辰巳芳子さんのスープの味がどうだったか。
それを、即座に表現するのはとても難しい。
美味しいとか、深いとか、やさしいとかそういう言葉で表現できるものではない。
そもそも味を言葉であらわすというのは所詮無理なのだと思わざるを得ない。
何かを評するときに、私は自ら体験しないことには評することができない。そんなの当たり前じゃん! と思われるかもしれないが、人が書いていたこと言っていたことをあたかも自分が体験したかのように評論する人の何と多いことか。
彼女の本を見て、「野菜のコンソメ」と「チキンのブイヨン」を作った。チキンのブイヨンは、当日、セロリのポタージュとなり、次の日に鶏手羽元のカレーシチューとなって食卓に上った。
常日頃は、キューブブイヨンを愛用していて、時たま、自分でスープを引くことがある。一番好きなのは豚肉からとったスープ。なぜかというと、とてもあっさりしていて、食材を引き立ててくれるからだ。
鶏ガラや牛骨は、本来持っている香りがどうしても出てしまう。それはそれで値打ちがあるのだが、主張するところがきらいだ。
辰巳先生のチキンブイヨンは、いつも私が引いているのより色が濃く、しかし味はまろやかだったことは確かだ。その秘密は、おそらく、玉ねぎやにんじんを塊のまま入れているところにあるのだと思う。色に関しては、昆布と椎茸が影響していそうだ。
セロリのポタージュは、はきりいって私のブレンドミスか、セロリの香りが足らないしろものになってしまった。ちょっとしたバランスの崩れが、全体をダメにする代表のような失敗だった。
話は変わるが、私の料理生活は・・・というか人生は失敗の連続。失敗して、また作り直して、失敗して、3度目の正直で成功すると、二度と作りたいとは思わない。(ちょっと変?)
だから、セロリのポタージュは成功するまで作り続けるだろう。
それを、即座に表現するのはとても難しい。
美味しいとか、深いとか、やさしいとかそういう言葉で表現できるものではない。
そもそも味を言葉であらわすというのは所詮無理なのだと思わざるを得ない。
何かを評するときに、私は自ら体験しないことには評することができない。そんなの当たり前じゃん! と思われるかもしれないが、人が書いていたこと言っていたことをあたかも自分が体験したかのように評論する人の何と多いことか。
彼女の本を見て、「野菜のコンソメ」と「チキンのブイヨン」を作った。チキンのブイヨンは、当日、セロリのポタージュとなり、次の日に鶏手羽元のカレーシチューとなって食卓に上った。
常日頃は、キューブブイヨンを愛用していて、時たま、自分でスープを引くことがある。一番好きなのは豚肉からとったスープ。なぜかというと、とてもあっさりしていて、食材を引き立ててくれるからだ。
鶏ガラや牛骨は、本来持っている香りがどうしても出てしまう。それはそれで値打ちがあるのだが、主張するところがきらいだ。
辰巳先生のチキンブイヨンは、いつも私が引いているのより色が濃く、しかし味はまろやかだったことは確かだ。その秘密は、おそらく、玉ねぎやにんじんを塊のまま入れているところにあるのだと思う。色に関しては、昆布と椎茸が影響していそうだ。
セロリのポタージュは、はきりいって私のブレンドミスか、セロリの香りが足らないしろものになってしまった。ちょっとしたバランスの崩れが、全体をダメにする代表のような失敗だった。
話は変わるが、私の料理生活は・・・というか人生は失敗の連続。失敗して、また作り直して、失敗して、3度目の正直で成功すると、二度と作りたいとは思わない。(ちょっと変?)
だから、セロリのポタージュは成功するまで作り続けるだろう。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます