

サクラの話題を続けます。
先日、長女の友だちからこのような写真が送られてきました。長女たちが行っていたゴルフコースにあるサクラです。このコースで「美女とゴルフを楽しむ会」と言う名前のコンペをしていると言っていました。タイトルの「しほちゃんサクラ」と言うのは、特定の木を指すのではなく、このコースにあるサクラを指すようです。
コンペ名にある「美女」とは誰なのか確認していないので、「コンペに集まる友だちが美女ばかり」だと言うことにしておきます。
いずれにしても、このような機会に長女のことを思い出していただけることは、親として嬉しいことです。

この本に次のような文があります。
終わりだの、別れだの、人の世にそういうことがなければいいのに、とよくいう。場合により、事柄によっては、そうもあろうとおもう。だが、長年使った万年筆をなくした、などという軽い離別は、あってこそよく、なくなっては困るとおもう。別れだの終わりだのは、事のしめくくり、情緒の栄養剤、生活の清涼剤ではなかろうか。あえて意地のわるいことをずけずけいうなら、そんな軽い別離ではなく、もっと重くずんと身にこたえる、別れの哀惜、終わりの悲嘆に出逢ったとき、人はみがかれると思う。私たちの胸には、日常ああ思いこう思う、いわば情念のごみみたいなものが山と積もっているが、別れや終わりはそれを吹きはらってくれる、冷たい風のように私はおもう。痛みを伴うけれど、別れとは、いいものである。


わが子を亡くすると言う、親としては絶対あって欲しくない経験も、悪いことばかりではないことは実感しています。そのひとつは、日常見える風景が変ったこと、自然の風景だけでなく、人の何気ない姿にも感動するようになりました。それが、ここに書かれているような「情念のごみみたいなもの」が吹きとばされた結果なのかどうか、そのようなことは分かりませんが、とにかく、見える景色が変わったことは事実です。



若葉のキレイな季節になりました。タカ長のまわりに普通にある光景にハッとするような美しさを感じるようになりました。しかし、著者の言うような、「痛みを伴うけれど、別れとは、いいものである」と言う気持ちにはなれません。
他の痛みならともかく、わが子を亡くするような痛みを「いいものである」と言い切れる親はいないような気がするのですが、、、、、、、、、。