歌人・辰巳泰子の公式ブログ

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鬼さんノートその6

2023-03-11 09:54:25 | 月鞠の会
高学歴セレブ夫妻の、公金にかかる巨額横領事件の騒動で、私がとてもショックを受けたのは、そうそうたる言論人が、自分がセレブとお友達だからとこれを擁護され、大衆の道徳感情をやっかみや中傷と決めつけ、ご自身の差別心に無自覚であられることでした。事件が、実際にあるかもしれないと考えられる時点(その後起訴されました)で、被害者に一切配慮しない無神経な発言をすることでした。いずれも言論人がしてはいけないことです。

繰り返して記しますが、不正に違和感を持つ大衆が表明する道徳感情を、まとめて、セレブ生活へのやっかみや中傷と決めつけるのは、差別です。

大衆の道德感情をネグレクトし、不正へのコミットが見込まれるセレブを擁護するために、「稼ぎへのやっかみ」「ネット民の劣化」などなど、わざわざ攻撃的文言をお使いになられていることが、私には不思議です。それらの言葉は、いらなかったのではないでしょうか。

啓蒙にあたるべき言論人が、伝え方を知らない層や低所得者層を差別しておられる。

それから、私はいま、死刑制度のことを考えています。死刑制度の是非ではなくて、遺族感情、大衆の、処罰を望む感情について。これは、死刑制度によって、復讐代行を望み、遂行されれば晴らされるといったことであろうか。そんな単純なことではない気がしています。

私はこれまで、ずっと、規範は、感情の暴走を押し止めるためにあると考えてきました。私自身は、じつはそんなに強い感情の持ち主ではなくて、悩まなくとも規範の内側にすっぽり収まるほうです。規範が失われれば、勢いのある不正の、損害や圧力を被るほうになってしまう。ですので、漠然と、規範というものを信頼してきました。

それから、自分が誹謗中傷を受ける側になっても、それが事実無根のものであればあるほど、ご病気の方かもしれない、そうした方が、誹謗中傷に時間を費やされるのが、気の毒であるとさえ思ってきました。傷つけられているのは私なのに、殴り返すのは違うだろうと、心のどこかで思いました。それも、病気の人にはまず同情があってしかるべきだという、道徳感情だったと、いま思います。

規範とは、暴走する感情を押し止める装置であるとともに、道徳感情によって、あるべき姿へその実質を保たれるものではないか。

縁故主義によってあらゆる規範に解釈変更の手を加えてきた前総理大臣銃撃事件からこちらの世の中、巨悪不正の解明が、検察当局によって、進められています。なかには本当に、自身の鬱憤を晴らすために、匿名で中傷をする人もあるようだけれど、大衆の道徳感情が不正解明の後押しをするのであれば、これを押し止めたい言論人は、不正の解明を阻止するほうに、立っているといわねばなりません。



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