NHKの『真田丸』のおかげで、上田市がこの1年観光地として賑わったことはテレビの情報で知っていました。
『上田城』は勿論のこと、真田の郷も観光客がどっと押しかけたのではないでしょうか。
と、ひとごとのように言っていますが、私も真田の郷に行ってきました。(笑)
まず行ったところは砥石城(といしじょう)跡です。
古いお城ですが、真田氏が上田城を築いたあとも重要な支城として存在し、第一次上田合戦では正面から『上田城』を攻める徳川軍に対し、
砥石城から信之が出陣して横から攻撃するという戦法で徳川軍に勝ったとか。
山裾まで行ってはみたけれど、山登りをしなければ砥石城跡にはたどりつけないことがわかって断念しました。
1年間頑張ってきた赤い幟は、風雨にさらされてもうボロボロです。
砥石城の山麓にある陽泰寺に行きました。
ここは観光からは外れていて、六文銭の旗の1本もありませんでしたが、どうしても行きたかったお寺です。
真田一族の主家、海野氏の菩提寺で、白鳳時代の建立です。
本堂がかなり高いところにあり、石段を登らなければなりませんでしたが、裏山にあるお墓に行きたかったのです。
海野氏第四代幸真の墓があると伝えられているので探してみたところ、数基の古い墓石がありました。
本堂のてっぺんに、海野氏の家紋『洲浜』が寺紋として掲げられているのですが、写真に撮ってみたら、
朝日があたって金色に輝き、家紋の様子がまったくわからないじゃありませんか。(ガッカリ)
門の屋根にあった『洲浜』を拡大してみました。
『洲浜』は浜辺に出来る三角州を表しているそうです。
『上田城』は勿論のこと、真田の郷も観光客がどっと押しかけたのではないでしょうか。
と、ひとごとのように言っていますが、私も真田の郷に行ってきました。(笑)
まず行ったところは砥石城(といしじょう)跡です。
古いお城ですが、真田氏が上田城を築いたあとも重要な支城として存在し、第一次上田合戦では正面から『上田城』を攻める徳川軍に対し、
砥石城から信之が出陣して横から攻撃するという戦法で徳川軍に勝ったとか。
山裾まで行ってはみたけれど、山登りをしなければ砥石城跡にはたどりつけないことがわかって断念しました。
1年間頑張ってきた赤い幟は、風雨にさらされてもうボロボロです。
砥石城の山麓にある陽泰寺に行きました。
ここは観光からは外れていて、六文銭の旗の1本もありませんでしたが、どうしても行きたかったお寺です。
真田一族の主家、海野氏の菩提寺で、白鳳時代の建立です。
本堂がかなり高いところにあり、石段を登らなければなりませんでしたが、裏山にあるお墓に行きたかったのです。
海野氏第四代幸真の墓があると伝えられているので探してみたところ、数基の古い墓石がありました。
本堂のてっぺんに、海野氏の家紋『洲浜』が寺紋として掲げられているのですが、写真に撮ってみたら、
朝日があたって金色に輝き、家紋の様子がまったくわからないじゃありませんか。(ガッカリ)
門の屋根にあった『洲浜』を拡大してみました。
『洲浜』は浜辺に出来る三角州を表しているそうです。
砥石城跡、近ければ山登りしてでも行って見たい所ですが写真で我慢。
また、詳しく説明していただき光栄です。
大変勉強になりました。
新しくてきれいな公衆トイレ、急に整備したらしい駐車場、あっちにもこっちにもはためく六文銭がついた旗。
来年は急に寂しくなっちゃうのかなあ。