初めての海外旅行~ あれから22年
それは社会人となった22歳、KODAKの同期だったKONOとの旅であった。
その旅は、成田よりシンガポールで乗継ぎスリランカへ。スリランカに数日滞在した後、モルディブへ。そしてモルディブで数日滞在し、シンガポールへ立ち寄ってから帰国するというものであった。
飛行機がスリランカのコロンボへ到着し、飛行機のドアが開いた途端にカレーの香辛料の匂いがどっと機内に流れ込んできたのを今尚忘れる事が出来ない。
夜到着のフライトにて、飛行機のタラップを降りる時、空港の金網の外から無数の人々が中を覗いており、その目が闇夜の中でギラギラと不気味に動いていた。これらの人々は空港に入れない人々らしかった。
荷物をピックアップしコロンボ市街へ向かうタクシーが、放たれている牛を横にかわしながら走るのには度肝を抜かれた。牛の痩せた背中には恐らく持ち主であろう刻印が焼き記されていた。
コロンボ市街観光の記憶より、コロンボから古都キャンディまでの列車の中の方が記憶に残っている。
鍵の壊れた車内トイレは丸く穴が空いているだけで、流れ行く線路が丸見えであった。そこに糞を落とすと牛なり動物の餌となるのであろうか…
途中停車する駅でKONOが煙草を乞う1人のオトコに窓から煙草を一本あげた途端、オレにもくれと無数の手が窓から中に入ってきて焦った。
キャンディへの列車の中で話しかけられた年配のオジサンに連れられて安いゲストハウスに泊まる事になった。そこから仏歯寺などを観光したのであった。
大きな公園があり、そこでKONOと僕はお土産のスパイスセットを幾つも求めた。
キャンディからコロンボに戻った僕らは、より安くこぎれいなホテルを港の近くに見つけ、そこにチェックインした。そこのフロントのスリランカ人の女の子がKONOに一目惚れしたのを覚えている。
モルディブは本当に美しかった。沖縄の海の色とも違うエメラルドグリーンであった。
空港が一つの島であり、そこから其々の島へ船で移る。其々の島には其々一軒ずつホテルがあった。
空港に着き、スリランカより持ち込んだジンを国内にアルコールが持ち込めないとの理由でモルディブ空港に預け、僕らは島への船に乗り込んだ。
遠くの海でカツオ鳥が群れていた。たぶん魚がいるのであろう。
モルディブの海は美しすぎた。目の前をスティングレィがゆっくりと泳いでいく。
だが、オトコ2人で滞在するのは2日間が限界だった。飽きてしまったのだ。
そこで僕らは予定を一日繰上げ、首都であるマレー島へ移る事にした。そこに行けば何か楽しい事があるかもしれない。
マレー島にて泊まるべきホテルを見つけた2人は、其々別々に島内を歩いた。
途中、話しかけられたモルディブの若者にお土産屋さんの手伝いをしてくれないかと頼まれた。聞くと地中海クラブより日本人の団体客が彼の店にやってくるらしいのだが、通訳が居らず、僕らに販売のお手伝いをして欲しいと云うのだ。
ではその交換条件として手伝った後に釣りに連れて行ってくれるならと話して、了解を得たので手伝う事にした。
団体客は真っ黒に日焼けした僕ら販売員に少し驚いたようであったが、みんな色んな買い物をしてくれたのであった。
そしてその夜、ポンポン船で僕らは釣りに出た。
仕掛けはサラダ油のポリバケツにLINEを巻いたもの。餌は大きな針に半分に切ったイワシを付けて海底に落とした。
恐らく20mほどの深さなのだが、あまりに海が澄んでいて海底まで見えた。
しばらくすると僕のLINEに魚が掛かった。強い引きだった。
上がってきたのは大きなバラクーダだった。獰猛な魚である。
同行したモルディブの人達にみんなで食べてくれと魚を進呈すると嬉しそうであった。
シンガポールに移った僕らは宿を決めるべく空港の案内カウンターで検討していた時に話しかけてきたのがリンというオトコであった。
僕らはこのオトコに色んな場所に連れられぼったくられたりしたのであった…。
夜、久しぶりの都会という事で街に繰り出した。
ディスコに行ったのだが、KONOが短パンで入れないと断られ、トボトボとオーチャード通りを歩いていると、前からやってきた日本人の女の子2人を連れたシンガポール人男子にそのディスコに行かないかと突然誘われた。
さっき断られたばかりだと話すと、大丈夫大丈夫と云う。
そこで彼についていくことに。
やはりレセプションでKONOの短パンにチェックが入ったが、彼はレセプションに掛け合い、青いチャイナドレスを持ってきてKONOに其れを着ろと云うではないか…
KONOも喜んでそのチャイナドレスを着込み入場~
そのディスコでKONOがヒーローとなったのは云うまでもない。
みんなが集まってきて、沢山のシンガポールの若者達とそこで仲良くなったのであった。
最高の旅であった。これが僕の初めての海外旅行である。その後、色んな街を放浪しているが、その原点はこの旅にあるのだ。
末筆乍、因みにそのシンガポールの夜に知り合った日本人の女の子とは、今尚、賀状のやりとりをしている。彼女は熊本に住んでいる。お子さんは野球部らしい。
出会いとはこういうものなのである。
それは社会人となった22歳、KODAKの同期だったKONOとの旅であった。
その旅は、成田よりシンガポールで乗継ぎスリランカへ。スリランカに数日滞在した後、モルディブへ。そしてモルディブで数日滞在し、シンガポールへ立ち寄ってから帰国するというものであった。
飛行機がスリランカのコロンボへ到着し、飛行機のドアが開いた途端にカレーの香辛料の匂いがどっと機内に流れ込んできたのを今尚忘れる事が出来ない。
夜到着のフライトにて、飛行機のタラップを降りる時、空港の金網の外から無数の人々が中を覗いており、その目が闇夜の中でギラギラと不気味に動いていた。これらの人々は空港に入れない人々らしかった。
荷物をピックアップしコロンボ市街へ向かうタクシーが、放たれている牛を横にかわしながら走るのには度肝を抜かれた。牛の痩せた背中には恐らく持ち主であろう刻印が焼き記されていた。
コロンボ市街観光の記憶より、コロンボから古都キャンディまでの列車の中の方が記憶に残っている。
鍵の壊れた車内トイレは丸く穴が空いているだけで、流れ行く線路が丸見えであった。そこに糞を落とすと牛なり動物の餌となるのであろうか…
途中停車する駅でKONOが煙草を乞う1人のオトコに窓から煙草を一本あげた途端、オレにもくれと無数の手が窓から中に入ってきて焦った。
キャンディへの列車の中で話しかけられた年配のオジサンに連れられて安いゲストハウスに泊まる事になった。そこから仏歯寺などを観光したのであった。
大きな公園があり、そこでKONOと僕はお土産のスパイスセットを幾つも求めた。
キャンディからコロンボに戻った僕らは、より安くこぎれいなホテルを港の近くに見つけ、そこにチェックインした。そこのフロントのスリランカ人の女の子がKONOに一目惚れしたのを覚えている。
モルディブは本当に美しかった。沖縄の海の色とも違うエメラルドグリーンであった。
空港が一つの島であり、そこから其々の島へ船で移る。其々の島には其々一軒ずつホテルがあった。
空港に着き、スリランカより持ち込んだジンを国内にアルコールが持ち込めないとの理由でモルディブ空港に預け、僕らは島への船に乗り込んだ。
遠くの海でカツオ鳥が群れていた。たぶん魚がいるのであろう。
モルディブの海は美しすぎた。目の前をスティングレィがゆっくりと泳いでいく。
だが、オトコ2人で滞在するのは2日間が限界だった。飽きてしまったのだ。
そこで僕らは予定を一日繰上げ、首都であるマレー島へ移る事にした。そこに行けば何か楽しい事があるかもしれない。
マレー島にて泊まるべきホテルを見つけた2人は、其々別々に島内を歩いた。
途中、話しかけられたモルディブの若者にお土産屋さんの手伝いをしてくれないかと頼まれた。聞くと地中海クラブより日本人の団体客が彼の店にやってくるらしいのだが、通訳が居らず、僕らに販売のお手伝いをして欲しいと云うのだ。
ではその交換条件として手伝った後に釣りに連れて行ってくれるならと話して、了解を得たので手伝う事にした。
団体客は真っ黒に日焼けした僕ら販売員に少し驚いたようであったが、みんな色んな買い物をしてくれたのであった。
そしてその夜、ポンポン船で僕らは釣りに出た。
仕掛けはサラダ油のポリバケツにLINEを巻いたもの。餌は大きな針に半分に切ったイワシを付けて海底に落とした。
恐らく20mほどの深さなのだが、あまりに海が澄んでいて海底まで見えた。
しばらくすると僕のLINEに魚が掛かった。強い引きだった。
上がってきたのは大きなバラクーダだった。獰猛な魚である。
同行したモルディブの人達にみんなで食べてくれと魚を進呈すると嬉しそうであった。
シンガポールに移った僕らは宿を決めるべく空港の案内カウンターで検討していた時に話しかけてきたのがリンというオトコであった。
僕らはこのオトコに色んな場所に連れられぼったくられたりしたのであった…。
夜、久しぶりの都会という事で街に繰り出した。
ディスコに行ったのだが、KONOが短パンで入れないと断られ、トボトボとオーチャード通りを歩いていると、前からやってきた日本人の女の子2人を連れたシンガポール人男子にそのディスコに行かないかと突然誘われた。
さっき断られたばかりだと話すと、大丈夫大丈夫と云う。
そこで彼についていくことに。
やはりレセプションでKONOの短パンにチェックが入ったが、彼はレセプションに掛け合い、青いチャイナドレスを持ってきてKONOに其れを着ろと云うではないか…
KONOも喜んでそのチャイナドレスを着込み入場~
そのディスコでKONOがヒーローとなったのは云うまでもない。
みんなが集まってきて、沢山のシンガポールの若者達とそこで仲良くなったのであった。
最高の旅であった。これが僕の初めての海外旅行である。その後、色んな街を放浪しているが、その原点はこの旅にあるのだ。
末筆乍、因みにそのシンガポールの夜に知り合った日本人の女の子とは、今尚、賀状のやりとりをしている。彼女は熊本に住んでいる。お子さんは野球部らしい。
出会いとはこういうものなのである。
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