「見仏」と「札所巡り」と「仏教少々」

仏像鑑賞と札所巡りと受け売りの仏教を少し

築地本願寺、仏教文化講座2017.9早島氏

2017-09-30 20:00:23 | 仏教
テーマ:わたしのいのち、みんなのいのち


早島という60代くらいの男性。滋賀医科大学名誉教授。
お医者さんと思いきや、そうではない。
実はお寺の住職。そして龍谷大学では文学部の教授というかたがきもある。
もともとは、インド仏教の研究が専門。
では何故医科大学の教授なのか。→大学病院の倫理委員会に所属。
かたよらないように医者以外の意見を聞くため、2人ほど参加している。
いのちについて、医者と看護師に伝えてきた。

生老病死の意味。
死ぬことがわかっているのに、今、生きていることの意味は何ですか?
いのちの尊さ、有難さに気づいていますか?
医学は、生きる意味をおしえることができない。
(例えば、もう短い命と知っている患者に対して、
どう命と向き合えばよいか医者は教えてくれない)

かかりつけのお医者さんが必要なように、かかりつけのお坊さんが必要。
決して、門徒のお坊さんとは限らない。
いのちについて語り合えるお坊さん。

日本の死生観。
東アジアの考え。他界思想。人は死んだら、生きていた延長線上で考える。
例えば、死んでも御墓参りに来てくれて、喜んでくれている。、、、など。

別の死生観のパターンではしんだら終わりという考え。西洋に多い。唯物論。

また、別の死生観では、死んだら魂はまた生まれ変わる。輪廻思想。インドなど。

浄土教では、死ぬと極楽浄土へ阿弥陀さんがつれて行ってくれる。
浄土の世界は、迷いの世界を乗り越えた世界。
いずれにせよ、自分は死んだらどうなるかというイメージは、持っていた方が良い。

ある時、亡くなった人は仏になる。と、日本人の死生観を、
他の東アジアの人たちの前で話したら、一斉に異論の反応が返ってきた。
(日本人の死生観は、他の東アジアとも違うところもある)

西洋的な発想から、アドバンスプランニングという言葉ができている。
自分が将来、病気になって、余命がせまってきたとき、どうしていきたいか
というのを身内とともに事前に決めておくこと。
自分で食べれなくなった時どうするか、点滴か、胃瘻か、そのままか。
どこまで治療するか。どこからはいらないか。
などメモしておくと、それに応じた治療をしてもらう。

数ヶ月の余命と判断されてすごす。限りあるいのちを大切に生きる。
宗教者がそれを示してくれる。いのちの意味を教えてくれる。
宗教者が患者の前にいた方がよいという発想がより多く
生まれてきている。

緩和医療というものも、最近より注目されてきている。
古い時代に比べると画期的なこと。治らないけど、
できるだけ痛みをなくして、最後まで看取りますよという医療。


後記
今回、レジメもたくさん表示しての話。
若干、大学の先生ということもあり、
大学の講座っぽい感じも少しした。
途中居眠りしてしまうこともあった。
でも、まずまず興味深い話が聞けたと思う。
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