戦時中、現在の京都府久御山町にあった京都航空機乗員養成所の生徒らでつくる「京都翼の会」(城陽市)が今月、当時生徒が着た飛行服などの資料を八幡市の飛行神社に寄贈する。
養成所は、旧逓信省が1942年に開所し、少年らが操縦技術などを学んだ。戦局が厳しくなった44年に陸軍に接収されて特攻隊の訓練基地となり、養成所の生徒たちは散り散りになった。卒業生は陸軍に入隊し、特攻隊員となって命を落とした人もいる。同会によると、全国の養成所の卒業生約700人が戦死したという。
同会の石本登志夫事務局長(88)=京都市東山区=は「民間航空機のパイロットになるつもりで入所したのに、みんなだまされたと思っただろう。無念だったと思う」と話す。
石本さん自身も飛行機乗りを目指して国民学校を卒業してすぐの42年に入所。陸軍に接収されるたびに茨城、新潟と養成所を転々とした。湾に近い新潟の養成所では終戦間際、飛行機を狙う米軍の空襲があり、B29があちこちに投下する機雷が逃げる石本さんの5メートル先に落ちたことも。「死ぬかと思った」と振り返る。
寄贈を検討しているのは、実際に使われた養成所の制服(上着)と制帽、飛行服と飛行帽、飛行用の長靴と手袋など。終戦後、失われる直前に養成所職員が持ち出して保管し、同会に寄贈したものの一部という。
石本さんは「わずかな期間でも共に過ごした青春の証し」と話す。同会の記念誌や当時の養成所を記録した写真集なども寄贈する予定。
同会の会員が高齢化し、寄贈を決めた。同神社の資料館で展示してもらう予定という。石本さんは「歴史の語り部になってほしい」と話している。
【 2018年08月19日 19時00分 】
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