躰道シーラカンスの整体体操

躰道を人生の道連にできるよう、健康体力の保持を願い「谷式健康体操」は、45年前初代祝嶺先生より許可、考案 20年で集大成

躰道シーラカンスの整体体操 No.19

2012-11-22 | 武道護身
玄制流から躰道へ変わる一年前の、全日本玄制流空手道選手権大会。開場は東京都練馬区米軍基地グランドハイツ、競技は実戦組手と型の2種目、写真の前列は、入賞した選手、静岡県勢と東京医科歯科大学や福島医大等の顔ぶれが見てとれる。

NPO法人副会長大川公男教士、北海道躰道協会 会長八木先生や祝嶺の型研究会 森田 旭師範など、二列目は、祝嶺最高師範、山田晴康先生と当時の師範の方々、皆さんの先輩さん達ですね。

後方は祝嶺先生を囲んで、大会実行委員や各役員の面々です。此の頃は、各空手道流派に追い付け、追い越せと指導者を中心に、技の工夫と研鑽だけでなく、一致団結して媒体拡充に奔走し、最も攻防の実技が創作された次代でした。

埼玉県の私の所では、神社仏閣の境内等を拝借し、一年半程で入間、川越、狭山(狭山市躰道協会)、所沢(所沢市躰道協会)各市と会社のクラブ、五っの道場を開設、後半には東村山道場(東村山市躰道協会)の開設。

又、他流派の空手道場を訪ね廻り、埼玉県空手道連盟を立ち挙げ途中で、玄制流から躰道と変わる事になるが、今だに入間市空手道連盟には玄制流の名が残っている、 会社の勤めと空手の指導と良く身体が動いてくれた、26歳まだ若かった。

これらの行動力は、私だけで無く、あの時代の師範や指導者は、皆闘志に燃え立っていた。玄制流が躰道へ脱皮したと言って、過言ではない程の情熱で有った事を思い出す。実戦競技には、点足や交足等が見受けられ、相応間合から誘導間合を取る者も出て来た。
昭和39年、第10回玄制流日本空手武道協会本部が主催した選手権大会は、この大会で終了となった。奇しくも選手宣誓は、私が行ない競技は、実戦組手に出場、2回戦で敗退、同門の後輩、教えた技で私を倒す、倒れる一瞬をカメラが捉え(その写真は今でも手元に保管)複雑な心境で有ったが、指導者として、自信が持てる様になった事は確かです。

 


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 躰道シーラカンスの整体体操 ... | トップ | 躰道シーラカンスの整体体操 ... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。