家康「伊賀越え」の背景は? 日文研・井上章一教授が語る

2018-11-04 15:19:29 | 歴 history

 「本能寺の変」を受けて徳川家康が堺から三河国へ帰るために通った「伊賀越えの道」をテーマにした講演会がこのほど、京都府京田辺市田辺の京田辺市商工会館で開かれた。国際日本文化研究センターの井上章一教授が、当時の時代背景などについて語った。

 府山城広域振興局などの主催。家康は現在の京田辺市、井手町、宇治田原町を通ったとされており、その伝承を観光客誘致に生かすことが期待されている。

 井上教授は、家康が堺にいたのは織田信長が京都と堺の訪問を勧めたためとし、「この広い一帯が平和なのは自分が統治しているからだと見せつけるためだった」と指摘した。家康が明智光秀討伐の軍勢を整えたものの、戦いに至らなかったことについて、「伊賀越えを通じて民衆と関わり、無用な戦を避けたという意見や、天下を取る気はなく言い訳のため組織したという見方もある」と述べた。

 パネル討論で京田辺市、井手町、宇治田原町、城陽市の観光ボランティアガイドらが登壇し、それぞれの地に伝わる家康の伝承などを紹介した。

【 2018年11月01日 11時19分 】



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