名古屋市名東区 赤帽タケフジ運送の「ふ箱」

赤帽タケフジの車窓から見える光景

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浜松・米津村の大事件

2011年05月11日 | いにしえから学ぶ

5/11

 本日は春日井から浜松市まで。催事ものの運搬でした。肌寒い雨でしたが、運送は順調13時に終了。

 走行実車120キロでした。100キロを越える仕事は今月初です。今回の震災募金は、120キロ×5円=600円也。5月分は現在¥2,675です。

 帰りに寄り道をしました。

 浜松市内の1号線に米津という信号があります。その北に「江戸行六義人菩提所」の碑がありました。説明によると240年程前江戸時代のことです。米津の浜に紀州の御用船が難破した。米津の村人が総出で救助し荷を回収した。紀州側はその荷の不足を言い立て、人身御供を要求した。隠居船の又三郎ほか五名が江戸行きとなり小塚原で処刑された。

 紀州は徳川御三家だ。その威光による強引なやりかたです。以後米津村では六義人を供養するが、それさえも禁じられた。村人は石地蔵を埋め、月日が過ぎ忘れられた。

 時は移り昭和十年。寺の拡張工事の際にその地蔵が発掘された。そして、その顛末が判り以後顕彰されたという。

 遠州灘の一寒村にも、こんな天地がひっくり返るような出来事があったんですね。この時代このような義人は日本各地に見られる。封建時代の大規模なモメゴトの最終的な処理方法でしょう。こうした義人の残された妻子には、村による扶養がなされたという。そんな裏づけかあるから「村のために死す」という義人が多く出たんTakefuji_011だろう。 なんとも村落の絆の強い時代ですね。