Kaettekita 私が思う あのこと このことReturn(Get Back Part2)

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私の高校休学期間の、神奈川県川崎市への旅

2022年12月14日 10時22分44秒 | 学校・教育特集・学生生徒時代の想い出
 私は、福島県立安積高校、高2の、学校を休み始める前の、八月ごろに、実は、一人旅行、神奈川県川崎市中原区にある、渋谷から横浜、当時は桜木町までを結ぶ、東急東横線で、「元住吉駅」に降り、其の地元界隈を旅した。
 あの頃と、それ程変わった程ではない気もしたが、今の元住吉は、それはそれはオシャレに生まれ変わり、東西、線路を挟んで、両商店街がひしめき合う、そんな街に変わり果ててしまい、一抹の寂しさも感ずる。
 しかし、その時は、その前を通るだけだったが、自分が通った長寿保育園に行ったり、自分の通った小学校、川崎市立下小田中小学校に行ったりした。
 そして、その小学校から三分と経たない位の所に、我が家の暮らしたアパートがあったはずだったが、そこは、もう駐車場になって居た。
 そして、近所のお友達、「磯部わたる君」の家の前まで差し掛かった。私は、その時、戸をどうしても、叩けなかった。叩けば、あの、ワンパク同士で一緒に遊んだ、楽しかった日々を思い出し、彼、磯部君にも会えたかもしれない。その時は、互いに、夏休み期間でもあったのだから。
 しかし、私は、その、本格的に学校を休みだす、冬になるまでも、実際は、夏の学校主催の夏休み期間中の夏期講習会、学校の文化祭等々に、立て続けに休みを取り、この夏は、余り、安積高校には通っていなかった。
 それらの負い目があり、若しも、磯部君が、「○○君(私の事)、今、どうしてるの?」と聞かれる事が、何にも増して、カッコ悪く、コワかった、あの頃は。
 だから、その門口と、玄関を、手でノックする格好は取ったものの、それを止めて、その手を納めて、何事もなかったように、大人しく家路に向かった。
 この他、当時の小学校の大の親友で、「山手義人君」と言う人が居て、私とは、暫く、葉書で小学三年生くらいまでやり取りしていたのだが、それも音信不通、と言うか、私は新しい、福島での環境に慣れすぎ、むしろ、こちらの生活が楽しく忙しく、そんな親友旧友には無頓着になり、構わず、これは、かなり、山手君にとっても、冷たい対応だったのではないかと、反省している。葉書は、逆に、母が代書していた位だ。頭のいい山手君なら、そんな小細工、見逃すわけがない。
 そして、お互い、何の音沙汰もなくなった。そうしていた矢先の、川崎訪問だったが、私は、土地勘が余りなく、結局辺りをうろつくのみで、山手君の家は全く判らなかった。
 しょうがないから、当時、私と父とで、カブトムシ取りをしていた、小さな小高い山の方、川崎市と横浜市の境辺りにある山に、行ってみる事にした。
 そこの自然は、まだ当時健在だった。そこで実際には、私は帰りの邪魔になるので、カブトムシは取っては来なかったが、多分、居そうな感じはした。
 そして、丘を登り、頂上の、広大な開けた場所に出ると、そこは、何か、児童養護施設か、障碍者施設か、何か福祉関係の、施設のような建物群があるのだった。
 ここで、辺りを見回すと、車に、ワゴン車位の比較的大きな車に、子供用のおもちゃ、ぬいぐるみ、等々が満載の、それがそうと外からはっきりわかる程の、子供の玩具等を満載の車が私の脇を通り抜け、施設に入って行った。
 きっと、そこの、不幸と言っては可哀想で失礼だが、その、施設の子どもたちへの、喜びの時間、プレゼントの為の、それらが贈り物のグッズである事は、容易に想像できた。
 私は、尚も、今度は郡山への帰宅の家路を急ぎ、東急東横線元住吉駅にて切符を買い、大宮駅までゆき、そこから、新幹線で、東北地方は、福島県の、郡山駅まで、一路、日帰りにて、帰り、帰宅した。
 家に着いたのは、もう、夜の帳(とばり)が下り始めていた、晩夏の候であった。
 東北の夏は暑いが、余りに短い。神奈川のあの暑さに比べると、何か物悲しい、何か物足らない。
 涼しい秋の寂しい季節の到来を告げる、その時、私自身にとり、東北にとり、これから一段と寒い冬がやって来るんだとの、予感、予期させる何ものかが、夏の終わりではあったのだが、その時、確実にあった。

 以上。よしなに。wainai


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