躰道シーラカンスの整体体操

躰道を人生の道連にできるよう、健康体力の保持を願い「谷式健康体操」は、45年前初代祝嶺先生より許可、考案 20年で集大成

躰道シーラカンス 徒然なるままに(3)

2019-04-20 | 躰道
躰道創設 1周年記念 草創期を思い起こす。昭和41429日、中野区中野事務所前の蓬莱屋さん。
写真はブレているが希望に満ち溢れた 1年でした。
祝嶺最高師範の隣りに座すは山田晴康先生、師範会峯村会長。
当日、祝嶺先生より頂いた表彰状は日本空手武道協会、玄制琉空手道から躰道協会に変遷の中で、2年間余り使用した協会名、貴重な資料になりました。
当日、決定した中では、躰道創立記念式典を123日とすることが含まれたと記憶しております。
当初から10年間は指導局次長として、その任に当たり躰道の発展と拡充に努めました。
躰道は一日で出来たような言い方をする自己保身的な輩も多くなったが「ローマは一日で成らず」は、皆さん知っておりますよね、そのルーツを想い起こすまま書き記したい。
私的なことですが、空手に先手なし伊東市在住、故山田晴康先生からの5年間、最高師範祝嶺先生5年間の徹底した玄制流、受け技の教えは、私の武道に対する修練と修得法の基礎となりました。
しかし、10年の日々自己研鑽するも、体が小さく軟弱な私の身体では、受け技にも限界を感じることも多く、手技から運足と体技へと変化するに至っていた。
ところで話は変わりますが、我々の世代、日本國が経験したことのない侮辱的な敗戦、戦前の無謀な行動を一身に受けななければならない年代の若者達の集まりでした。
したがって創意工夫を合わせもつ気質の者が多い時代でした。
大戦後の食料難、食べ盛りの8歳から10年間は、生き抜くために、明日の食糧確保を考え、行動を起こさなければ生きて行けない、創造性は必然的に身に付いたものと思います。
腹一杯白米の飯を食べられたのは自衛隊に入隊してからです。
因みにそのような環境を経験しなければ、実体験と浅い知識のみで、40年来続けている現在の「谷式健康体操」の考案と集大成は出来なかったと思います。
本題に戻るが、玄制流空手道設立時から躰道に変わるまでの15年余り、新空手道教範が発刊される前夜、又全日本空手道連盟が、1964年第1回東京オリンピックデモストレーション競技種目として、出場できるか否かの時代でした。
あまり知る人の少ない玄制流、他流の四大流派を追い抜こうとする、若い指導者達の勢いがあっての躰技の創造だったと思います。
体技から躰技に変え「躰道は皆んなで創るんだ」の最高師範の一言を信じ、約3分の一余りの指導者達により、日本躰道協会が設立された。
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