(生徒さんの作)

 経つよりも「経(へ)し」(古典・古語)が良いのでは(先生)。経しの「し」=強調の「し」。
 「半年」作者が最も強調したかった。

 格助詞「の」=主語になる体言につく。これが主語ですよと。
 「が」ー格下。親しい。親愛の情を感じる。
 「の」ー位が上。敬意の対象。心理的距離がある。
 「が」と「の」でこういう傾向、違いがある。

 (歌の感想)余りに重い感じで、言葉がない。何と言ったらいいのか、やさしさがなく、厳しい歌のような。(生徒さん)

 (先生)今は何でも告知しちゃうのか。私の母も告知された(片側全摘)ので。
 
 斎藤茂吉も口語で強調して作歌した事もある。(生徒さん)「半年が経つ」で出して下さい。(短歌雑誌「群山」に)。

 私の歌。

 大槻のひなびた町を行きければホーホケキョとうぐひす鳴くなり

 「単純化」=絶対にこれは入れとかないと困る=短歌は引き算=本当に必要なものだけを入れる。

 主題は一つ。主題を絞る。
 ひねらない方が良い=単純に。
 言葉自体の単純化。
 文の単純化。

 (生徒さんのアドヴァイス=お母さんの想い、イメージを出したらもっと良くなりそう)。

 古い言葉をこねくり回して使う⇒わかりづらい。余り良くない。

 「歌」の語源は「訴ふ」。歌とは訴える事!

 「答」は要らない。ない。

 形容詞・修飾語もない方が良い。
 ex)「ひなびた」=説明的である、それに過ぎる、本当に必要なのか。
 
 改作。私の自分なりの努力と、先生の御力を借りて。

 母の居るホームの帰りうぐひすの声をきくなり母の愛せし
 (この場合、母が二つでも構わない)。

 きく=「聞く」「聴く」漢字にしちゃうと限定されちゃう。平仮名の方が、やわらかく、想像できる。

 「愛せし」の「し」私は初め、過去の助動詞「き・し・しか」だと思ったが、その場合、過去の助動詞「き」の連体形であり、前に「し」連用形となる。
 あとの別の場合の「し」は、「す」動詞の連用形。
 そして、先生が目論見、ここで一番に提示したのが、強調(未然形)。強調の場合は何でも付いてくる。
 「愛す」サ行変格活用。
 愛せず・愛して・愛す・愛する(時・人)・愛すれ(ば)・愛せよ(命令)
 
 ex)「愛せる」の「る」を受け身の「る」がある。(受け身・可能・自発・尊敬、、)

 よもぎ摘む余命幾歳知らねども餅を供えて達者であれと(生徒さん作歌)

 餅を供えて=仏壇へ供えたという。
 「達者であれと」息災で有れと。今年もよもぎ餅を作った。自分でもあるし、他へでもある。家族皆を願った。
 「供えて」を「供ふる」で止めた方が良い。
 口語、文語、どちらでも良い歌。まとまっている歌。
 (先生)説明的じゃなくてもいい、と言ったが、説明があっても良い。
 (先生)倒置した方が良いだろう。その方がハッキリする。


 白梅(しらうめ)のにほひにさそはれ我が庭にはじめてききたりうぐひすの声(生徒さん作)

 おじいちゃんの育てた梅。老木。

 「白梅(はくばい)」よりも、この生徒さんの言う通り、「白梅(しらうめ)」の方が一般的で良い。

 (先生)「さそはれ」=誰が誘われたのかが判らない。うぐいすの説明になってしまう。作者の解釈、これ作者かな、と。(一般読者が)。

 感動をドーンと出す。自分がうぐいすだと思えばそれで良い。疑いを持たなくて良い(生徒さん自信なさげ)。
 (本人が要らなければ不要=「祖父」)
 推敲する前に、どう思ったか(本人、ない)。
 うぐいすの姿はなかった。本物だ。本当にここに居るんだ。

 改作。
 白梅(しらうめ)の花にほひたる我が庭にはじめてきけりうぐひすの声
 (生徒さん=「我が庭」が説明的だから「老木」にしたいと。先生は、「我が庭」は説明的ではない。感動が「老木」じゃ出ない。自分の家の「庭」で出る)
 自分の庭にうぐいすが鳴いたのが感動。

 今日は、午後十二時を大きく過ぎて、だいぶ時間をかけて、我々、歌会、短歌の会の学徒は、熱中して、研究に時間をかけて、一首一首に全魂を傾けて、一生懸命になって学んだ。この熱意は、次第に自分の血や肉となって、実生活上にも現れて来る事だろう。

 先生も言われる通り、自分だけで作っていると本質が判らない。
 研究会だから。来年の郡山市文学の森資料館でも、短歌の提出テーマがある。去年は先生が一人で出した。
 今年から、来年にかけて、「群山」からも出そうと。五、六人出すと言ったら、郡山市でも喜んでいたと。

 帰りに先生に、新たな生徒さんが、この歌会は、いつ頃から開いているのか?との質問に、先生は、やっと一年数か月が経つか、どうか、という所。今までは、先生のご両親が中心になって、特に近年は、先生のお母さんが執り行っていたという。

 とにかく、私は、来月は一日午前十時に、この歌会がまたあるので、私は又また、参戦参加致して、より歌の世界を学んでいきたいと考えに考え、思う。

 以上。よしなに。wainai、長時間(二時間余)にわたる私が取った授業のノートより。長文失礼。


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