南九州の片隅から
Nicha Milzanessのひとりごと日記
 





 今日の読売新聞の「人生案内」は、涙を誘う内容だった…。


※以下、読売新聞のサイトなどより転載。

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『自分の余命、娘に話すべきか』

60代無職男性。
妻と別れてから、高校1年生の娘と2人で生活しています。
私の病気のことを娘に伝えるかどうか、悩んでいます。
私はがんが転移し、主治医から先日、余命宣告を受けました。
私の弟などはそこに同席して説明を聞きましたが、娘はこの事実を知りません。
娘は私の病気については承知しており、「家事は一切しなくていいから、私が大学に行くまでは元気に生きてほしい」と言います。
その度につらくなります。
いっそ全てを告白して、娘にしっかりと現実を受け止めてもらいたい。
そう思う一方で、父親っ子として育ってきた娘の気持ちが一気に崩れはしないかとも悩みます。
生活保護を受けるほどの苦しい生活で、娘には服の1着も買ってやれませんでした。
これ以上、娘に気苦労をさせていいものかと考えてしまいます。
(大阪・Y男)


涙で目が曇り、不覚にもこの手紙を最後まで読み通すことが困難でした。
あなたの娘さんに対する深い愛情、2人で一生懸命に生きて来られた人生が胸に迫ったからです。
あなたは娘さんに洋服を買ってあげることはできなかったかもしれませんが、愛の人生を確かにプレゼントした。
それがありありと伝わります。
そしてあなたの迷いも、娘さんへの深い思いゆえです。
これはあなた自身の口から伝えるのがつらいとしたら、主治医から、あるいは弟さんにも立ち会ってもらって、娘さんに現実を話すべきだと思います。
もちろんつらく悲しい宣告ですが、いつか分かるとしたら、あなたとの人生をより大切な思いで生きる時間が欲しかったと娘さんは考えるのではないかと思えるからです。
もちろん、余命宣告があったからといって、治療技術は進歩していますから、延命する可能性だってゼロということはないでしょう。
その希望的な話も含めて伝えることです。
そして、しっかり強く生きることを話し合うのはもちろんですが、娘さんの今後のことは行政やご親戚によくよく頼み、後顧の憂いを断つこと、これがあなたの最後の大切な仕事なのかもしれません。
(野村総一郎・精神科医)
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 私は、この「人生案内」が好きな読者だが、正直「ナニコレ?」という投稿が多い。しょうもない悩みが多いのだ。

 しかし、今回は、今年5月の『祖母を置き去り、逃げた自分を呪う』と並ぶくらい、かなり心を揺さぶられる内容だった…。

 人はいずれみんな死ぬ。それは避けられない。
 自分が死の宣告を受けたとき、愛する家族のために何ができるだろうか。
 ちょっと考えさせられる。 


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