10月2日:
午前中、ミラノで駆け足で仕事。その足でミラノ中央駅にむかう。
ミラノ中央駅は、かなり前から工事をしていたのだが、今回行くと、駅の中がとてもきれいにリフォームされていた。その素晴らしい外観を全く変えることなくリフォームされていた。しかし、新しいトイレに入るには1ユーロ必要であった。
ユーロスターに揺られること2時間半、フィレンツェのサンタマリア・ノヴェッラ駅に到着。そこよりホテルに荷物を放り込み、GV社とMN社で仕事。
夕食、レオナルドとホテルの近くのピッツァリアにて。
余りのめまぐるしさと時差ボケに頭がボーっとする。レオナルドとの会話も苦痛なほどであった。
今回の出張はあまりにタイトなスケジュールに心身が追いついていってないのが自分でわかる。
バルセロナ、ミラノ、フィレンツェを移動も併せて3日間でクリアーさせようとしたのが間違いといえば間違いなのだが・・・。まぁ仕方ない。
スーパーで買ったハーフボトルのワインも飲みきれずに床に入った。
10月3日:
生まれて一番最悪の帰路であった。
朝、フィレンツェ空港を離れ、ローマへ。
フィレンツェのチェックインカウンターで日本人の家族らしき4名が言葉が通じず困っていた。助け舟を出すと、このご家族の荷物が多すぎるから追加料金を払えと言われていた。見るとすさまじい量の荷物で、4人分の積載可能荷物分より更に30キロも超過していた。
その方たちと話すと、フィレンツェに来たときのエールフランスでは何も言われなかったとの事。そして本当は前日のエールフランスで帰る予定であったが、そのエールフランスがキャンセルとなり、止む無く今日のアリタリアの便に変更になったとのこと。
『エールフランスはラッキーでしたね。本当であれば追加料金払わなきゃならないところ・・・』としか言いようがない。重すぎである。
ローマにて2時間のトランジットの余裕をみていた帰国のフライトであったが、出発モニターを見ると、6時間遅滞の出発予定になっていた。疲れているので空港の外に出る元気もなく、空港のベンチに座りイライラ。アリタリア航空のカウンターに文句を言うも、なしのつぶてである。
結局、6時間遅滞は8時間半遅滞となり、オレはヨレヨレになりながらフィレンツェより関空へ26時間もかけて帰ってきたのであった。
関西空港にて、フィレンツェで困っていた家族とばったり。彼らも同じフライトに乗り合わせていたのであった。
『結局、追徴金13万円払わされました・・・。』
アリタリア航空はクソッタレだと思う!!
夜、ヨレヨレになりながら家に帰ったら、長女・マイが一言。
『ご無沙汰・・・』
オレは更にヨレっとなった。