南九州の片隅から
Nicha Milzanessのひとりごと日記
 



時々

 歴史的なニュースがテレビを新聞を賑わせている。
 リビアで40年以上に亘り独裁政治を行っていたカダフィ大佐が殺害されたというのだ。

 しかし、残念な情報もある。
 まだ、情報が不明確ではあるが、負傷した状態で拘束したところを、わざわざ射殺したらしい。噂では19歳の少年が「オレが撃った」と英雄気取りでいるとか。


 ああ、何たる大失態…。愚かなことをしでかしてしまったものだ…。
 勘違いも甚だしい。
 こんなことをしていたら、リビアはまた同じ歴史を繰り返すだけだろう。

 本当の意味での「民主主義国家」になりたければ、きちんと裁判にかけ、その罪を償わせるのが正しいやり方だ。
 カダフィ大佐に対する恨みや憎しみはあるのは理解できるのだが、変な言い方をすれば「拘束状態であればいつでも命は奪える」のだ。
 殺してしまってはどうしようもない。生きているからこそ分かることも多々あったはずだ。

 その機会をわざわざ逃してしまうとは…。



 カダフィ大佐の発言は、無視できないものもあった。
 数年前にカダフィ大佐が日本の学生(?)に贈った言葉に「日本人はアメリカに2回も原爆を落とされながら、何で未だにアメリカの言いなりなんだ。アメリカに対する怒りはないのか」的なものがあった。
 まあ、もちろん、今でも特に広島、長崎、沖縄では、アメリカに嫌悪感を持った人が多いようだが、日本人の大多数はアメリカに好感を持っているはずだ。
 カダフィ大佐のこの発言は、この部分だけを見れば、まさに“正論”そのもの。
 まあ、その前後や周囲の状況について知らないから、言える発言ではあるのだが。

 だが、日本人はアメリカの占領を受けて以来、愛国心というかナショナリズムを失ってしまったように思う。
 NHKの朝ドラの「おひさま」や「カーネーション」を見ていると、考えさせられることがある。それは、わずか数10年前までは、家でも学校でも会社でもみんな着物を着ていたのに、今は、旅館か料亭か飲み屋のおカミさんくらいしか着物姿を見ない。卒業式の袴や夏祭りの浴衣なんて、何かわざとらしくてね。
 だから、アラブ系の人が、国連の会議などでも民族衣装を着ていることが、羨ましいというか、素晴らしいと感じてしまう。
 日本も、せめて国会や宮内庁行事などは着物で行うよう定めてはどうだろうか。また、お役所は「毎月第3週は着物デー」などとしては。



 カダフィ大佐は、今のリビア国民にとっては悪人だったのかも知れないが、革命当時は英雄だったはずだ。
 それなのに、最期がああいう状態で命を奪われ、しかも全世界にその映像が晒されるようなことは、今のこの時代に望ましいとは思わない。哀れというか、可哀相に思えてくる…。
 しかし、もう起きてしまったことは仕方がない。
 今は、リビアという国が、素晴らしい国家に生まれ変わってくれることを祈るばかりである。

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