読み終わりました。
あとがき、解説を読むと、この話は雑誌「BE-PAL」に連載されたものを単行本にまとめたものだと書かれており、びっくりした。
連載は1985年4月から20回にわたったという。25年前のことだ。
1400年前の木造建築。それを大切に守り続けた宮大工というシステム。
聖なる建物の守り人、それが宮大工なんだと西岡さんは言っている。
昨日、法隆寺に行ったら、講堂は改修工事中だった。
姫路城も今、工事している。
こうして、古い歴史的建造物を大切に守り続ける日本人はえらいと思う。
この本を古いものにしがみついたガンコオヤジの話と読み取る人もいる。
だが、ちょうど現在開催されているCOP10では、生物の多様性を守ることがテーマになっている。
西岡さんがおっしゃったように、1000年かかって育った木を切って作るからには、1000年もつ建物にしないと自然に申し訳がない。
インドシナ半島、タイの北部やベトナムでは、ラワン材などが乱伐されてはげ山が連なる。
ひょろりとした幼木が植林されているが、山が森を成すには時間がかかる。
インドシナ半島で最も木が残っているのがラオスで、アジアでその次に森林率が高いのが日本なんだそうだ。
姫路城の昭和の大解体工事の時には、大黒柱(心柱)にする木を探すのが大変だったという。
何本かのご神木が候補にあがった。ご神木を切らせてくださいと打診もしたという。
結局、他で良い木が見つかりご神木は切らなくて済んだそうだ。
樹齢何年くらいのが必要だったかは記憶していない。
法隆寺や薬師寺の場合は、樹齢2000年のが必要だと西岡氏は語っている。
2000年のヒノキはすでに日本にはなく、台湾へ探しに行くそうだ。
木は1本1本性格が異なるから、その木に合わせて建物を建てるんだという。
規格に合わせて木を切るのではだめなんだそうだ。
平城遷都1300年を記念して建てられた大極殿は立派で美しいがどこか冷たく弱弱しく感じる。それはおそらく規格に合わせて木を使っているからだろうと思われる。
先日読んだ韓国の建築の本は、西岡さんと同じことを言っていた。
民家であろうと、西岡さんと同じ考えがベースだ。もちろん現代なんだから、便利な素材は活用したらいいとは言っているが、木の性格を活かして建てようと言っている。その本を書いた人は韓国で伝統建築の修復をやってきた人だから共通点があるんだろう。
だが残念なことに、現代ではそろばん勘定なしに建物を建てることも修理することもできない。
それがあかんと西岡氏は言うが、そうはいかない。
そんな中で、私たちはどこで折り合いをつけていけばいいのか?
あとがき、解説を読むと、この話は雑誌「BE-PAL」に連載されたものを単行本にまとめたものだと書かれており、びっくりした。
連載は1985年4月から20回にわたったという。25年前のことだ。
1400年前の木造建築。それを大切に守り続けた宮大工というシステム。
聖なる建物の守り人、それが宮大工なんだと西岡さんは言っている。
昨日、法隆寺に行ったら、講堂は改修工事中だった。
姫路城も今、工事している。
こうして、古い歴史的建造物を大切に守り続ける日本人はえらいと思う。
この本を古いものにしがみついたガンコオヤジの話と読み取る人もいる。
だが、ちょうど現在開催されているCOP10では、生物の多様性を守ることがテーマになっている。
西岡さんがおっしゃったように、1000年かかって育った木を切って作るからには、1000年もつ建物にしないと自然に申し訳がない。
インドシナ半島、タイの北部やベトナムでは、ラワン材などが乱伐されてはげ山が連なる。
ひょろりとした幼木が植林されているが、山が森を成すには時間がかかる。
インドシナ半島で最も木が残っているのがラオスで、アジアでその次に森林率が高いのが日本なんだそうだ。
姫路城の昭和の大解体工事の時には、大黒柱(心柱)にする木を探すのが大変だったという。
何本かのご神木が候補にあがった。ご神木を切らせてくださいと打診もしたという。
結局、他で良い木が見つかりご神木は切らなくて済んだそうだ。
樹齢何年くらいのが必要だったかは記憶していない。
法隆寺や薬師寺の場合は、樹齢2000年のが必要だと西岡氏は語っている。
2000年のヒノキはすでに日本にはなく、台湾へ探しに行くそうだ。
木は1本1本性格が異なるから、その木に合わせて建物を建てるんだという。
規格に合わせて木を切るのではだめなんだそうだ。
平城遷都1300年を記念して建てられた大極殿は立派で美しいがどこか冷たく弱弱しく感じる。それはおそらく規格に合わせて木を使っているからだろうと思われる。
先日読んだ韓国の建築の本は、西岡さんと同じことを言っていた。
民家であろうと、西岡さんと同じ考えがベースだ。もちろん現代なんだから、便利な素材は活用したらいいとは言っているが、木の性格を活かして建てようと言っている。その本を書いた人は韓国で伝統建築の修復をやってきた人だから共通点があるんだろう。
だが残念なことに、現代ではそろばん勘定なしに建物を建てることも修理することもできない。
それがあかんと西岡氏は言うが、そうはいかない。
そんな中で、私たちはどこで折り合いをつけていけばいいのか?
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