

タカ長が韓国に初めて行ったのは1999年9月のことです。現役時代に社員旅行で行ったことがありますが、それはいわゆる「個人旅行」ではありません。
その頃は先輩のYさんに、おんぶにだっこの状態でした。2001年3月に環境部を訪ねた時も同じような状態でした。
それではいけないと思い韓国語の勉強を始めました。ここには「南韓山城案内図」(ナマンサンソンアンネド)と書かれていますが、それが理解できるようになったのはずっと後のことです。

いつから始めたのか、記憶も記録もありませんが、2006年5月に安東の河回村を旅行したとき、朝の散歩で地元の人に「アンニョンハセヨ」と挨拶したら、「ソウルから来られたのですか」と言う返事をもらったことをハッキリ記憶しています。
つまり、タカ長の発音がソウルの人と間違われるくらい良かった、と言いたいのだぁ。(笑)


NHKラジオのハングル講座を聞いて勉強を始めたのですが、自分でも呆れるくらい暗記が出来なくて、「聞いて話す」と言うことは早々にギブアップ。
でも、少しずつ勉強していたら、このような案内が、考え考えでも一応理解できるようになりました。この案内の一番上には「列車出発案内」と書かれていますが、このようなハングルがどのような漢字に相当するのか、考え考えながらですが何とか理解できるようになったのです。聞いて話すのは瞬間的に反応しないといけないので、ひと歳拾ったタカ長には出来ませんでした。


このような案内標識が詠めるようになって色々な山に登りました。
上はプサンの北にある鷲棲山で撮ったもの。手前に行くと韓国三大名刹のひとつ、通度寺(トンドサ)に下りることが理解出来ます。
下は月落山のもの。左側下の矢印が目指す天皇峰を示しています。
韓国を個人旅行するためには、特に登山などするためにはこのような案内が読めることが必須条件になるような気がします。

少しだけですが、ハングル文字が読めるようになって色々な山に登りましたが、一番印象に残っているのは伽耶山です。ここには「伽耶山・海印寺」へ行く道を矢印で示しています。

この山荘、民泊みたいなものですが、ここは韓国語以外はひと言も通じない世界でした。日本語はもちろん、英語の単語一つも通じません。でも、民泊のアジュンマ’(おばさん)は一生懸命世話をしてくれました。
でも、言葉が通じないとどうにもならないことがあります。タカ長が韓国語を話すことが出来れば何とかなるでしょうが、それが出来ないのでソンヒョン君に電話して自分たちの希望を伝え、ソンヒョン君から宿のおばさんに電話してもらうことにしました。
宿の二階⇒ソンヒョン君⇒アジュンマ。このおかしな三角関係(?)を使って2泊3日の滞在を楽しむことが出来ました。

これが民泊のご夫妻。アジョシ(おじさん)はタカ長たちが帰る朝、「釜山港に帰れ」を歌ってくれました。
おばさんはバス停まで見送ってくれました。その間言葉での交流は本当に少しだけでしたが、彼女の好意は痛いほど分かりました。人間最後は心だよね。あのご夫妻のことは今も忘れていません。


このようなバスで旅するわけですが、海印寺から西大邱に帰った時、バスの運転手にプサンへの帰り方を聞いたら、バスの運転手はバスターミナルに入った途端バスを放り出して、タカ長たちを建物の中に案内し、あれこれ説明してくれました。しかし、タカ長に理解できたのはその一部だけ。
駐車場の中とは言え、自分の運転しているバスを放り出してお客さんの世話をする。これには驚きました。キチッとした日本とは違う、いい意味でのいい加減さ、その国民性がタカ長の波長に合うので韓国旅行を楽しむことが出来たのでしょうね。
政治的は色々ある日本と韓国ですが、どこの国も庶民は健全で、タカ長も韓国旅行中に嫌な思いをしたことは一度もありません。
韓国を個人旅行するためには、少しだけハングルの勉強が必要ですが、それでもお勧めの旅行先ですね。