

腰の状態が悪くなった11月7日はタカカノと市内に買い物に行ったのです。
広島市中心部の店と駐車場の往復、直行直帰の状態でした。左がタカカノ、右がタカ長の買い物です。
その時に見る人のほとんどがマスク着用。タカ長のようにマスクをしないで外を歩く人は「例外的」と言えるような状態でした。女性1名をふくめ、マスクをしないで歩いている人が3~4名いましたが、その人たちを見ると尊敬したくなる状態でした。
そこで心中いろいろ吠えたので腰の状態が悪くなった、と言うのは単なる八つ当たりですが、でも、今の世の中をおかしく思っている人はタカ長だけではないはずです。

昨日、朝日新聞を見ていたら、「わが意を得たり」の記事に出逢いました。編集委員、高橋純子氏の「道徳的な不自由さ ほえる犬は嫌われる けれど」と題する、マスクに関する記事のです。
人に「迷惑」をかけたくないというのが動機だとすると、それ自体は尊い。マスクをしていた方が何かにつけて無難なことも確かだ。でも、だけど―にうまく言葉をつなげられずに思考をぐるぐるさせていたら、積ん読していた本のタイトルが脳内にひょっこり顔を出した。
「健康的で清潔で、道徳的な秩序ある社会の不自由さについて」
著者は精神科医の熊代亨さん。いまの日本は「清潔で、健康で、安心できる街並みを実現させると同時に、そうした秩序にふさわしくない振る舞いや人物に眉をひそめ、厳しい視線を向けるようになった」と指摘し、こんなふうに結論している。
「私たちは、通念や習慣の奴隷になってはいけない」「法制度の枠組みを遵守し、(人々に特定の行動を促す)空間設計に覆われながら暮らすことと、それらに盲従し、何も考えなくなることはイコールではない」
そうなのだ。何も考えなくなることを、私は恐れるのである。

マスクについて吠え始めると止まらなくなりますし、仲間からも「ど真ん中に直球をなげこんだらいけない」と注意されているので吠えないことにしますが、でも、理解できないことが多々あるのです。
あの人たちはコロナに感染しないためにマスクをしているの?
マスクをすることはいいことばかりで、デメリットは何も考えないの?
コロナだけではありませんが、病気にならないためには自己免疫力を上げること、それができなくても、せめて自己免疫力を落とさないようにしないといけないのに、あの人たちには自己免疫力と言う発想は無いの?
等々タカ長には理解できないことが多々あります。今の状況を見ると何も考えない人がほとんどのように、タカ長には見えてるのです。
高橋純子氏が指摘されているように、何も考えなくなることはとても怖いことだと思うのです。それも高齢者はもとより若い世代の人までがそのような状況になっていることに危機的なものを感じるのですが、、、、、、。