終活の整理には想い出に残る写真も多く処分することに苦しむ、玄制流空手時代からの弟子の1人、加藤賢司5段錬士、
居合術の心得があり埼玉県躰道協会の普及活動では多大な力を発揮して頂いた。
今年は躰道創立60周年記念を迎えたが全県下では50年間、会員数は上位に位置し、祝嶺最高師範より指名された
県主任師範として面目を保つことができた。


城西大学、東京国際大学、防衛医科大学、東洋大学、大東文化大学の部員数も多かったが、狭山市、所沢市、志木市、
初期には東村山市の道場など関東地区では一早い各市体育協会へ団体加盟として立ち上げる事が出来恵まれた環境にあった。
躰道草創では武道として認めて頂くため、命を張っての「躰道剣」真剣での演武、埼玉県躰道演武会など、
媒体拡充の一環として行い普及に努める。3年後となったが第1回埼玉県優勝大会を実施した、当大会には選手として出場した
9段範士2人の名もある、57年前のパンフレットが見つかった。

又第七〜八全日本躰道選手権大会など、環太平洋文化交流財団がチャターしたイギリスの客船コーラル・プリンセス号で
ミクロネシア、サイパン島など15日の日程で日本の武道として躰道剣、あわせ躰道(有段者20名参加)の演武、楽しい想い出も残る。
加藤賢司君とは同い年で気が合い、飲み会や家族同士での旅行など、写真は、30年ほど前の北海道での撮影、長い付き合いであった。

